ここには安売り自販機が設置してある。写真を撮っていると、近くの農家の女性が自転車で飲料を買いに来たので聞いてみると、ここは農協で、周辺の米はすべてここに運び込まれていたそうだ。それにしては、倉庫がない。 「震災でやられてしまった」とのことだった。GoogleMapsのストリートビューで見ると、撮影は2011年10月だが、立ち入り禁止の処置がされているのがわかった。そして今現在は、上記のように更地になっている。 PR 転車台から見て右手端、一段低くなって2線分ほどの幅の建物がある。ここは元々は談話室や鍛冶職場で、現在は排水処理施設が収まる。 また、転車台から見て左手端には、プレハブの建物が収まっている。これは1989年(1969年かもしれない、資料が不鮮明でよく読めない)竣工の作業員詰所である。 隣接して「懐かしの鉄道展示室」がある。これは事務所の建物だったという記事があるが、1974年度の航空写真を見ると、位置や面積が異なる気がする。その後、建て替えられたのかもしれない。 (関連項目) タブレット閉塞機の内部 津山のターンテーブル 遊郭には床屋がつきもの。その中でもこの一件だけ、古い建物のまま残っている。すでに営業はしていないものの、以前は「くるくる」だけは動いていたそう。正面には「九一調髪館」。理容室ではない、「調髪館」である。腰板はタイル張り、窓は縦長の木桟に青灰の塗り。2階は以前はもう少しくすんでいたようだが…。 向かいの家から、おばあさんがずっとこの建物を見ていた。声をかけて、この建物についていろいろとうかがった。「どうぞどうぞ、撮っていってください。撮っていく人、多いんですよ。以前はここも、その向こうも、うちの地所でした…」。戦時中、そしてその後のお話もうかがった。お話の内容からして、少なくとも80代後半、おそらく90を超えた方だ。「壁も、前にきれいに塗り替えたんですよ」。 「戦争までは、その造船所のところまでしか道がなくて。三菱のバスが国道のトンネルのところまで来ていて、そこが終点だった」。トンネルとは、国道499号の戸町トンネルである。このトンネル、戦時中には半分仕切って軍需工場となっていた旨が「アトリエ隼」さんのブログにあった。 戦時中、軍需工場として使われた戸町トンネルと日見トンネル 戦時のこととて、さまざまな理不尽も経験されたようだ。おそらく、私などとは住む世界が違う「お嬢様」だったおばあさん。もっといろいろ話を聞きたかったが、立ち話が長くなるのも申し訳なく、お暇した。
江与味橋(国道429号/岡山県美咲町)の続き。
東北側の角に、こういう建物があった。 近くにいらした方に聞くと、かつてはここでけっこう人が待つくらいに利用する人がおり、またバスの便もあったそうだ。 13年前に作られておそらくそのままの、でも完成度の高いサイトがある。 旭町江与味のホームページ さて。 たぶん、30年後くらいには、こういうイスがあること自体が観光要素になるだろうな。 |
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