2011年12月16日。ふたつのできごとがあった。
ひとつは、北海道の国道452号線の、大夕張ダム工事に伴うルート切り替え。これによって、三弦橋が間近で見られなくなる。そして、三弦橋はやがてダムに沈む。 もうひとつは、急行「きたぐに」の廃止だ。 まずは三弦橋から。 あまりにも有名なので、この橋についてかくことはない。個人的な思い出だけだ。 この夏、10年ぶりの北海道キャンプツーリングにどうしても行きたかったのは、三弦橋を見ておきたかったからだ。かつて、なんどもこの横は通ったし、いまは通行止めになっている林道から俯瞰したりもした。『廃線跡の記憶2』の表紙になっている地点にも、行こうと思えば行けた(が、行っていない)。当時は、とくに強い関心もなく、「ああ、三弦橋だ」くらいにしか思っていなかったからだ。これが見納めになるか、大夕張ダム完成後もなんらかの形で見ることができるのかは、まったくわからない。 自分としては、餞のつもりでこの写真をアップする。 ルート切り替えについては、サイト道道資料北海道が詳しい。 「きたぐに」は、新潟に住んでいた子供の頃、よく見ていた。だが、乗ったのは一度だけ。1987年8月、高校1年のとき、妙高山縦走の帰り、直江津駅で1泊して翌朝の「きたぐに」で帰ってきたときだけだ。既にその当時、鉄道趣味から離れていた。 この春、友人たちと「きたぐに」に乗ってきた。人と鉄道旅をするのは初めてに近い。新潟駅集合、大阪駅解散。不思議な旅だった。その時の写真が上のもの。 乗車1ヶ月前の同日、窓口に行くと「下段は全部埋まっている」。本当かよ、どうせ団体枠だろ…と思いつつ、上段2枚と中段2枚を取った。当日、私は上段へ。 この狭さ。身体が硬いので、狭いところは嫌いなのだ。でも仕方がない。硬直したまま眠った。 さて、ここから約30年前に戻る。 14系時代の「きたぐに」の写真があった。新潟駅で撮ったもの。アルバムに収録してある前後の写真からして、越後線電化(1984年4月)前後らしい。 テールマークは「急行」である。今日、@shangri_la_19_oさんに教えていただいたのだが、かつて『鉄道ファン』誌にイラストのトレインマークが掲載されていた(ペンギンモデルのシールとして存在する)。それは、どうやら実在の物ではなかったらしいのだ。しかし、小学校高学年の私は、嬉々としてそのトレインマークを描いていた。まさか、「ウソマーク」だったとは。証拠に(なるかはわからないが)ここに写っているのは「急行」の2文字である。 1982年11月14日まで、「きたぐに」は10系寝台車と12系座席車だった。新潟駅8時55分着ということもあり、明るい日差しの元で何度も見たことがある。柏崎に親戚がいた私は9時13分発の「赤倉」に乗ることが多く、これに乗ろうとすると「きたぐに」が見られるのである。そうした写真も撮っていたはずだが、ちょっと出てこない。 上の写真は、おそらく運転最終日、1982年11月14日のものである。おそらく、というのは、前後に、11月14日21時新潟着の181系「とき23号」の写真が写っているためだ。新潟発の上りは21時23分発なので、時間的にもつじつまが合う。 「きたぐに」は、1985年3月改正で583系になった。そのニュースを聞いたとき…『鉄道ファン』で読んだ時の衝撃のほうが、今日「廃止」と聞いたときよりも、ずっと大きい。それは、歳とともに鈍感になっていくから、というよりも、「廃止」は後ろ向きの話だが、583系化は前向き、グレードアップの話だからかもしれない。 思わぬところで29年前を思い出した。もう「きたぐに」に乗ることもないだろう…と思いながら2月あたりの平日に座席車に乗ってみたいものだ。 PR |
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