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20101205-01.JPG山梨県早川町、井川雨畑林道から見える稲又川橋(仮)に、丸田祥三さんと行ってきた。丸田さんはすでに3回目、私は初めて。私が見たいと言っていたら、連れて行ってくださった。ありがたくご厚意に甘えて丸田号の助手席に収まる。名称を「(仮)」とするのは、文末に掲げた報告から考えて、もしかするとここにはのべ三つの橋が架かっていたかもしれない、などと思ったからである。

この稲又川橋(仮)。丸田さんが「ぜひ見てほしい」と仰っていただけのことはある。「山行が」と丸田さんの作品で、橋の概要は知っていたつもりだったが、自分の目で立体的に見て驚いた。怖気が走ったと言っていい。怖い。真下をくぐったり、見上げたりするのはもっと怖い。


この橋は、mixiの「山行がコミュ」で存在が明らかになったものだという。詳細はよっきれん氏のレポートをご覧いただきたい。<前編><後編> 同時に、発見者である「明日、本栖湖集合!」さんに感謝申し上げる。

蛇足になるかもしれないが、「丸田祥三氏は、自分が撮った場所と同じ場所で撮った他の人を訴えた」という大きな誤解がなされてる。事実はその逆で、丸田氏はデビュー当時から、電話や手紙で聞かれるがままに読者に撮影場所を無数に教えている。訴えた内容は、「同じ場所で撮るな」ではない。詳細はこちらをご覧いただきたい。

このレポは発表されたときに拝読し、その後何回か拝見したが、今日行く前にはチェックしなかった。それでも、帰宅後に自分の撮った写真と見比べると同じところを狙ったカットが多いのがおもしろい。

場所はここだ。







対岸からは、冒頭のように見える。見るからに危うい。

20101205-02.JPG隣接する、数段高い新橋の上から見下ろす。鈑桁は外側にはスティッフナーがなく、内側のみである。

20101205-12.JPG袂まで下りる。道中、路面は、つい先日まで川底であったかのようにグズグズだ。

桁のよじれっぷりがわかるだろう
。写真左手が稲又川の上流、右手が下流である。稲又川は雨畑川に合流し、早川に合流し、富士川に合流して太平洋に注いでいる川だ。

左右の主桁上部には、コンクリートを固定していた痕跡がある。そして、主桁のフランジ部分には多数の岩礫が乗っかっている。そして、桁の左側には、対岸の廃橋脚が見えている。

20101205-13.JPG対傾構も歪んでいる。よほど強い力が加わったか。この高さまで水かさが増せば、浮力で桁が浮き上がり、そこに水圧が加われば、通常は橋脚に「乗っかっているだけ」の桁など移動してしまうだろう。

20101205-07.JPG河原まで下りて、対岸の橋脚を見る。左上に見えるトラス橋は、1983年8月日本鋼管製の稲又川橋(現在線)である。

20101205-11.JPG河川敷から、突端。「ひっかかっているだけ」感がすごい。桁の下にいると、ものすごい圧迫感がある。

20101205-10.JPG主桁。これが曲がっているのだ…。

20101205-08.JPG反対に、突端側から。

20101205-09.JPG橋脚の袂には、林鉄用とおぼしきレールが引っかかっていた。


このような稲又川橋(仮)だが、どうしてこうなったのか。私なりにググった結果はこう。

●1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で、ここは10mの土砂に埋め尽くされた。(出典:ADAMSさんのページ
●1982年(昭和57年)~1985年(昭和60年)の間に破損した橋梁のリストには、「稲又」に類する名称の橋はない。(出典:国交省甲府河川国道事務所の資料
しかし、
●1982年(昭和57年)の台風10号、18号、1983年(昭和58年)の台風5号により、雨畑川では、台風10号の総降雨量603㎜最大時間雨量49㎜、また、台風18号において総降雨量468㎜最大時間雨量31㎜となり、1982年には約160万立米、1983年には約180万立米という大量の土砂が流出した。この土砂の流出により、当該事業付近においては 河床が10mも上昇し、上流集落の唯一の生活道である県林道の稲又橋を埋没させるという状況が発生した。(出典:国土交通省関東地方整備局富士川砂防工事事務所による稲又第三砂防堰堤工事報告を要約)
●この廃橋の下流に、平行する3本の鉄骨が刺さったコンクリートの塊が放置されていた。それがこの廃橋の桁でないことは明白だったので、撮影しなかったのが本当に悔やまれるのだが、どうやらそれが「稲又川橋」の橋脚だったらしい。(出典:山梨河川研究会の写真


疑問をまとめる。
・「稲又橋」「稲又川橋」という二通りの表記があるが、これは単なる誤記なのか、それとも別々の橋なのか。
・現在の橋は「稲又川橋」・
・稲又川橋(仮)下流に横たわっている鉄骨橋脚は、果たしてどの橋の橋脚なのか。

不可解な点が多い。よって、表題を「(仮)」とした。他意はない。航空写真が1/15000であり、不鮮明であるのが非常にもどかしい。

冒頭のとおり、丸田さんは今回三度目の探訪。そして、二度目の探訪時にものすごいカットをものにしている。同じものを撮れと言われても無理。ありえな い。同じレンズ使ってもできない。ものすごい。写真集に掲載するのはそのカットになると思うので、今回はヨッキれんさんと同じカットにせよ、私は私 が撮ったものとしてアップする。レポートとしては丸田さんが出てこなくて恐縮だが、いっしょに河川敷で撮影を重ねた。

また、今回、これ以外に廃隧道1件とかつて車道だった堤を取材した。
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