忍者ブログ
[7] [8] [9] [10] [11] [12] [13]
青函連絡船の本は多数刊行されているが、いずれも船舶、運航、ヒューマンドラマが主題であり、営業についてはなぜかほとんど触れられていない。ネットで検索しても、わずかに函館市史の記事がヒットするだけであり、あらゆるものが転載されているネットにない、ということは、まとめて発表された記事がほとんどないのではなかろうか。青函連絡船のそれに関心を持つ人はごく少ないことも一員だろうが。

函館市史のそれは、こう書いてある。「連絡船の営業成績は低下の一途で営業係数は昭和55年の227から58年の292(100円の収入を得るのに経費が292円)にまで下がってきていた。この58年度の赤字は238億円だったという」

いくつかの正史を図書館で見ても、乗客数やトン数こそあれ、営業的な数字は掲載がなかったのだが、『航跡 青函連絡船70年のあゆみ』に掲載されているとの情報をミリンダ細田氏(鉄道友の会秋田支部)からいただいたので転載し、先の函館市史のものも加筆する。

(表がうまく表示されないので、見づらい点はご容赦ください)


年度     旅客    貨物    収入    経    差し    収支
         収入    収入    合計    費    引き    係数
昭和45年度    32    76    108    126    ▲18     117
昭和46年度    34    85    119    129    ▲10     108
昭和47年度    36    79    115    143    ▲28     124
昭和48年度    36    68    104    159    ▲55     153
昭和49年度    38    72    110    206    ▲96     187
昭和50年度    38    75    113    238    ▲125    267
昭和51年度    39    85    124    267    ▲143    215

昭和55年度                                                      227
昭和58年度                                        ▲238    292


となる。上記から推定するに、昭和50年度から62年度の13年間での赤字額は2500億円を超えるだろう。その数値と、さまざまなことを比較するには私の手元ではあまりに数値が足りない。

こうした数値がわかる資料が掲載されている雑誌等、ご存じの方はご教示いただきたい。

【2016/3/4追記】
・資料をご提供いただいた細田氏からは「定時運行に固執するあまり、高速性を最重視し、経済的な重油ではなく軽油を燃料にしたことも一因ではないか」「旅客輸送量のピークは昭和48年」とのコメントをいただいた。
・昭和49年度から、経費が激増している。第一次オイルショックは昭和48年10月から翌年1月までの3カ月で、原油価格は3.9倍となった。それを背景としたのが「狂乱物価」で、総合卸売物価は昭和48年で15.6%、49年で31.4%上昇、消費者物価指数は48年で11.7%、49年で23.2%上昇。対して、運賃値上げは49年に5年ぶりに行われた(青函連絡船の運賃の変化は未調査)。
・経費の内訳が、燃料代なのか人件費なのか、知りたいところ。オイルショック後であるだけに。

さんのご教示によれば、昭和63年3月7日の第102回衆議院予算委員会第七分科会(P49)において、運輸大臣官房国有鉄道再建総括審議官・棚橋泰氏が「(昭和)58年度で青函連絡船の赤字は237億くらい。青函トンネルができたら、ランニングコストだけでの収支では約90億の赤字。青函連絡船を停止して青函トンネルに移行しても、赤字が縮減するだけ(なので、両立は難しい)」という旨の発言をしている。当時はそのように見積もられたが、北海道新幹線函館開業にあたり、年間の青函トンネル維持コストは約8億と発表されている。このあたりは、なにをどう計上しているのか、経済の専門家のご教示をいただきたいところ。





PR

九十九里の桟橋にいたバージの側面に、60度ほどの同心円が刻まれていた。そこに垂れた鎖が刻んだ溝。それほど長い年月でもないだろうが、それでもこうなってしまうほどの揺れ、風に晒されるということか。


●関連項目
大滝工務店「いわき」の起重機


大滝工務店の押航多目的起重機船「いわき」。巻揚力150トンの浚渫・砕岩兼用船だ。


その起重機(クレーン)の回転部分。台座との間にはコロの役割円筒の上面を小さな車輪がびっしりと並ぶ。台座上面の鍔の裏に引っかけるようにして車輪がある。旋回の動力源と直接の機構はなんなのだろうか。機器室上部に煙突が見えるので、ディーゼルエンジンを搭載しているのだろうとは思うが、その先が、ミッションなのか油圧なのか電動なのか。

乾板には浚渫用のグラブが置いてある。ここでは消波ブロックを搭載し、それを据え付ける作業でもするのだろうか。

「いわき」の特徴は、その後部にある。本船には推進用動力はないので、移動する際にはプッシャーに推してもらうことになる。プッシャーの舳先を押しつけるためのU字型の構造がある。

この押航多目的起重機船「いわき」の諸元と図面はこちら。
http://www.otaki-komuten.com/crane_barge.html









日帰り佐渡ツーリングの帰りの便は、おけさ丸だった。両津では船首から乗り込む。


美しい。


バイクは船尾まで走ってそこで固定された。タイダウンの油染みが年期を感じさせる。甲板はそれほど傷んでいない。

 振り返れば車輌甲板。まだクルマは乗ってきていない。

そして。

新潟港着。船尾から出る。



マラソンランナーたちは、この便より1本前の便で大多数が帰ったようで、今度は2等船室でゴロ寝することができた。



●関連項目:佐渡汽船 ときわ丸のディテール
2014年4月8日、佐渡汽船の新潟~両津港路にときわ丸が就航した。それまでの佐渡汽船の船体と異なり、青く塗られている。4月27日にバイクで乗船した。

フェリーターミナルまで自宅から徒歩でも行けるくらいなのだが、早朝、家を出るつもりだった時刻に目覚めてしまった。一瞬で身支度し、バイクに荷物を積み、20分後にはフェリーターミナルにいた。

でかい。総トン数5300トンなので、北海道航路などよりは小柄ではある。このクラスだと、かつて乗った東京~那覇航路がこれくらいか。(この写真は両津港にて)

新潟港では、船尾から乗る。

航走の醍醐味は車輌甲板。まだ塗料の臭いがすごい。

 ちゃんとバイク置き場もあるのが嬉しい。

タイダウンもチョック(輪留め)も新しい。たぶん未使用。

船尾のゲートは閉じるとこうなる。

この甲板が、これから10年、20年と使われていく。おそらく20年以上後、60を過ぎたぼくが、またこの甲板に入るはずだ。

これはなんだろう?


両津港では船首から降りる。 



この日、佐渡でマラソンが行われるということで、早朝の便はごった返していた。新しい船だけあって、ホテルのように気持ちがよかった。


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア