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北海道の十勝南部、大樹から厚内あたりの海岸沿いは、大規模な農業が展開する内陸部と違い、荒涼とした景観がずっと続く。とくに十勝川の河口あたりまでは、南から、ホロカヤントウ、生花苗沼、湧洞湖、長節湖などの潟が続く。いずれも釣り人が、どこからこんな数出てくるのかというほど集まる。

 
(地理院地図+カシミール3D)

湧洞沼から長節湖まで、破線と実線がある。GoogleMapsの衛星画像を見ても、クルマの轍はつながっているように見える。ただし1カ所、怪しいところがある。ここ、クルマの轍があるのだから、オフロードバイクならば問題なく走れるだろう、と思っていたところ、福田さんが下記のような動画をアップした。


これで、ますます行きたくなったので、行ってきた。

まずは、湧洞沼への道。
 
しっかりとした2車線。この先が行き止まりとは思えない。

 
ここは道道1051号。行ってみると、意外に海までは遠く、そして、考えてみれば当然なのだが、砂丘があって海がちょっと見通せない。写真は北東を向いたもので、左が湧洞沼、右が海。海には四駆が多数入っており、テントも多い。何を釣っているのかと思ってあとから検索したら、秋味。なるほど、多数の釣り人が来るわけだ。


Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

360度写真を。

 
終端部。「行き止り Dead end」。

さて、引き返して、今度は長節湖のほうへ。
 
道道から入っていく。看板には「この先 未供用区間のため 通行できません 豊頃町」。バイクの轍がいくつか見えるので、安心して入る。

 
クルマの轍は、ところどころ深い砂のところがある。四駆とてフルタイムじゃないと厳しそう。そして1.7kmほどで、「終わり」と思われるところに出た。

 
この先で、細い川が海に流れ込んでいる。

 
 
バイクの荷物を下ろせば渡れそうだ。しかし、周辺には釣り人が10人くらいは見える。そんな中、排気系はノーマルだとはいえ、サンド路面ゆえにリヤを空転させながら走る…ということはちょっとできない。


また、足下の砂は、いましがたまで波が来ていたのではないかと思われるほどグズグズで、足を置いて体重をかけると3cmくらい沈む。おとなしく引き返した。

かくして湧洞沼から長節湖に抜ける試みは失敗に終わった。自転車なら行けるな。















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十勝港で見た、超小型のタグボート、第三 十勝海運丸。続けてみると「第30」に見えてしまう。

下部はこうなっているのだな。前方の、水面下に突き出した足のような部分にはギザギザがついている、これで船体に引っかけるのかな。周辺にも垂直方向にあるので、緩衝材を固定というかズレないようにするための形状かもしれない。後方のは、前進するときの安定用かな。

 
チョロQとか、たまごひこーきみたい。

 
ほぼ中央に、360度回転するプロペラ。

 
正面から。

隣の、第二 十勝海運丸。
 
 
こちらはもっと大きなエンジンを積んでそう。しかし、十勝海運の公式サイトには所有船舶の紹介覧がなく、検索しても情報がない。緩衝材なども取り外しているので、廃船状態なのかもしれない。なにかご存じの方はぜひご教示ください。
昨年末、「上厚内駅の跨線橋はハーコート製」という情報がtwitterで入ってきたあと、@Einshaltさんと、末尾にあるようなやりとりをした。なんと、直別駅の跨線橋も同様ではないかというのだ。

 
跨線橋にしては、頑健にすぎる。歩道橋なのだから、プレートガーダーとしても、こんな強度はいらないだろう。

 
プレートガーダーの中央に、銘板がある…が、あいにくレンズは105mmまでしか…

 
拡大しても、塗料がひび割れていて、全然わからない…。


 
上に上がると、左右のプレートガーダーは、直別駅のホームのように位相をずらして並行している。

 
 
西側のプレートの、階段と接する部分は、本来の「端部」のように見えるが、後述するように桁裏を見ると下フランジは端部まで達しているので、階段と接す津部分からプレートが欠き取られ、そこに補剛材が「偶然」見えているのだろう。他端は切断されている。

 
 
となると東側の階段に接する部分には垂直の補剛材がない。他端は切断。

 
 
東側。やはり銘板があるが、読めない…。

 
 
左右のプレートをつなぐ横桁は、本来のものを転用しているのだろう。鋼床版との接続部はボルト留めだ。

* * *

さて、twitterでのやりとりは、こんなである。



今回、現地を訪ねたのは月曜日。浦幌町立博物館は休館日だったので、立ち寄れなかった。後刻、同(非公式)さんからお声がけをいただいたのだが、また今度おじゃまします。




2年ぶりの北海道ツーリングから帰ってきた。渡道初日にランツァのエンジンから少し異音、翌日には大きな異音と振動となったのでバイクは中止、レンタカーに積んで道内を回った。その顛末は下記にまとめているのでぜひご覧いただきたい。

北海道ツーリング2018

 
今回は、道中に寄った枝幸でふと「えさしYOU」について思い出したので検索していくつかのブログを読みふけったことから、自分の思い出を書き留めることにする。

 
1995年7月28日から8月6日の9泊9日間、初めての北海道ツーリングに行った。バイクはTT250R、写真の左に写っているものだ。

上陸初日は苫小牧から襟裳岬を通って根室まで。2日目、7月31日に納沙布岬から紋別まで走り、ライダーハウスを覗いたのだが、どうも雰囲気がイマイチで枝幸まで行った。そこで泊まったのが「えさしYOU」だ。紋別とは違い、とてもいい感じだったのだ。

写真左のドアから入ると、リヤホイールをはずしてRMXが整備中だった。おそらくここに常駐している、当時盛んだった道内の大きなエンデューロで常に上位入賞している方のものだ。


