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宮脇俊三の文章で「北海道らしい光景」としてよく描かれていたサイロ。まだ北海道など夢のまた夢だった子供のころには憧れの光景の一つだった。

ここでいうサイロは酪農のためのもので、牧草を貯蔵・醗酵させるための設備。塔型である。しかし、現代の酪農においては、牧草はロール状にパッケージして(「ロールベール」)倉庫に保管しながら醗酵させるようだ。そのため、こうした塔型サイロはほぼ使われていないと考えていいだろう。

塔型サイロは石積みや煉瓦積、コンクリートブロック積み、コンクリート製等いろいろある。屋根は金属の帽子のようなものがかぶせられていることが多い。近年、解体が進んでいる気がする。

写真は、北海道の国道沿いで見た、もう使われていないサイロ。写真左のものは、屋根の金属板が取り外され、木製の骨組み…までは見えないが、それを覆っている板が見えている。そうか、板は、螺旋状に曲げながら張るのか。しかし、円錐の下部をぶったぎった形をしているのだから、そのまま曲げても上部で破綻するはずだ。そのあたりは木材の気楽さか、適宜処理してあるようだ。

このサイロに気づいた後は、ときどき、こうした骨組みを露出しているサイロが目に入ってくるようになった。そのすべての骨組みは、このように板を螺旋状に貼っていた。もしかしたら例外もあるのかもしれないが、来年また行くことができたら、もう少し積極的に見てみようと思う。





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「電柱・電線は、何故、埋めたくなるのか」(内田祥士)
電柱のない仮想空間の続き。

東洋大学朝霞キャンパスの、ライフデザイン学部創立10周年を記念したシンポジウム、仲綾子准教授による「建築写真には、何故、人が居ないのか」というテーマが写真論的におもしろく拝聴した。

http://www.toyo.ac.jp/site/hld/72468.html

仲さんは、学生の頃から、なぜ「建築写真」には人が写っていないのかを疑問に思っていたそう。「建築写真」とは、建築雑誌に載っているような、竣功写真やそれに近い写真をいう。そこに写っているのは「作品」であり、ほとんどの場合は人が写っていない。



個人的に、「建築」というのはとても特殊な世界に感じていて、よく趣味者が「鉄道趣味は怖いから手を出さない」というように、私 は「建築が怖い」。私が知っている建築界隈の方々の持つ視点や洞察に圧倒されるということもあるが、あるいは「建築鑑賞」には世界の芸術史にすら通じてなければならない気もする。

後者のそんな敷居の高さを感じる象徴が建築写真の存在だ。人が写っていない、無機質な、説明的な写真。心を揺さぶるような「作品性」のある写真ではない、絵葉書のような美しい写真。内輪のロジックで作られた世界。そんなイメージだ。

このことは、仲さんに限らず、他の建築関係者も、建築雑誌関係者も意識している人もいるのだ、ということを知ることができた。私はなんとなくしか建築写真を知らないので、ここでは「パースが補正された、人が写っていない、竣功写真」を「建築写真」として話を進める。的外れなことを書くかもしれないが、そのあたりはご容赦いただきたい。



仲さんの気づきと考察がいくつも展開されたのだけれど、特に印象に残ったのはプロポーザルと竣功写真の話。それは、こうだ。

建築コンペがあるとする。その建築のプロポーザルはイラストであり、そこには、建築内を闊歩する人が描いてある。しかし、描かれた人物には個性も人間性もなく、ただスケールの参考、使用例として放り込まれているだけだ。そしてそのコンペを勝ち取り、実体化したあとの竣功写真には人が写っていない



また、仲さんは「建築家は、建築家のために建築を考えてきた」(伊藤豊雄。『対談集 つなぐ建築』隈研吾著)という言葉を引き、建築雑誌を見るのは専門家であり、独自の文脈があるからこれでよい、建築雑誌は、その文脈に乗っているから、これでよいと思われていることを解説する。この説は、建築誌の編集長だったという観客の方(お名前は覚えているが、どの媒体化わからないのでここでは肩書きとする)からの
・竣功写真は人がいないのは「できた瞬間が最高の状態、あとは劣化していくだけ」だから
・建築家は受注の時点で巨額(=パトロン)を得て自分の思想を入れていく。自分に仕事が来る仕事作りをしているので、「作品の写真」を残す
・人がいないと「作品」、いると「作品ではない」。人の存在のインパクトは建築を超える、建築がかすんでしまう
というような話で補強された。



ほかにもいくつもの気づき、そこからの考察があったのだが、つまりは「写真論」に収斂していく。それはそうだ、建築写真「家」が何人もいるのだから。

現在、建築界隈は、「建築写真家」の写真論のみで展開しているようだ。しかし、『CASA BRUTUS』等に掲載される建築は、人がたくさん写っている。これは、『CASA…』に携わるカメラマンが「建築写真家」の配下にいないために起きたいい例だ。

