上淀川橋梁(東海道貨物線) その2で課題としていた「2回目のルート変更時期」について書く。ヒントをいただいた@Einshaltさん、@O_Ken_ken さんに感謝申し上げる。
周辺の地図を再掲する。 左図で、黄色いルートが開通したのは1901年(明治34年)8月。問題は赤いルートから現在線に移設された年である。 ●1912年説 典拠は 『地形図でたどる鉄道史 西日本編』(今尾恵介、JTBパブリッシング、2000年)と、『歴史的鋼橋集覧』の「上神崎川」のページ(土木学会)である。 前者には「神崎川橋梁前後の線路が大正元年(1912)に付け替えられていた」(65ページ)と記載され、後者には「開通年月日 1912年」とある。前者が後者を参照した可能性はある。 ●1913年説 典拠は『鉄道廃線跡を歩くVIII』(宮脇俊三編、JTBパブリッシング、2001年)だ。これには誤記があるので、明記しておく。 「東淀川」は位置からして明確な誤りだが、「新大阪」は逡巡の結果か。改良当時には、当然のことながら存在していないが、かといって「大阪」と書くと、橋梁ごとまたまた付け替えたのか? という余計な憶測を生む。これでいいと思う。 ここでいう「上神崎B」というのは現在の上神崎川橋梁下り内外線で、前述の通り「歴史的鋼橋集覧」では1912年開通、とある。 『鉄道廃線跡を歩くVIII』に付された「全国線路変更区間一覧」は非常に有用な資料である。「線路変更区間の選定基準」という凡例を設けていることを見れば、ご納得いただけると思う。 1912年か、1913年か。果たしてどちらが正しいのか。『停車場一覧』(JTB)を見ても書いていない。『日本鉄道旅行地図帳』(新潮社)にも、この経路変更はまったく採り上げられていない。ちょっと残念だが、どちらも「何らかの基準」があり、それに満たなかったのであろう。 引き続き「1912年か、1913年か」の情報を探し続けたい。 なお『日本国有鉄道百年史』には、この件に関する記述はない。 PR |
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