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大変遅ればせながら、2017年10月14日にくびき野レールパークに行ってきた。頸城鉄道の車両が「発見」されてから10年以上。あのときの衝撃は忘れられない。とはいえ、知る人ぞ知る存在ではあったようで、公開日の記念トークショーでは、そうした秘話が披露された。おそらく、公式には残っていないだろう記録。関係者の、さまざまな努力、そして他者による詮索・中傷を乗り越えての動きに、心から敬意を表したい。

動態保存されている各車には何度も乗った。興味深かったのは、機械式気動車・ホジ3のシフトだ。機械式気動車のシフトレバーは、前後の運転台のものがリンクでつながっていて、一つの変速機につながっている。よって、一端の運転台で操作していると、他端になるシフトレバーも動くのだ。それを動画で撮影した。


知らない人が見たら驚くかもしれないし、あるいは興味を持たないかもしれない。キハ07のシフトリンケージを下記に記す。
 
(『ある鉄道事故の構図』坂上茂樹・原田鋼著・日本経済評論社刊/「礒田前掲書」とは、『ガソリン動車の故障手当 附ガソリン動車の燃料を如何に節約するか』礒田寅二著・大教社出版部1940年刊のこと。礒田は神戸機関庫助役等を経て宮原機関区長)

これと全く同じではないだろうが、概念としては同じだろう。なお、クラッチペダルは、キハ07の場合はどちらを踏んでもOKだが他端には影響しない。

さて、このホジ3。逆転機の操作は床下で行う。


動態保存における体験乗車では、短い距離を走るたびにこれを繰り返す。運転士の苦労は相当なものだ。
 

また、床下補機の動画もアップする。

 

実際の保存運転の動画はネット上に多数アップされているので、そちらをご覧いただきたいが、なにより実物を見るのが一番だろう。

* * *

 
当日は、NPO法人くびきのお宝のこす会結成十周年を記念して、記念式典と紙芝居講演、そして記念座談会が行われた。レポートは鉄道ジャーナルに栗原景氏が記載しているが、ここも少し触れたい。

座談会は、下記の5名の方による予定だった。
 岡本憲之氏(せんろ商会、車輌の紹介者)
 曽我部俊雄氏(フルヴィアート、車輌購入者のご子息)
 樋口隆夫氏(サンコーサービス、車輌の運搬責任者)
 下間一久氏(お宝のこす会、前会長)
 市川義雄(お宝のこす会、現会長)


しかし、曽我部氏が、ご高齢ということもあり、体調があまりよろしくないということで欠席となった。代わりに、お手紙をくださり、それを朗読する形となった。


この講演では、市川氏の進行の元、岡本氏による保存鉄道や軽便関係者の「発見」以前の話や、レストアを請け負った樋口氏による細かな話、下間氏によるNPO法人としての活動の話などが交わされた。

レールパークのオープンには、タイミングがあった。上越市と合併してしまえば、勝手なことはできなくなる。頸城村であるうちに進める必要があった。それができるタイミングだった。そうはいっても頸城村(当時)側は、保存はおろか、鉄道についてすら門外漢ばかり。それをとりまとめ、藪と化していた現在地を整備し、外観の補修だけではなく動態化にこぎ着けたという地元の熱意には、敬意というよりも驚きしかない。それに陰ながら多大な協力を惜しまなかった、保存鉄道の愛好家たちの力は非常に大きいだろう。

六甲山中に頸城の車両が眠っているということは、古くからの好事家の間では知られていたようだ。車両を引き取った曽我部氏の父が、知人の新聞記者に見せた際に写真を撮られ、それがアサヒグラフ(だったと記憶)に掲載されてしまったことがあるとか。公になったのはその一件だけだが、それでもそれなりの数の目に留まったようだ。

レストアの話も興味深かった。しかし、あろうことか、当時メモせずに数ヶ月も経ったため、質問してお答えいただいたことすらおぼろげになってしまった。

ラスト、残念ながら来場できなかった曽我部氏からの手紙が朗読された。非常に貴重かつユーモアに富んだ内容で、お父上の信念、構想、無念、当時のご家族の姿などが活写されていた。その遺志を受け継いだ頸城村のすごさ。いままでは、年に数回しか公開しないということもあって、なかなかタイミングが合わずに訪問できなかったのだが、できるだけ訪問しようと思う。

曽我部氏による頸城鉄道に関する記述はこちら。
フルヴィアート>日々雑感>頸城鉄道














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昨年は大晦日も元日も仕事で、まったくそれどころではなくて端折ってしまった「轍のあった道アワード」。1年間に書いたブログを、自分で「これ、よかったなあ」と自画自賛し、かつ、もっと読んで欲しいので広めるために行うものだ。

2017年に書いた記事は91本。時期はかなり偏っている。これまた仕事の都合だ。6月の北海道出張で見かけて撮りためたものなどを書き終えたのはなんと12月。30日までの記事で91本しかない。
写真1点とコメントだけのものもあるが、それでも、みなさんに見ていただきたいものばかりだ。

今回は、【部門】を(適当に)考えて、それぞれの賞を設けた。大賞は最後に発表する。

【発見部門】

●発見部門賞

 
錆に覆われ、実際に「白看」だったかはわからない。それでも、林道内にこうした標識があるのはとても珍しいケースだ。


●次点
北海道で見かけたいすゞTW
 
岩手県を中心に、三陸での目撃談が多いいすゞ・TW。「釧11」ナンバーをつけた現役の車両が、行き止まり(その先は通行止めという意味)の林道に佇んでいた。


●次点
謎のカプセルハウス
 
「フローラ」というカプセルハウスがある。その仲間かと思うような建物(といえるのか)を、四国で4回見かけたのだが、情報がまったくない。ご存じの方いらっしゃいましたらぜひ。

