もう3年も前になるのか、引き続き漫画/『カレチ』を書いたのは。
ずっと週刊モーニングで楽しみにしていた連載。しかし、だんだん息が詰まるようになってきた。鉄道を扱う漫画の宿命かもしれないし、はじめのころに、綿密に設定された舞台装置を作り込みすぎたからかもしれない。ネット上では、なるべくして「実際にはありえない」「こうだったんじゃないか」「これは○年○月の話か」のような、現実のことを「ファン」が語り出すようになってきた。 いつか書いたけれど、私は、こういう作品に登場する列車や時刻は、架空のものでもかまわないと思う。舞台は昭和40年代後半から昭和50年代前半、当時のダイヤを憶えている人はそれなりにいるとはいえ、読者の大半はそれを知らない世代か、そんなことを憶えてもいないだろう。臨時列車が立ち往生するエピソードなんかでは、その日にその列車が走っていたということまで目くじらを立てて読む人が、何人いるだろうか。そんなことは放っておいて、存分にエピソードを創作すればいいと思っている。 第4巻の第31話まではリアルタイムで読んだ。そこまでは、上記のような感想を持っていた。とくに第30話「ドア扱い」で現代が舞台になったとき、なんで舞台装置がこういうことになるのかな…と危惧した。以後、ちょっと週刊モーニングを読む機会がなくなってしまい(買えばいいのだが…)、第32話と第33話はコミックスで初めて読んだ。 …安心した。 とくに第33話、堀之内のエピソードなどは、第32話の列車トリックのような組立と違い、とても漫画的な、いい話だと思う。 しかし。 この「帯」は。 連載当初とは違い、週刊モーニングもすぐに「これがプロの仕事だ」というような、自己啓発本といおうか、ビジネス書というか、そういう煽りをつけるようになった。帯には「読むとプロ魂が宿る。」なんてキャッチが躍っているが、この本を読んで「おれも、与えられた、好きでもない職務を全うするぞ!」なんて思い立つ奴がいるのか。この、労働がものすごく流動化して講談社の漫画編集部もそんな感じ(伝聞)の世の中で。そして、そもそも、作者はそれを目指して描いているのか? いや、話を作るならば「プロとは」のような展開はやりやすいだろう。それはよくわかる。でも、それだけでは辛気くさくてかなわない。その方向で続ければ、時代設定からして、組合関係も話で拾わなければならなくなる。戦後の労働問題の総決算のような国鉄の組合運動は、いまの世の中では理解しがたいことばかりなので、描いても読者に背景まで含めた正しい理解をされない可能性が高い。私は、ある程度は安穏としてエピソードでいってほしいと思う。 第4巻でいえば、「プロとは」の話は第27話、29話、30話、31話。「漫画らしい」内容のあるストーリーは、第28話、32話、33話。異論はあろうが、私はそう読んだ。 ひとつだけ、納得がいかないことがある。いつの間にか結婚している主人公だが、妻を「ちゃん」づけで呼んでいる。昭和50年代前半とは、そんな時代だったのか? 現代でも違うよな。これは私の好みかもしれないし、見聞が狭いだけかもしれないが、結婚して妻を「ちゃん」づけで呼ぶ夫婦は「幸いにして」知らない。そんな夫婦は気持ち悪くてしょうがない。 PR |
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