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北海道の豊富の東、台地の上の道道84号から道道121号へと曲がった時に、ふと郵便局舎のような建物が目に留まった。通り過ぎてしまったが、引き返してみると、看板の付け方からして郵便局舎だ。

 
 
出入り口はシャッターが下ろされ、窓も塞がれている。

 
「〒」マークが掲げられていた部分と、その下には文字を外した跡。現地では何郵便局か不明だったが、ポストマップによれば江辺頃別郵便局といい、廃止は1973年7月16日とのこと。この建物は当時としては比較的新しかったと思われ、以来45年も閉鎖されたままならばこの姿を維持しているとも思えないので、廃止してからなんらかに転用されていたのだろう。

 
そのときは「旧道かな」と思ったくらいできちんと写真を撮っていないのだが、郵便局からオフセットした位置にゲートがあった。ここを地理院地図で見ると、下記のようになる。

中央が郵便局跡。その右に、神社(現認せず)に向けて堀割がある。廃線跡かと思って空中写真を見て思い当たった。日曹炭鉱天塩だ。この付近で植民軌道の本流駅と平面交差していたと思われる。


国土地理院の空中写真HO641X-C4-12より。撮影は1964年10月15日。

サイト『1970年代 北海道鉄道写真』「北海道の殖民軌道と森林鉄道」ページには、より古い地形図が掲載されている。そこには植民軌道はないが、日曹天塩がここで北に分岐している様子が見て取れる。郵便局のマークもある。

鉄道の廃止は1972年7月29日。郵便局は、それから1年、長らえた。



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国道38号は、幾寅駅前で直角に曲がる。ここが好きだ。ただし、新得側から富良野側に向かう方向に限る。

新得から狩勝峠を駆け上がり、落合へ。根室本線に並行した、空知川の浅い谷を西へ向かう。幾寅の市街地が近づくと、両側に畑が広がる。そして、市街に入ると、こぢんまりとした古い商店が散見されたところでここに至る。直進すると、金山ダムとかなやま湖だ。

こうした、「幹線道路なのに、交差点で曲がる」というところがいい。ただし、華やかな街中ではダメだ。ここ幾寅駅前のような、いささかものさびしいところ、「なんでここ!?」と感じるところで曲がるのがいい。

冒頭で方向を限定したのは、右折すると、改めて南富良野町の市街地となるからだ。逆から来ると、華やかな町の途中で左折する、というシチュエーションなので、全然、こうした実感がない。国道38号は、北上するに限る。




 
北海道の「へそ」の辺縁部、しかしその中心部よりも金山ダムのほうが近い場所の国道沿いに、個性的な建物が並んでいる。いまはもう営業していなさそうな自転車屋を見ると、看板の上に、古いブリヂストンのマークが掲げられていた。

 
この、凸の中に「BS」と入っているマークは「キーストンマーク」と呼ばれ、「BRIDGESTONE」という文字列(「ブリヂストンシンボル」。現在は「ブリヂストンロゴ」という)とは異なる扱いがなされる。この、ゴシックの「BS」は、創業当時から2回目のリファインがなされた1974年以降のもの。すなわち、この看板が作られたのは、1974年以降ということになる。意外に新しい、と感じないだろうか。

「キーストン」とは、要石。構造としてのアーチの最上部に上からはめ込むことで、アーチが完成するもの。トンネルや橋梁で、表面に出るキーストンだけ石だったりするなど、シンボルになりやすいものだ。これがキーストンを模したものだと知るまで、私はバルブかなにかだと思っていた。






十勝港での石炭荷役。船はST PINOT。
 

かつて近海郵船が寄港していた十勝港。まさにそこに係留され、荷役中。写真左の黄色い屋根が、当時の待合所。
 
大きなデリックが4基。

 
船倉からつかみ上げられた石炭が、ドジャーッと、けっこうな高さから落とされる。

 
これは、前から3基目のデリック。こちらはバケットが2連になっている。その下では、ホイールローダーが、石炭を整地(?)中。

 
 
十勝港ターミナルは立ち入り禁止だが、いまも業務用施設として使われているようだ。


近海郵船の東京ー釧路航路最後の1999年夏、釧路からブルーゼファーに乗った。左がスーパーテネレ、2012年夏のミッショントラブルで廃車して、いまも家にある。右は、いまウチで動く唯一のランツァ、それも今年、クランクベアリングが逝ってしまい、いま修理の検討中。

この航路は片道30時間。行きは2泊、帰りが1泊、それを2隻で回していたので、3日に2便という航路だった。1996年から、集客、というか十勝発の荷を積むため、十勝港に寄るようになった。このときも、十勝港に寄ったのは憶えている。それでも業績は好転せず、1999年秋に撤退した。

東京ー釧路に乗ったのは、1995年と1999年の2回、それも釧路発のみだったと思うが、1998年も乗ったかもしれない。記憶がないし、メモもない。





 
新日本海フェリーの「ゆうかり」は、1階甲板に通じる前後のランプウェイのほか、2階に直接出入りできるサイドのゲートがある。ここには港側から可動橋が延びている。その出入り口を、内側から見る機会があった。場所は新潟港。


このゲートは、プラグドアのように、まずいったん外側に出た後、前方にスライドしていく。この時点では、港側の可動橋の位置は、そのままではつなげられない程度にずれていた。

 
ゴゴゴゴゴゴ…とスライドしていき、完全に開いた後、可動橋が動き始める。まず、船内から向かって右にずれていた(という表現が適切かはわからない)可動橋が左に水平移動する。そして高さを調節し、上に巻き上げられている渡り板部分を繰り出す。その際、渡り板の裏の桟に溜まっていた雨水がザザザとしたたり落ちていった。

そして無事に可動橋が渡されると、下船開始となる。




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