「硬券」「入場券」というものに憧れがあった。実家の最寄り駅、という言い方が正しいかどうかわからないが、バスで20分ほどで着くのが新潟駅だった。直線距離では2kmくらいだ。新潟駅では、昭和55年の段階で、すでに硬券は全廃されていたと思う。何度か窓口で買ったり、あるいは尋ねたりしたが、「ない」と言われた。
おそらく、初めて買ったのは昭和56年5月の越後線巻駅ではないかと思う。しかし、いま手元にそれはない。もっとも古いものは、昭和56年8月3日の坂町駅だ。当時「鉄道少年団」というものに入っていて、その合宿で中条初年自然の家に行き、その帰りに買ったものだ。「乙まんじゅう」もそのときに初めて知った。 あまりあちこちへ出かけることができたわけではないが、それから、出先で入場券を買うようになった。「通販で買える」と知って、廃止対象路線の駅に手紙を送って買ったものもいくつかある。 きっぷの日付は、メモ代わりになる。この新潟駅の入場券は、新幹線開通を記念して特別に硬券を発売したもの。以後、そうした目的用に常備するようになったと記憶している。 日付は昭和57年11月17日。この日に新潟駅に行っていたことは、記憶にない。14日にいたのは11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~などに書いた通り。翌週、11月21日には鉄道少年団の企画で上越新幹線で高崎まで往復した。その合間、17日、計算すれば水曜日だ、この日に新潟駅に行っていたとは。おそらく新幹線を見に行ったのだろう。 昭和59年8月20日。これは、自転車で新潟から柏崎の親戚宅まで行ったときだ。日付は憶えていなかったが、こんな、お盆の後だったのか。お盆までは部活部活で、8月後半はオフだったのかもしれない。 新潟から柏崎までは約90km、国道116号の、雑草の生えた歩道はいまでも憶えている。国道8号に入ると妙に嬉しくて、♪8号線~、8号線~、などとヨッキさんの「三島通庸の歌」みたいなオリジナルソングを歌っていたのも憶えている。順調に6時間くらいで到着し、あっけなかった。昼過ぎに親戚宅に着いてしまい、時間を持て余したのも憶えている。 あれ? このとき、吉田周辺のどこかのカメラ屋で、見たこともないモノクロフィルムを買った記憶があるのだが、このときの写真なんてあったっけ…? 翌日はなにをしていたのだろう? 翌々日の8月22日は、青海川~笠島あたりの信越本線の廃線跡に行った。何度かクルマで通ったことがある米山大橋も自転車で渡り、「走って揺れるんだな」と思った。直江津側のどこまで行ったか忘れていたが、潟町まで往復したのだな。 その帰り。8月24日。そうか、親戚宅に4泊もしたのか。柏崎から長岡まで、自転車とともにクルマで送ってもらい、長岡から各駅に立ち寄りながら走った。 そんなことも思い出させてくれる。旅の記念品というものを買わないので、きっぷだけをとっているけれど、こうしてみると記念のものって大切だなと感じる。 いろいろと、記憶がなくなる前に記しておきたい。 PR |
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