長野隧道(1) (国道163号/三重県)
長野隧道(2)昭和隧道東側坑口 (国道163号/三重県) 長野隧道(3)昭和隧道西側坑口 (国道163号/三重県) のつづき。 ここで、現在のルート、新長野トンネルを見る。 東側。左に行くと、(2)で見た東側坑口に至る…のだが、もともとの道は画像左に見えている道ではなく、新トンネルの坑口すぐ左に入っていく道が本来のルートであった。それが、いま画像左に見えるルートに付け替えられたのだ。それにともない、祠が移設されていた。 . 新長野トンネル。坑口周辺の、地山の押さえつけがすごい。山を切り刻み、そこに坑口を穿ったような印象を持つ。坑門の形状の落ち着かなさは異常。向かって左は上も下も斜めにカットされてるし、向かって右は下だけがカットされ、とってつけたような翼壁がある。そして、上部のワッフル。坑門の意匠としては、相当「ダメ」なんじゃないか? 扁額は、肉筆のように見えるけれども銘はなし。 銘板。 新長野トンネル 2008年3月 延長1966m 巾7.0m 高さ4.7m 施工 株式会社大林組 清水建設株式会社 日本土建株式会社 冒頭の画像の左の道に入り、振り返った図。 画像中央に新長野トンネルの翼壁が見えている。 画像左の道が、本来のルート。これを、画像右のものにつけかえている。そして、このつけかえルートも、(旧)長野隧道廃止とともに主たる役割を追えた。いわば、仮設された国道。新長野トンネルが完成したら用済みとなる国道。とはいえ、橋がかけられ、画像右端のように山を切り崩した法面はコンクリート吹きつけで保護されている。 一足飛びに西口へ。 (旧)長野隧道西口坑口付近、南側に駐車場がある。そこに石碑が建っている。 道路開鑿紀念碑 明治十三年十一月十二日 起工 明治十八年六月十五日 竣功 つまりこれは、石造りの長野隧道(1) (国道163号/三重県)の記念碑である。しかし、この碑の周辺には旧旧長野隧道の案内はない。実際には、碑から道路を渡り、北側の斜面を登り、道なりに行くと旧旧隧道の西側閘門が土砂に埋没している場所に至る。そのあたりの経緯は『廃道本』をご覧いただきたい。 これは、さらに古い道。旧旧旧長野峠越え道とでも言うべき道。 「従是 旧長野峠道 大山田村」という石柱がある。これは、明治の旧旧長野隧道より以前に使われていた長野峠越えの道だ。もちろん、これをたどれば東側に到達する(はずだ)。 さて、ちょっと外れてR163の道路改良跡。 こういう地図にも道路改良跡が反映されているのもすごい。 路肩もない国道163号、それを直線的に改良し、余ってしまった(?)部分は歩道にもせず植栽部分と、意味不明な部分に分かれている。 旧ルート部分、ぶった切られた黄線が生々しい。そして、現道との段差部分の法面、これはきっと土を入れて斜めに突き固めてあるんだと思うのだが、そのまま草も生えずにあるのが、いかにも突き固めた跡に見える。 そして、オニギリは旧ルートにあるまま、移設していない。なぜだ。 なお、一連の記事のうち、2010年撮影のものは『廃道 棄てられし道』の撮影のために現地を訪れた丸田祥三氏に乗せていっていただいたものだ。深く感謝申し上げます。 PR |
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