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三陸の住田町にて、てりむくりみたいな、そうでないような屋根を持つ建物があった。妻面の窓の位置も、なんかすごい。


 
1階(?)部分はコンクリートブロック。中は農業用の倉庫だろうことは見て取れる。乾燥場か。向かって左が開放されているのも気になる。

 
側面も妻面に似ている。同行者と「なんの建物だろう…」と話していると、葉山めがね橋のところであった初老の男性が通りかかった。「す、すみません!」


住宅を挟んでもう1棟。こちらは普通の切妻の屋根だ。天井に養蚕のような空気抜きがある。

 
真正面に立てかけられた、鋤のお化けみたいなもの。長さが建物の2階分くらい、つまり5mくらいある。人間が一人で扱える大きさではない。なんだろう。

この小屋は、タバコの葉を乾燥させるための「米葉小屋(ベーハ小屋;ベイハ小屋)」という。先の男性がそう言っていて、検索するとWikipediaにも項目がある。「この辺では普通だよ。専売公社が補助金を出してくれたからみんな建てたんだ。たばこの作付けも減っているので、倉庫として使っているものも多い」。

倉庫はたしかにたくさんあるとはいえ、こういう窓の付け方をした、あるいはてりむくりの屋根を持った倉庫はぱっと見では見当たらなかった。もっと周辺広く回れば、同様の建物は見つかるかもしれない。

住田町でタバコ栽培が始まったのは1938年(昭和13年)。2015年(平成27年)ではたばこ農家は10戸。とはいえ、いまはきっと小屋ではなく、機械で乾燥させるんだろうな。














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上有住のコンクリートアーチ橋。渡るは気仙川。両岸の集落を合わせて「両向地区」と呼ぶと説明板にあるが、地形図にはない。公民館などはあるので、失われた地名だろうか。


河原に雪があるように見えるけれど、石灰質の岩。

 
 
渓谷美で知られている場所だが、この橋の見所は、併設されているこの水路。

 
水路部分。昭和6年供用らしい、骨材の粗さ。

 
左岸の高い位置を流れる水路から、水門経由で落としている。説明板によれば、22ヘクタールの水田を潤している。このときは水量なし。

ここで地元の年配者と出会い、積極的に話しかけられて、お子さんたちの勤め先まで知ってしまったのだが、後刻再会し、そこで地元ならではの話をもらった。それは別項で。




情報量の多い写真。真正面の長方形の堰堤が頭首工、そのこから左に向かう水路、円形の魚道、向こうの岩壁には片洞門の水路。
 
サイト「のの字な道」のRasandRoadさんに連れられ、見に行った。Rasさんの記述はこちら。解説などはこちらをご覧いただきたい。
https://rasandroad.com/spiral/kamiarisu.html


 
魚道。この落差からして、見えない部分でも360度、つまり合計720度回転しているようだ。

 
水量が少なかったので、渡って登ってみた。魚道の最上部には枝が堆積していて、せっかく魚が登ってきても、上がることはできなさそう…。


魚道の造形もそうだが、強く惹かれたのはこちらの片洞門の水路。

 
どうやって掘ったのか。桟橋を取り付けて穿っていったのか、狸掘りのように欠いていったのか。

 
下流側から回り込んでみた。片洞門のところはコルゲートパイプが渡してある。水は流れていないが溜まっている。かといってそこに踏み込んで這っていく勇気もなし。

 
手前に引いていくとこうなる。水路はコンクリート製だ。

 
写真中ほどに見える水路は堰堤から伸びる下段のもの。片洞門はその一段上だ。

 
ずっと追うべきか…。どこで取水し、どこに流しているかはわからない。

 
上段の水路の途中にある余水吐き。塩ビパイプが下に向かっているが、上から何本もの鎖で吊されているのがおもしろい。

spl.thnx. @RasandRoad

 
川崎近海汽船 宮古~室蘭航路 宮古港の記録の続き。




今回、1等洋室に3人で乗船した。室内に備え付けられている案内も、当然だが、宮古~室蘭のものとなっている。

 
徒歩乗船の客はぼくら3人。ドライバーがそれなりに…おそらく10~20人くらいはいると思うが、ニチレイの自販機が並ぶ食堂は誰もいない。まあ、慣れてる人は弁当買い込んで来るし、ドライバールームならそこで食べるだろうしね。。

 
 
ほぼ徹夜だったので、昼すぎまで寝て、うろうろしていたら夜になり、もう暗くなった室蘭へ。白鳥大橋の下をくぐる。白鳥大橋は2005年に渡ったきりだ、今度、改めて室蘭も訪ねよう。


室蘭港ではボーディングブリッジから下船。長い通路を渡り、新装なったターミナルへ。かつて東日本フェリーが建てたものだ。室蘭港といえば、かつては直江津へ、大洗へ、青森、八戸、大畑へとフェリーが出ていた。それらの航路がなくなって10年。

【関連項目】
大畑港のいま


 
 
ひっそりとしたターミナルから、登別行きのバスが、無人で出発していった。

 
 
