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高速道路をテーマにした新書が2点、発売になる。
 
山形みらいさんの『東名・名神高速道路の不思議と謎』と、藤田哲史さんの『中央自動車道の不思議と謎』だ。先輩が企画したテーマだったが、無理を言って譲ってもらい、山形さんと藤田さんとで、非常に楽しく作らせていただいた。

その発売を記念して、ここでは本書の内容とかとは関係なく、個人的な思い出を書く。

ぼくが初めて自分で乗った高速道路は中央道だ。TT250Rという、当時出たばかりのヤマハの4ストトレールに乗っていた1994年の3月、大学のバンドサークルの春合宿で、山中湖に行ったのだ。ぼく以外は全員、クルマに分乗だ。早稲田に集合で、となると外苑か初台から乗ったのか。ただそれにくっついていっただけなので、高井戸は通過し、また、ハイウェイカードも知らず、現金で支払ったはずだ。

次はその数ヶ月後だと思うが、未舗装だった盆堀林道を走りにいこうとしたときのこと。ツーリングマップ(「ル」ではない)の存在も知らなかった。持っていた地図は、ポケットサイズの東京都の区分地図だけ。それを見ると、中央道には高井戸にICがある。下井草と富士見台の中間あたりに住んでいたので、まだ井荻トンネルのなかった環八通りを南に、高井戸を目指した。ところが、高井戸にはどこを探しても入口がない。まったく知識がないので、首都高の永福から乗ればいいということも知らない。仕方がないので、調布から乗った。高井戸から下り線に乗れないのは、その後、サークルの友人から教えてもらった。

本書では三遠南信道についても採り上げている。それを知ったのは、会社に入ってすぐ、ガイドブックの部署に配属され、『ブルーガイド・パック 木曽路・伊那路』という本の改訂作業を担当したときだ。松田不秋さんという三遠信の造詣に深い方の寄稿に、遠山の霜月まつりなどと絡め、青崩峠や地蔵峠のことが書かれていた。そこに、三遠南信道がこれらをつなぐ夢である、というようなことが書かれていたと思う。翌1996年から1998年にかけて、国道152号沿いはよく出かけた。あるときは隔週で4~5回走った。兵越や蛇洞は何度も通った。それから二十数年が経ち、いま、少しずつ進んでいるのを見ると、ただただ、長い年月をかけて、決めたものは進んでいくのだなあと感じる。

* * *

東名に初めて乗ったのは、ちょっと後になる。高速道路は高いと思っていたので、ツーリングは基本的に下道だった。東海道方面に行くときは、たしか当時50円だった三京から横浜新道、西湘バイパスだった。

初めて乗ったのは1996年秋、富士の裾野に行ったときかもしれない。「御殿場ってこんなに近いのか」と驚いた覚えがある。そして「これからは東海道方面もツーリングしよう」とも思った。


ついでに他の高速道路も言うと、関越はたぶん1995年11月24日深夜、1996年の年賀状用に干支の「鼠ヶ関」の標識を撮りに徹夜で乗ったとき。関越トンネルへの登り、70km/hくらいしか出ず、難渋した覚えがあるが、それはアクセルの開け方を知らなかったためだろう。

 
東北道は1995年9月23日だと思う。夏の北海道ツーリングで知り合った人から誘われ、五十里湖でキャンプをした。そこから非常に大きなバイクの仲間の輪ができ、いまに至っている。上の写真はその翌週30日で、1泊2日で福島から山形の林道ツーリングに行ったとき、どこか1区間だけ乗って、PAで野宿したときのものだ。当時、荷物が大きくなるのを嫌って、シュラフ一つででかけていた。リヤキャリアにICIの28リットルザックがくくりつけてあるが、荷物はこれ一つだ。

開通したばかりの上信越道は1996年5月、常磐道は1997年8月だ。

2冊をお読みになったみなさんが、マニア知識ではなく、こういう思い出を語り出してくれるとぼくはとても嬉しい。

なお、同時に、先輩が制作した『全国 高速バスの不思議と謎』も発売される。「不思議と謎」ばかりだが、もとは私鉄沿線シリーズのタイトルとして使われていたのを、カテゴリを広げたらこうなった…という感じだ。イカロス出版の『秘境路線バスをゆく』シリーズの制作者によるもの。こちらもぜひ。

