忍者ブログ
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
 
奥多摩の小河内ダム堤体直下に向かう奥多摩むかし道…というか、国道411号の旧道と現道を結ぶ道にかかるのが中山橋。現道は小河内ダム建設のために造られた道だ。この鋼アーチ橋(側径間は桁橋)は、その存在も特徴的だが、いくつかの見るべき特徴がある。

橋そのものについては『東京奥多摩町・青梅街道の昭和前期における橋梁の進展に関する研究』(紅林章央・前田研 一・伊東孝/PDF)に詳しい。

 
紅林氏によると、戦前の鋼製高欄が残るのは、この中山橋が唯一という。2スパン(とでも表現しようか)で1組となっていて、水平材をW型の鋼材がリベット留めされている。

 
部材はリベット留めだが、垂直材と上面の部材の上部はリベットの頭が削られている。

 
端部はこのような処理。

 
親柱は、一般的には石ないしコンクリートだが、この中山橋は鋼製。それを主張しているのか、取っ手の付いた鍋の蓋がかぶされているような意匠が施されている。側面のボルト頭も、いかにも鋼製だ。『トイレット博士』のサイボーグ化したスナミ先生のようだ(作品にも登場するそのご子息が、コミックス・ウェーブ・フィルムの角南一城氏)。

 
親柱は、東側左が「昭和十三年八月竣功」、右が前述写真のように「中山橋」。奥に見えるのは西久保トンネル。指で弾いてみると、左は中空の、右は中実の感触がある。右の蓋はボルトだが、左の蓋はリベットだ。右は改修が施されているようだ。

 
 
西側の左は、左側と同じく「昭和十三年八月竣功」、右は「なかやまはし」。

 
側径間は見えないが、全景。設計は成瀬勝武。この橋の特徴と、奥多摩の橋の成り立ちは、冒頭の論文をぜひご覧いただきたい。








PR
2018年8月23日から24日にかけて、台風19号・20号の影響で、新日本海フェリーの新潟→小樽航路の北海道側寄港地が苫小牧東に変更となり、つまりは所要時間も増えるので、乗船予定の8月25日「あざれあ」の新潟出港が所定の12時から15時30分に変更になった。そのため、早朝に東京をバイクで出る予定が、ちょっとゆったり出発できた。

新日本海フェリーからは、前日に「出港が3時間程度遅れる。しかし、12時には新潟港に来てほしい」と連絡があった。通常、出港の1時間前までには港へ、と案内されるところ、3時間半も前に集合がかけられた。バイクもクルマも12時に合わせて港に来ていた人がほとんどだったのではないか。実際の乗船開始は13時45分だった。




●新日本海フェリーゆうかり
 
「あざれあ」で新潟港を出て30分のしない15:56に、新潟~苫小牧東航路の「ゆうかり」とすれ違う。もちろん、普段はもっと早い時刻に、もっと北のほうですれ違うはず。長緩気笛。

●不明
 
小樽港外

●SEACON VICTORY
 
小樽港二号埠頭

●第三観音丸
 
小樽港中央埠頭

●ARROW 1
 
小樽港中央埠頭。
古タイヤ、自転車、自動車などをびっしりと積んでいる。

●港通海9 GANG TONG HAI 9
 
十勝港。

●第十八福吉丸
 
 


 
宗谷岬から、稚内市街に向かう国道238号。その旧道に佇む、コスモ石油だったところ。中央にサービスルーム、その両翼の防火壁に残る、丸善石油の痕跡。

 
日本最北の、ツバメマーク。

●関連項目

最北のCALTEX








 
側径間が、逆ボーストリングトラスということで知られる奥多摩橋に、ようやく行けた。ある会合で連れて行っていただいた(それについてはいずれ)。塗装から1年くらいということで、とても美しい状態。

逆ボーストリングトラスは、ここ以外に、岩手県の和賀仙人橋と新潟県の境橋が知られる。

 
落橋防止装置は、縦桁にアンカー設置の上、つながれている。床版は1991年に更新されており、建設当時のものは鋼材部分のみ。なお、そのころ、奥多摩の橋梁がそれぞれ修景されている。

 
剪断力が最も大きくなる中央部で、もっとも膨らむ魚腹型。紅林章央氏によれば、非常に理にかなっている構造だが、部材が多く、いまとなっては製造と架設に手間(=コスト)がかかるとのこと。例えば部材の長さがそれぞれ異なることは、それだけ手間がかかる。曲弦のトラス橋が激減しているのもそれが理由の一つだという。

 
これだけの高さのところに足場を組んで、逆さまの円弧状に組んでいくのはとても大変そうだ。

 
主径間は、上路ブレーストリブアーチ。戦前の道路用鋼橋としては最大スパンの108m。

●関連項目

和賀仙人橋(岩手県)


国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷)






 
北海道の豊富の東、台地の上の道道84号から道道121号へと曲がった時に、ふと郵便局舎のような建物が目に留まった。通り過ぎてしまったが、引き返してみると、看板の付け方からして郵便局舎だ。

 
 
出入り口はシャッターが下ろされ、窓も塞がれている。

 
「〒」マークが掲げられていた部分と、その下には文字を外した跡。現地では何郵便局か不明だったが、ポストマップによれば江辺頃別郵便局といい、廃止は1973年7月16日とのこと。この建物は当時としては比較的新しかったと思われ、以来45年も閉鎖されたままならばこの姿を維持しているとも思えないので、廃止してからなんらかに転用されていたのだろう。

 
そのときは「旧道かな」と思ったくらいできちんと写真を撮っていないのだが、郵便局からオフセットした位置にゲートがあった。ここを地理院地図で見ると、下記のようになる。

中央が郵便局跡。その右に、神社(現認せず)に向けて堀割がある。廃線跡かと思って空中写真を見て思い当たった。日曹炭鉱天塩だ。この付近で植民軌道の本流駅と平面交差していたと思われる。


国土地理院の空中写真HO641X-C4-12より。撮影は1964年10月15日。

サイト『1970年代 北海道鉄道写真』「北海道の殖民軌道と森林鉄道」ページには、より古い地形図が掲載されている。そこには植民軌道はないが、日曹天塩がここで北に分岐している様子が見て取れる。郵便局のマークもある。

鉄道の廃止は1972年7月29日。郵便局は、それから1年、長らえた。





Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
11 2018/12 01
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析