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南北方向に走る旧道に残っていた三菱石油。防火壁のスリーダイヤモンドは、南と北に面している。これは南を向いているほう。現役かと思うほどにきれいに残っている。

 
北を向いているほうは、隣接する建物の都合か、折れ曲がった防火壁に、折れ曲がった三菱がいる。


日の長い時期である5月初頭の16時でこの日の当たり具合。なるほど、直射日光にさらされる時間は短そうだ。

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とくにそのままになっていそうなサービスルーム。付近の人によれば、相当昔に閉店となり(それはそうだ)、時折、写真を撮っていく人がいるそうだ。




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ようやく、むつ湾フェリーの「フェリーかもしか」に乗れた。この航路は、津軽半島の蟹田と下北半島の脇野沢を結ぶもので、バイクのツーリングでは、ついそれぞれの半島を1周しようとするため、これを利用すると一部をはしょることになる。そういうわけで、津軽半島、下北半島とも何回かずつ走ってはいるが、利用の機会がなかった。上の写真は脇野沢港だが、乗ったのは蟹田港からだ。

このフェリーかもしかは新潟鉄工所製。つまり、ぼくの実家から徒歩圏内で建造されたということだ。なんだかすごく嬉しい。

 
朝イチの蟹田発の便。前日に予約しておいたので、万全。「10連休」のGWなので、けっこうな観光客のクルマ。率直に言って、意外。

 
 
車両甲板。バイクは船体に斜めに押しつける形で止める。ランプウェイは船首と船尾にあり、蟹田からは後入り・前出し(何か名称はあるのだろうか)。

 
 
総トン数611トン。客室も外部デッキも狭いが、とはいえデッキから見下ろすと、それはそれは大きく感じる。客室は独立シートで、桟敷はない。

 
操舵室に貼られた「むつ湾の事故防止のために【ほたて貝・たら底建網等の漁場位置図】」。湾に浮いたブイの間は100mもない。そんなところを操船していく。海が荒れた日などは視界も悪く、相当に難しいのではないか。

船の旋回窓の支柱は横。鉄道用の旋回窓は縦。覚えておくといいよ!
 
(加悦SL広場のキ100)

 
この航路は、カマイルカが寄ってくることで有名だ。このときも何頭かが並走してきた。

 
先に「前日に予約して」と書いたが、フェリー乗り場にテントを張った。すぐ近くに夏期だけ営業するキャンプ場があり、オフシーズンでもテント張ることくらいできるだろうと当てにしていたのだけれど、近寄ることすらできなかった。

たまたま、フェリー乗り場と国道の間のスペースが、無料駐車場で、トイレもあった。最初はそこに張ろうかと思ったけれど、ここはおあつらえ向きに芝生だし、ベンチもある。ありがたくここに張らせてもらった。別にクルマが1台、わいわいやっていた。

20時ころか、パトカーが巡回に来た。テントから顔を出し、敵意のないことを示す。パトカーは停まりもせず、職質も受けなかったが、以後、何度も回ってきた。

 
これは2000年7月上旬の東北ツーリングで、脇野沢で撮影したもの。乗ったわけではない。このときは港の片隅にテントを張った記憶がある。














 
1995年夏の北海道ツーリング。「えさしYOUの思い出」で書いたえさしYOUに2泊した中日、枝幸から宗谷岬を往復した。300kmも走っていない。初めての北海道ツーリングだったので、「なんともったいない!」と思ったけれど、時間に余裕があったというか、こういうところにも立ち寄った。

車輌はキハ22 142(とは読めなかったのだが、FBにてご教示いただいた)。場所は、おそらく天北線や興浜北線の廃線跡「ではない」場所だと思う。なぜならば、国道から見える位置にあったからだ。

灯油タンクの位置、なんとかならなかったのだろうか…。

 
車内は、片側は座敷となり、片側はシートを置き直してテーブルを配している。奥は厨房かどうか、ちょっと覚えていない。もしかすると、実際の調理は1枚目の写真の左の建物でしていたかもしれない。

このキハ22の情報がネットにはあまりないので、今回アップした。2007年までは車輌が存在していたようだ。場所がわからなかったが、幟に「菅原水産」とあるので検索すると、出てきた。やはり、元の線路上ではなく、移設したもののようだ。2014年のストリートビューまでは、ホームが残っているが、2018年のストリートビューではなくなっている。














 
海にせり出した建物の下部に船を直接収容できる舟屋。「伊根の舟屋」が有名だが、港湾の整備が進んだいまも全国に点在している。

 
津軽半島の陸奥湾に面した側に、いくつもの舟屋があった。これらは舟屋「だった建物」だ。というのも、その海側が護岸工事で埋め立てられ、建物の直下には海はない。

 
こんな感じの護岸施設。海面から2m以上はあるだろうか。左の護岸の下には消波ブロックが見えているほどの高さ。ということは、舟屋の船溜まり(というのかな、何といえばいいのだろう)は、かなり「下」にあったということか…と思ったが、ここは完全に陸の上にあげるタイプのようだ。3枚下の使われ方やGoogleMapsの衛星画像を見ると、そう考えてよさそうだ。

 
それにしても、大きな建物だ。

 
外板が剥がれたりしているが、いまも倉庫として使われている。こうした建物が、周辺にずらりと並んでいる。改修されてきれいになっている建物も多い。

 
こちらは護岸の下にある、いまも現役の舟屋。船が収容されている。

 
(国土地理院 空中写真CTO7519-C14-17をトリミング)

さて、ここに1975年に撮影された空中写真がある。いまの護岸もないし、山側のバイパスもない。道を挟んで建物が2列に並び、海側はすべて舟屋だろう。海までの距離がすごく近い。

このころ、ここは砂浜だったのか。ならば海水浴もできただろう。いまはちょっと泳ぐような環境ではなさそうだ。












 
「二級国道」のファーストナンバー、国道101号。「二級国道」という区分は、現・道路法制定から12年間しか使われず、1965年には消滅しているが、いまだにいろいろなところでお目にかかる。わかりやすい概念なのかもしれない。

国道101号は、青森市から日本海側、つまり五能線沿い、男鹿半島を回って秋田市に至るルート。道路は同じ路線でも通過地域によってさまざまな表情を見せてくれ、それが、1本のルートとして通しで走る楽しさの一つだが、男鹿半島北部では上記のような光景となる。いかにも海が近い。交通量は、最行楽シーズンだったが僅少。

 
国道101号を男鹿半島から北に向かうと、無数の風力発電の風車が見える。地図を見ると、並行して、より海側に道が描いてある。夕陽に輝く男鹿半島の山塊と風車。

 
北上し、ルートが内陸に向かうところからは海岸沿いの道路を行く。松林の中にきれいなダートが伸びる。

 
海に出てみる。風車設置のためか、アスファルト舗装直前のような、締まった、巾の広いダートが続いている。海側は護岸。テントを何万と張るのことも、何万人が焚き火することもできそうだ。こういう場所が、自宅から1時間くらいのところにほしい。現実は、関東平野を抜け出すのに2時間以上かかる。










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