広々とした清潔な室蘭フェリーターミナル。売店のお土産は、賞味期限が近いものがたくさん半額で売っていた。みやげを買う人はほとんどいなかったのかな…。

20時には乗船開始とのこと、それでも20時20分くらいまでに戻ってくればいいというので、室蘭駅近くのスーパーへ買い出しに。閉店が近かったためか、「やきとり」は3パックしか買えず。でも半額だったし、ちょうどよかったかも。

早めに待合室に戻り、ボケッとしていたら、あわや乗り遅れるところだった。「徒歩乗船の方はお急ぎください」みたいな放送はまったく入らず。

 
 
 
「宮古行」

 
反対側は「ようこそ室蘭へ 安全運転」

 
 
 
室蘭出港。



 
 
3時30分すぎ、キャプスタンが動く音で目が覚めた。八戸港だ。ランプはスターボードサイド。箱のトラックが8台ほど降り、次いで牛を積んだトラックが6台だったか8台だったか降りた。ランプが上がる前に部屋に戻り、寝た。

【関連項目】
宮蘭フェリー活牛トラック  貨物利用における現状把握(PDF)


 
 
7時過ぎに目が覚めた。もう宮古の港内だ。八戸着は少し遅れたようだったのに、宮古着は早着になる。あわてて支度して、ギリギリ。

下船も、バスによる下船となった。徒歩客は我々以外に3人いたようだ。いずれも乗るのが目的に見えた。


宮古で下船すると、雲を浮かべた青空が広がっていた。


ターミナルの2階で宮古ラーメンを食べていると、朝日が出てきた。


赤いファンネルに「K」のマークが美しい。

* * *

2月11日、横浜港でのコロナウイルス対策に関連して、防衛省の要請でこのシルバークイーンが自衛隊支援に行くこととなり、翌12日の宮古発便から29日の室蘭発便までを運休とすることが発表された。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が寄港していることに対しての処置と思われ、「はくおう」と同等の役割を果たすのかもしれない。




いまやアクションカメラなど誰でも入手でき、新たな映像表現が日々生まれているが、かつてはウエアラブルカメラといえば特殊なもので、高価だった。そんな中で、日立が発売していたHi8ビデオカメラ「はなれワザ」は、カメラ部を切り離せる画期的な商品だった。


1995年5月17日の、VM-H100Lのプレスリリース
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/9505/0517.html

1996年7月11日の、VM-H200Lのプレスリリース
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/9607/0711.html

おそらくこの2機種しかない。テープナビゲーション機能をビデオカメラに初搭載、クラス最大液晶などもうたっていた。

テレビCMがyoutubeにアップされていた。CMをしていたのか!


 
裏面。Joy&Free、というのがキャッチコピーのようだ。

 
カメラは防水構造で本体に固定もでき、かつ回転できる。また、カメラは本体からコードごと取り外すことができ、そうすると本体は「液晶つき再生デッキ」となる。

 
当時ゆえ、アナログアンテナを装備し、テレビも見ることができた。


リチウムイオン電池は7.2V、1300mAhと2700mAh。

 
 
AC電源は、充電器からコネクタをつなぐのだが、本体側はこんな形をしている。本体は5+3ピンだが、コード側は5ピンしかない。この3ピンは何用だろう?

 
 
映像・音声出力のコネクタの形状も特殊。S端子も一体になっていて、本体側は20ピン。

 
 
 
まだまだアナログの時代。取扱説明書には、外部入力端子がないテレビへの接続方法も書いてある。同軸ケーブルにアダプターをとりつける方法も書いてある。私などには見慣れたアダプターも、そういう経験のない人にはすごくハードルが高かったことだろう。


仕様。

 
 
このビデオは、友人が初期型のVM-H100Lを持っていたので真似して買ったものだ。何に使っていたかというと、こうしてヘルメットにとりつけて、バイクのレースやアタックの走行動画を撮っていた。といっても、撮ったのは全部で120分テープ数本程度。そのうちDVDに焼いてあるのは1本だけ。あとはもう見ることができなくなってしまった。



このほかに、上の、レースに出ているときのテープもあるはずで、そこには、かなりの急坂を登り切ったところでバイクだけが向こうに行ってしまうというPOVならではのものが映っているのだが、残念ながらテープのままだ。本機が動かない以上、もうそのままになるに違いない。

ついでに言えば、この、会社所有の93年型CRM250Rは、このとき既にエンジンと冷却水のパイプの接続部がはずれており、水蒸気を吹き出しながら飛んでいく。しかし、乗っているぼくはそれに気づかずそのまま走り続けてしまい、エンジン抱きつきとなった。会社としては修理もしないし不要ということで、そのままぼくの友人のもとに部品取りとしてもらわれていった。上は、その最後の雄姿である。

おまけ。
 

取説が入っていたファイルは、石丸電気の「ISHIMARU FILE」だった。1991年3月に上京した当時、家電をいくつかまとめ買いしたときにもらったものだ。もう不要になったものは処分しながら、新しい家電を買うたびにいまも使っているのだけれど、この「はなれワザ」の取説は残しておいてあった。石丸電気も、もう歴史の中のものになってしまった。




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