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20091114cku-74-22_c2_67.jpg(国土画像情報よりcku-74-22_c2_67.jpgを転載・トリミング。1974年度撮影)

画面を上下に横切るのが鹿児島本線。
対角線を横切るのは筑後川(「ちっごがわ」と発音せよと佐賀人は言った)。
最下部が久留米駅の北端である。
ついでに、そっから画面右に向かって斜めに横切ってる線路はブリヂストンへの引き込み線。

主題はその橋。
4線並ぶうち、左から旧線上り・旧線下り・新線上り・新線下り。
新線は工事中である。画面左の道路橋(長門石橋)も工事中。

この旧線下り線の長さをよく見て欲しい。
画面上(北)から、短短短短長長長長短となっている。
短=100ftで汽車会社製、長=150ft桁で、この長いほうがアメリカン・ブリッジ製である。
また、下り線(右)はすべてトラス、上り線(左)は短がポニートラス、長がトラスである。


(1)1890年 九州鉄道として供用開始。
ウニオン製100ftポニープラット5+150ftプラット4。1914年撤去。
100ftポニープラットは4連が山鹿温泉鉄道に転用され、
そのうちの1連が水辺プラザかもとに保存されている。
(2)1913年 新橋梁(のちの下り線)供用開始。
汽車会社製100ftプラット5+150ftプラット4。1977年廃止。
(3)1942年 複線化、上り線を増設。

以下推測である。
(1)と(2)の間にタイムラグがあるので、(1)に並行して新線を架設。
新線開業後、旧線の桁を撤去。
(3)1942年の複線化の際には、旧線の位置に上り線を架設。
旧線と同じく100ftポニートラス5+150ftトラス4とした。
・・・という推測をしたが、どうだろうか。
1941年以前の航空写真など、ないだろうなあ。
『国鉄トラス橋総覧』を入手すれば解決する話かもしれん。

(3)の新線(上り線)は35年くらいしか
使われなかったということになる。
どこかに転用されたか?
今後の調査を待ちたい。つか調査しますがいつになるやら。

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20091112_ccb-75-33_c3b_3-R.jpg
(国土画像観覧システムよりccb-75-33_c3b_3をトリミング、転載)
東海道本線の大井川橋梁上り線は1912年に開通した。
約46年間供用され、1958年に新桁にその役割を譲った。
200フィートのクーパー型トラス(クーパーによる標準設計の曲弦プラットトラス)を
実に16連つらねていた本橋梁のうち、いくつかの桁は転用された。

・長良川鉄道第5長良川橋梁
・越美北線第1九頭竜川橋梁
・京葉臨海鉄道村田川橋梁
・京葉臨海鉄道八幡運河橋梁
・米坂線第4荒川橋梁(旧桁は水害により流出、その架け替え用)

また、『歴史的鋼橋集覧』では
・神岡鉱山専用線高原川橋梁(1965年頃開通)
もその転用とされ、
『明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状-----米国製トラス桁その2-----』
では「?」がついた推測としているが、
下記の写真を見れば1980年の時点で16連中11連が残存しており、
ここから5連しか転用されていないことがわかる。
真実はどこにあるのだろうか。


残りの桁は1983年ころ撤去されたようである。
10月1日にアップした樽見鉄道揖斐川橋梁に掲載している写真には、
その奥に白いダブルワーレンが見えている。
それは1887年に開通した単線時代の東海道本線が使っていたもので、
1885~1886年パテント・シャフト製である。
1908年に複線化された際に道路橋に転用され、現在も使用されている。
このパテント・シャフトの橋については別の機会に書こうと思っているが、

1908年から使用された複線の橋梁が、アメリカン・ブリッジ製であった。
1906年製のパーカートラス(放物線状の曲弦トラス)だったというが、
とりあえず斜材と垂直材を明確に見分ける写真が発見できない。

クーパーとシュナイダーが日本向けに設計した橋梁はすべてプラットトラスであり、
かつ複線型下路200フィートトラスは5連しかない。
即ち本橋梁のことである。

ここでは、国交省の航空写真を掲げる。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/ccb-75-27/c14/ccb-75-27_c14_25.jpg
からのトリミングである。
20091015.jpg































画像下部に三つ平行して架かっている橋は、
上から初代、二代目、三代目である。
初代は前述のとおり現存。三代目は現役。
中央の二代目だけが撤去されている。

『鉄道ピクトリアル』1984年8月号「トラス橋の魅力」を眺めていたら、
その二代目の撤去中の写真が掲載されていた。


航空写真を見ていると、揖斐川中には橋脚が三つ。
うまく配置することで、二つにできるのではなかろうか。


こうして書き始めると、撮ってない写真があまりに多くて愕然とする。
被写体を深く知らなければ撮れない、ということを痛感する。
ここは再訪しなくてはならない。




20091013-1.jpg





















富山県の神通川河口付近に位置する、新神通川橋梁。
上流側、高山本線の橋梁が、アメリカン・ブリッジ製である。
この写真は左岸から撮影している。


20091013-3.jpg





















ピントラスのもっとも美しい部分はココだと思う。

200フィートの単線プラットトラスが6連。
ロングスパンゆえの、シュウェドラートラス。
上弦中央の3パネル部分が直線状になっている。
シュウェドラーは、少し垂れ下がることもあるようだが、
アメリカン・ブリッジの日本向け桁はすべて直線である。

さて、このトラス桁の出自には2説ある。
歴史的鋼橋集覧には小西純一氏の記述で「1907年製」とある。
一方、土木構造物の教科書的な小野田滋氏の『鉄道構造物探見』では、
「1900年に御殿場線に架けられた~を転用した」と書かれている。
どちらも大家の書かれた文章である。
一次資料にあたるまで、どちらを信じていいのかわからない。


ここではその謎は置いておき、この地に架設されてからのことを書く。
この新神通川橋梁は、元は北陸本線用の桁であった。
北陸本線複線化の際に下流側に複線トラスを増設し、
北陸本線をそちらに移設、この橋梁は高山本線用とした。
それまでどうしていたかは調べていないが、北陸本線と共用していたのだろうか。
国土変遷アーカイブスにある写真を見ると、そう見える。


20091013-2.jpg





















画面右側(上流側)にある橋脚は、北陸新幹線用であろう。
ということは、北陸新幹線の工事が進み、あるいは開通した時点では、
この6連の曲弦プラットトラスはこのように見えなくなる。

この写真は土手から撮影したが、実は非常に厭な体験をした。
土手の上にある資材置き場のような広場にクルマを停めたら、
そこに監視カメラがあり、「ウィ~~~~ン」という音と共に
監視カメラがこちらを向いたのである。
カメラの場所は変わらないが、水平方向に360度回転し、もちろん上下に首を振る。
クルマから降りた私を追尾するのだ。

そこから離れ、一番上の写真を撮ったときも、土手の上からカメラが私を見ていた。

不法投棄でも、北陸新幹線工事の妨害でもない。
単なる写真撮影だけである。
いっそ、監視カメラに黒い幕でもかけてやろうかと思うくらい(そのくらいの高さである)
厭な体験であった。
世の中に、なんと紀ノ川橋梁についての誤記が広まっていることよ。


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