初日の晩は、5人しかいなかった。

連泊することにして、翌日は右端のアフリカツイン乗りのIさんと宗谷岬を往復することにした。どこかの脇道、草原でアフリカに乗せてもらったが、ゴロリと転がしてしまった。幸い、草地ゆえか、どこも破損はなかった。この体験を元に、限定解除しようと決意した(合格するのは翌年1月である)。


えさしYOUに戻ってくると、前夜とは打って変わって中にはすでにたくさんの人がいた。この日、左から4人目のDR(黄色、ゼブラパターン)の方がマスを4尾釣ってきて、みんなでちゃんちゃん焼きをすることになった。当時のメモには「輪には入れなかった」とある。

実は、この写真は、1回目が終わって風呂に行き、2回目の時のものだ。23歳にして初めての北海道ツーリング、そして超下戸という自分は少し気後れしていたのだろう。なにしろ周りは経験者たちばかりだ。

とにかく、写っている顔が若い。80~90年代のツーリングシーンが描かれたブログは多数あるが、そこに掲載されているどの写真からも、若さゆえの「未来」とか「希望」のようなものがにじみ出ている。そういう時代だった。真ん中辺りの立ち膝が俺。

一通りの宴会が終わった後、有志5人で外に飲みに出た。「八重ちゃん」という店だった。ラーメンも食べて一人1420円だった。えさしYOUに戻り、「BAD BOY CLUB」で少し話した…とメモにあるが、カウンターバーのようなものだっただろうか。BAD BOYはモトクロスライダーのリック・ジョンソンのニックネームからか。

* * *

この北海道ツーリングで知り合った人たちを起点に、その後、いまに至るまで続くバイク仲間たちとどんどん知り合い、どんどん親しくなっていった。そんなこんなで、翌年の北海道ツーリングは、K氏といっしょに苫小牧に上陸し、しかもキャンプツーリングにしたので、もうライダーハウスには泊まらなかった。

だから、えさしYOUには、1995年しか行っていない。しかし、ライダーハウス特有の熱気を体験できたことはとても楽しかったし、貴重だ。

こう書くと、当時のライダーハウスはいつもこんな感じだったと思われるかもしれないが、そうではない。1995年には根室と釧路(2泊)のツーリングトレインと新得駅前のライダーハウスという名の大きなテント(こちらは一人きりだった)に泊まった。根室と釧路では隣り合った人たちと少しは話すし一緒に風呂や食事に行ったりはしたが、その程度だ。えさしYOUでも1泊目は5人しかおらず、ちんまりと話して寝る、という状況だった。

つまり、1枚目の写真のような状況になるには、大きな偶然、幸運がなければならない。俺はうまいタイミングでこれを味わえて、ほんとうに楽しかったし、貴重だ。

* * *

冒頭に書いた、えさしYOUについてのブログはこちらこちらもほとばしっている。

えさしYOUはすでになく、いまはセイコーマートの駐車場になっている。


 
朱鞠内湖にて。









C62が疾走するカラー動画が話題になっていた。



これに重ねて、C6217のことも話題になっており、ふと『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3』を思い出した。1885年の時点で、蒸気機関車を時速140kmまで加速させるのだ。これを子考察する前に、その前提の話を。

(以下全てBTTH3の画像はAmazonプライムよりキャプチャ)

国鉄時代、蒸気機関車の動輪回転数は300rpmを限界の目安としていたと記憶する。機械的なこと(国内ではベアリングを機関車に使う時代ではない)、軌道への影響から回転数には自ずと限界があり、だからこそ「高速向けには動輪径を大きくしなければならない」というのが蒸気機関車の構造的宿命となる。

これをC62にあてはめると、動輪径が1750mmなので、300rpmならば時速99kmとなる。1954年に木曽川橋梁で出した時速129kmでは391rpm。『蒸気機関車の挑戦』(齋藤晃著)によれば、1930年代のドイツで350rpm、アメリカでは400rpmを超える回転数を常用していた。まだ平軸受けの時代である(*)。なので、それだけ見れば、無理な数値ではないとも思える。なお、蒸気機関車の世界最高速度である時速203kmを1938年に記録したマラード号は、動輪径が2032mmなので、530rpmとなる。整理すると、

C62常用 1750mm 300rpm 99km/h
C6217  1750mm 391rpm 129km/h(狭軌最高速度)
マラード 2032mm 530rpm 203km/h(世界最高速度)

となる。

(*)整備性の悪化などは抜きにして、ローラーベアリングも出始めた頃でもある。それが採用されるほかの技術革新が進み、1940年代にかけて、アメリカでの蒸気機関車最盛期には常用500rpmに達していた。(前掲書より)

さて、BTTH3。劇中で使われた機関車は「1885年にはまだ登場していない」Sierra No.3が、セントラル・パシフィック鉄道(CP)の#131という設定で出演している。この車両は、1919年から数多くの映画に出演している「名優」だ。Sierra No.3の軸配置は4-6-0。実際のCPの#131は4-4-0だったそうだが、これは余談。



では、このSierra No.3が時速140kmを出すためにはどうなるか、計算してみよう。動輪径は1422mmなので、140000/(1.422*3.14)/60=522.57、つまり523rpm必要になる。もちろん、1885年当時、こんな回転をしたら、すぐに軸が焼きついたことだろう。そういえば、映画には注油のシーンはない。

Sierra No.3 1422mm 523rpm 140km/h


ところで、ラスト、Sierra No.3は落下する。こういう、一気に負荷がなくなったとき、蒸気機関車の走行装置はどういう動きをするのだろうか。回転数が増すのだとしても、構造的に、徐々に…だろうか。





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