 




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山間の道を走っていると、切り開かれた斜面の上に、ワンボックスの廃車体が見えた。角張ってるけれどもやたら立体的なスタイル、ライトエースだ。

 
リヤのアクスルが失われ、ホイールごと土台になっている。しかし、法面が崩れたのか、素人目に危うい位置にある。なにかあったら車体が道路に落ちてくるのではないか。また、残念ながら、あの特徴的なフロントは拝めない。民家は長らく無人のようにも見えるが、ここは控える。

 
リヤウインドウには「やさしく走ろうTOKYO」。東京で配布されていたのだろうか。現地は長野県だが、東京周辺で登録されていたことがある個体なのだろうか。なお、このステッカーは、いま、ヤフオク等で新品が入手できる。

初代ライトエースは70年代のクルマなので、最短でも40年以上前の車体だが、エンブレム、ランプ類はきれいに保たれている。




 
新豊根ダムに向かう途中、村道の標識が目に入った。こういうロケーション。県道428号沿いにある。

 
よく見ると、後ろのダム放流注意の看板は「頭首工から…」云々と書いてあり、一般的に通じるのかな…。これは大入頭首工(おおにゅう)のことで、天竜川水系大入川のここで取水して大千瀬川(やはり天竜川水系)に流し、さらに振草頭首工で鳳来湖(宇連川水系)にダイレクトに注ぐ。遠く豊川用水にも流れてゆく。

ああ、そんなことを知っていたら、これらもきちんと見るべきだった。いまGoogleMapsで衛星写真を見ると、豊根中学校に渡るための吊り橋もあるし、県道沿いには豊根中学の寮もある。全校生徒28名、その大半が寮住まい。豊根村が、新豊根ダムを観光地として大歓迎していることはうすうす知ってはいたが、これをふまえると、それは大歓迎するだろうなあ、また行かなくては、という気持ちに。

 
なお、新豊根ダムへは行けなかった。だから、「また行かなくては」。








ローカル線の駅前に延びる道をまっすぐいくと、突き当たりにこの「元店舗である倉庫」がある。傍らの電柱前には、昭和35年の様式による「徐行」。

 
後ろの電柱が建植し直されても、この標識は維持されたのだろうが、現在は電柱に寄りかかっており、錆が電柱を汚している。

 
後ろの建物の正面は全面引き戸、その上に「旅館・食堂 野田屋」とある。中央に縦書きで「名勝刊行案内 鳳来湖 乳岩」。右には「お酒を召すなら 酔翁」。この「酔翁」は、現在は高山の酒としての販売があるようだが、ここには「豊橋 仲六商店 醸」とある。かつて豊橋駅の南側に仲六という酒造家があったが、いまはどうなのかこれもわからない。

この、あまり奥行きもない建物が旅館だったとも考えづらく、向かって左の空き地に伸びていたのかもしれない。

この看板の「旅館」「食堂」の文字が、とても好もしい。







 
国道152号については後日、項を改めるが、20年ぶりくらいに大鹿村を走った。かつては隔週で走りに行っていた地域だが、そのころは特に土木構造物の知識もなく、このコンクリートローゼ・小渋橋を通ってもなにも「見ていなかった」。

2006年に、少し下流に新小渋橋が架けられ、国道の線形改良も含めて移設された。いまこの橋は、国登録有形文化財として、実用ではあるが、余生となった。

 
小ぶりで、実にスマートなランガー。支間34.4m、高さ7.05m。

 
幅員5.5(幅6.5m)。

 
 
右岸の親柱、左は「小渋橋」、右は「昭和三十一年三月しゅん工」。ただし、説明板によれば、大鹿村の橋梁台帳には昭和32年4月1日竣工とあり、5月13・14日に渡り初めをしたというので、架設されてから供用まで1年強かかったことになる。

 
コンクリートローゼは、左右のアーチを結ぶ天井のブレースのハンチが、すごくコンクリートの構造物ぽくて好き。

 
コンクリートローゼは、内側にくぼみを造り(というよりも「リブを出っ張らせ」かもしれない)、アクセント(かつ構造上の強度確保)しているものが多い。

 
左岸側。

 

親柱左には「小渋橋」、右には「こしぶばし」。

 
左岸・下流側より。













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