ローカル線の駅前に延びる道をまっすぐいくと、突き当たりにこの「元店舗である倉庫」がある。傍らの電柱前には、昭和35年の様式による「徐行」。 後ろの電柱が建植し直されても、この標識は維持されたのだろうが、現在は電柱に寄りかかっており、錆が電柱を汚している。 後ろの建物の正面は全面引き戸、その上に「旅館・食堂 野田屋」とある。中央に縦書きで「名勝刊行案内 鳳来湖 乳岩」。右には「お酒を召すなら 酔翁」。この「酔翁」は、現在は高山の酒としての販売があるようだが、ここには「豊橋 仲六商店 醸」とある。かつて豊橋駅の南側に仲六という酒造家があったが、いまはどうなのかこれもわからない。 この、あまり奥行きもない建物が旅館だったとも考えづらく、向かって左の空き地に伸びていたのかもしれない。 この看板の「旅館」「食堂」の文字が、とても好もしい。 PR シュンクシタカラ湖という、知られた湖があった。そこを通り、かつ周回ルートになる林道があり、多くのライダーが訪れたはずだ。私も90年代に二回行ったことがある。しかし、2016年の台風で…だと思うが、そこに至る道が崩壊し、おそらくこのままになってしまうと思われる。その「入口」付近に、雄別炭鉱の炭住跡がある。 比較的人家が近いからか、荒らされたりはしていない。 何棟あったのだろうか。 1棟で8宅。 周辺には、近年、いくつか工場ができ、それが閉鎖された跡がある。そうした人たちの住まいにもなっていたりしたのだろうか。飲食店もあるし、グルメ情報サイトにも、いまのものではないと思われる情報のログがある。 平屋もある。 状況からすると、やはり無人のようだ。 布伏内中学校跡(ふぶしない)。ここにクルマが入っていった。見ると、校庭だったところに町営住宅が並んでいる。そのため、ちょっと入るのはやめておいた。 釧路市立阿寒中学校のサイトによれば、周辺には中徹別中学校もあったようだ。1969年に中徹別中学校が阿寒中学校に統合、2000年に布伏内中学校も阿寒中学校に統合。2009年に似々志別中学校も統合、現在の阿寒中学校は1・2年各1学級、3年2学級で74名だ。 |
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