【ドボク部門】

●ドボク部門賞

ドボクのすさまじさ
 
位置関係はこうだ。この林道をアンカーにして、地図上で見ると約1km対岸の崩壊地を望遠レンズでのぞき込むと、

こんな、圧倒的な世界が展開されていた。斜めに横切るのは作業道。緑の段々畑状のものは、これから植林がなされるということか。


●次点
架け替えられた親不知の歌高架橋
 
すっぱりと切り落とされている旧橋。いずれすべてがなくなるだろう。アクセスが多かった回。

●次点・橋梁賞
 
動物園や公園にある橋は、その目的からして歩道橋だ。歩道橋は、橋梁の世界でも独特で、鉄道橋や道路橋では見られない形式が展開されたりもする。この「サル島橋」は、吊床版桁。伊豆大島の、ほぼ客がいない無料の動物園にある。

【文化部門】

●文化部門賞

白馬村の青鬼(あおに)集落と青鬼神社
 

重要伝統的建造物群保存地区とされた地域に、いかにも神社への道という雰囲気の階段があった。登って登って登って登って…。高齢者しかいなそうな集落だが、この参道は、とてもきれいに整備されていた。


●次点

隣の建物が取り壊されると、そこに隠れていた防火壁のペイントがあらわになることがある。一度はパステルグリーンに塗られたのだろうか。

【地図部門】

●地図部門賞

GoogleMapsおいて「北海道」はパンケニコロベツ林道を指す

ベクトル地図では、地名を表示する際に、どこを基準にするか設定されている。市町村名は、ほとんどの場合は市役所または町村役場。しかし、県庁所在地の名称が都道府県名と異なる都市や広域地名は、おそらく図の重心にそれがセットされている。

「北海道」。ルート検索では、なぜか鉄道が選べないので自動車で表示。「北海道」は新得町のパンケニコロ川近くにある。「東京」は江戸川橋だ。

* * *

さて、いよいよ。

【轍のあった道大賞】 

鉄道・道路併用洞門 平岩洞門 
鉄道・道路併用トンネルといえば羽越本線の新五十川トンネルが有名だが、大糸線平岩駅近くに、鉄道・道路併用洞門があった。自分としては、「発見」である。この手の設備は、たいていは鉄道側からは気がつけない。道路側からも、それなりに注意していないと気づけない。

この洞門は、私の観測範囲では、触れたものを見たことがない。この記事をアップした後、ある方がわざわざ見に行ってくれたのもうれしかった。


2018年も、こうした「そこに行ってみたくなる報告」をブログにアップしていきたいと思っています。来年もよろしくお願いいたします。


●関連項目
2013年『轍のあった道』アワード
2014年『轍のあった道』アワード
2015年『轍のあった道』アワード











 
(SRTM30+Kashmir3D)

 
2017年のGPSログ。今年も、北海道・四国・九州ともに行くことができました。全部仕事ですが。うらやましいというなかれ。9泊9日車中泊の仕事、前後休みナシ4ヶ月、とかです。おまけに自分のクルマで行ったので、飛び石でフロントガラス破損修理代8万は自腹。これは、本来ならば仕事だから会社負担でレンタカーとしたいけれどもそれだとコストがかかりすぎるので作りたい本が作れない、という狭間の悩みなんですが。余録はグランクラスに乗れたこと。

北陸に伸びてるGPSログは、新幹線が2回、クルマが1回。久しぶりに直江津から富山あたりをクルマで走って、あのあたりはバイクツーリングでももうずいぶん行っていないのですが、ちょっとゆっくり回ってみたくなりました。例年、なかなか足を踏み入れない福井県にも行かねば。

2018年は、裏日本と瀬戸内に生きたい所存。


■関連項目
2016年のGPSログ
2015年『轍のあった道』アワード内の記事
2014年のGPSログ
2013年のGPSログ









 
大垣ICにほど近い、養老鉄道烏江駅には、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のダブルワーレントラスの一部が保存されている。これは杭瀬川と牧田川を連続して乗り越す牧田川橋梁の、牧田川を渡る部分にかかっていた174フィート4インチのダブルワーレントラスだ。

 
作に囲われていて、触ることはできない。雑草越しに遠巻きに眺めるのみ。


製造は左沢線最上川橋梁と同じくパテントシャフト&アクスルトゥリーなのだが、横桁にレーシングが施してある。見るからに、後年の補強だろう。

 
なにしろ、ブレースが「ない」場所もあるのだ。

 
このような形で保存されている。近づけないのは残念だが、保存されているということは、
この橋梁が果たした役割が、非常に価値あるものと考えられているということだろう。


地理院地図の空中写真(1974~1978)を見ると、この桁が現役だったころの様子がわかる。右川の杭瀬川のほうが水量があるが、スパンの長いこの桁が渡っている牧瀬川はあまりない。


「今昔マップ on the WEB」中京圏編を見ると、牧田川が杭瀬川と分けられる前の地図を見ることができる。かつては両川がここで合流していたため、たびたびの氾濫があった。この烏江周辺も、輪中となっており、いまも田んぼは「堤防に囲まれている」ようになっている。


■関連項目
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ

















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