私が思ったのは、建築写真も、後述する土木構造物写真も、「写真に記録して、そこから読み取る」ことが主眼だから、人を排除しているのではないかということ。被写体だけを見つめたいという状況は、確実にあるのだ。



「建築写真」というのは、鉄道写真でいえば、竣功写真と同じ文脈を持つ、完成された形だ。



これは西尾克三郎の代表作のひとつで、汽車製造会社(現・川崎重工)による竣功写真だ。鉄道写真というのは長らくこうした「車両の姿を記録するもの」が正統とされていて、いまの鉄道趣味誌(車両を対象とするものが多い)もその多くは形式写真ないし「編成写真」で占められている。

形式写真にはいくつかセオリーがあって、高曇りの日に、足回りまで明るく、「シチサン」で、1エンド(「前」と定義される部分)が左、蒸気機関車であればメインロッドが一番下にある、電気機関車や電車であればパンタグラフが上がっている、窓が全部閉まっている、など、まさに建築の竣功写真と同じ感覚だ。

鉄道写真は、その趣味人口の多さから、さまざまな「鉄道写真」に分化した。「作品」を撮る個性的な写真家も数多く、web上でもいろいろな写真を見ることができる。しかし、建築については、関心を持つ人の多さに比べて、あまりにも、愛好家の間での写真が発展していないのではないか。



このように、遠近感が生じることを端から諦めているのは、いかがなものか。



などと考えても、建築は、被写体が大きすぎ、動かすこともできないし自分の立ち位置も限られるというように、制約があまりに大きいから、鉄道写真と同列に言うのは酷だろう。これは、私が橋や土木構造物の写真を撮るときにも常に感じていることで、どうやっても、やはり、「もっとなんとかならないのかよ」と悶絶するような撮り方しかできていない。

 
 

建築写真は「土木写真」とも通じる、写真表現としては、ひとつの完成した型はありながらも、まだまだ愛好家による「これから」が期待できる分野だと思う。そのためには、ダムや道路の写真のように、写真から読み取るのが目的「ではない人たち」がたくさん出てこなくてはならない。そういう写真が、もう少し、建築写真の中で勢力を持ってもいいのかな、と感じる。

建築写真の手法を他のものに応用する手法は、近年、多く見かける。いまや、アオリができる撮影システムでなくても、PCで簡単にデパースでき てしまう。デパースしたものを羅列して眺めると、本来のパースを捨象できるので、新たな気づきも出るし、その表現そのものが新鮮だ。もちろん、そこには人影はない。そんな写真の流れがあるのに、本家である建築写真に逆行しろというのも妙な感じがしないでもない。

いま、鉄道マニアではないごく普通の人も、「電車の写真」は日常的に撮っている。建築や土木も、そういう被写体になったら、もっと、建築の敷居は下がるのかもしれない。




かつての駅前商店から見える一に、ショッピングセンターがあった。その店名の書き文字にとても惹かれた。残念ながらすでに閉店しているようだが、かつてはこの建物にいくつもの商店が入っていたようだ。

側面の店名。「シ」「ン」の点を大きなマルにし、半濁音や濁音の点は小さなマルにするセンス。そして、自然に右下にサビが浮き、「右下シャドウ」のようになっている偶然。とても美しいと思う。


spcl.thnx 丸田祥三さん



新潟交通電車線味方中学前駅の跡に立つと、こんな「建物の裏」が見えた。「中澤商店中学校前支店」と書いてある。

表に回ると、少し薄くなった店名表示の上に「酒の中沢中学前店」という店名。「澤/沢」、「中学校前/中学前」とまったく一貫していないのがおもしろい。

より新しさを出すために店名を切り抜き文字にしたのだろうが、古い手書きのものもよく見えているので、かえって妙な感じになってしまった。

地図情報には載っておらず、GoogleMapsのストリートビューにもシャッターは降りているので、営業はしていないのかもしれない。


spcl.thnx 丸田祥三さん



新潟交通電車線の車両が保存されている月潟駅。真横から見ると、築堤と見える堤防の上の駅舎に向かって、斜面を斜めに横切る階段がある。その左には直登する階段があるが、柵がされている。

斜めに見ると、こう。踏み段は平行四辺形になっており、大変に登りづらそうだ。そのため直登階段を後付けしたように見える。

月潟駅はこのように保存されている。新潟に生まれ育ち、高校時代は電車線を毎日自転車で横切って通学していたのに、乗ったことがあるのは一度だけ。なんともったいかなったことか。そして、この保存を知っても、いままで一度も尋ねたことがなかった。なんと迂闊なことか。

この月潟駅はとてもいい空間なので、折に触れ、訪ねてみたいと思う。


special thanks 丸田祥三さん



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