『日本の廃道』『旧道倶楽部』の永冨謙さんが、すばらしい本を出された。こういう本を待っていた。まずは、この本を刊行されたイカロス出版および担当編集のOさんにお礼を申し上げたい。
この本で採り上げているのは次の5人だ。 ・土倉庄三郎(紀伊半島・熊野周辺) ・天爵大神・水谷忠厚(愛知・岐阜・福井周辺) ・禅海和尚(青の洞門) ・増田淳(橋梁設計者) ・村田鶴(隧道設計者) それぞれ重要な人物なのだが、土倉庄三郎と村田鶴が、とくに永冨さんの琴線に触れるふたりなのではないかと勝手に考えている。私も、永冨さんに感化されて関心を寄せていた一人だ。 2008年11月、永冨さんと平沼義之さんの共著として『廃道本』を刊行した。読売新聞が著者インタビューを掲載してくれるというので、担当記者とともに永冨さんを訪ねた。11月20日のことだ。 どこでインタビューしようか。どういうインタビューにしてもらおうか。思いついたのは、村田鶴の話だ。『廃道本』でも村田鶴のページを設けている。利用者と工事関係者の『道に込められた思い』のうち、とくに後者の話に、村田鶴がうってつけだと思ったからだ。当時、村田鶴に関して、まだまだ未知の部分があったから、これをきっかけに何かが動いてくれるかもしれない、という期待もあった。また、「直接の設計者は無記名である」ということも、道路にとってはとても大切なことなのだという思いもあった。 そこで、大阪住まいの永冨さんに米原まで出張っていただき、永冨さんが「発見」した佐和山隧道をバックにお話を聞き、撮影をした。 . ほかにも永冨さんにご案内いただいていくつか隧道を回った。 谷坂隧道。詳細は永冨さんのサイトにお任せする。11月だというのに雪が積もっていた。しかし、日も差していた。 谷坂隧道開鑿記念之碑。 このときは知るよしもなかったが、のちに永冨さんが谷坂隧道竣功記念写真帖を見出し、そこで初めて村田鶴の写真と対面したという、記憶すべき隧道だ。 これらの取材が終わり、記者は一足先に東京に戻ったので、私と永冨さんで食事をした。そのとき、永冨さんがポツリと言った。 「どくらしょうざぶろう、って知ってますか」 私は知らなかった。聞けば、信じられないレベルの大金持ちで、自分の財産だけで数十kmの道路を造ってしまった人らしい。あまりにスケールが大きくて、全貌をつかむのも一苦労らしい。そういう理解をして、その日は別れた。 後日、『日本の廃道』で『熊野街道Odyssey』と題して怒濤の連載が続く。正直なところ、あまりに複雑で、いまだにうまく把握はしていない。地図と首っ引きで見ても、憶えられない。それだけのスケールの物語が、70ページ弱に凝縮されている。ぜひ2万5000分の1地形図を用意して、首っ引きで地図を舐めながら読むことをおすすめしたい。 話を村田鶴に戻す。 かねてより、永冨さんは「村田鶴のことを知る手がかりが、もしかしたら向こうから来るかもしれない」という気持ちで活動してきた。『日本の廃道』すらも、そのためのものである、という気持ち。それが、ついに実を結んだのは2011年になってからである。 2010年8月の『廃道ナイト2』の時点では、まだまだわからない点が多すぎた。その時に上演されたフラッシュがアップされている。村田鶴がどんな人か、永冨さんがどれだけ惚れ込んでいるか、それを知る者には涙なくしては見れないフラッシュだ。実際に、会場では泣いてる人が何人もいた。私を含めて。 http://www.kyudou.org/KDC/murata2+.swf そして、このイベントが縁を結んだ。村田鶴のご子息と連絡がついたのだ。その成果がこの本に収められている。 黙して買うべし。 PR |
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