忍者ブログ
[1058] [1057] [1056] [1055] [1054] [1053] [1052] [1051] [1050] [1049] [1048]

国道2号は岩国市から錦川沿いに遡る。それまでの幹線道路の雰囲気から大きく変わり、センター黄色ラインの、川端を淡々と走る2車線の道となる。これが国道2号かと思うほど、行き交うクルマもほとんどない。まもなく川沿いの道は国道187号として分かれ、そのまま川・鉄道とともに遡る。これだけ豊かな水量の川だが、沿道にはまとまった集落は見えない。

かつての行政区域でいう錦町の中心部に至ると、新出合橋という橋で国道434号が西から合流し、重複区間となる。そのすぐ上流に、この古いプラットトラスが架かっている。


直線的な、意匠のカケラもないプラットトラス。

銘板があるが、この錆びよう。

大正十四年
株式会社横河橋梁製作所
大阪工場製作


親柱。東側左は「出合橋」、右は「錦川」。ガードレールの黄色は山口県の証拠。

6パネル、より大きな引張力のかかる端部の斜材は、その隣りよりも太い。

中央2パネルは斜材がクロスしているが、逆ハの字の部材が貫通していて、ハの字の部材は交差部で切り欠いている。すべてプラットトラスのセオリー通り。

西側。なんと、国道187号の標識がある。ここは国道187号からははみ出す部分であり、どういうことなのだろう? 歴史的鋼橋集覧では「県道鹿野本郷線の出合橋として架橋、新出合橋の完成後も町道の橋として残る」とあるのだが、「県道鹿野本郷線」がいまのどの県道に当たるのかちょっとたどれず、わからない。

(2013年6月18日追記)
「鹿野本郷線は、鹿野ー長野山ー広瀬ー出合ー府谷ー本郷か。今の錦ー鹿野線と本郷ー吾味線。県道131号と361号」(要約)と@trz_xxさんからご教示いただきました。(追記ここまで)

こちらにも銘板がある。内容は同じ。

西側の親柱の銘板、左側は「昭和二十九年一月」、右側は「であいはし」。

トラス桁の完成が大正14年だが、この橋の開通は昭和29年? トラス桁は転用かとも考えられるが、先の歴史的鋼橋集覧にも開通年は「1925(1954)」となっている。調査が及んでいないのだろう。錦川町史でも見れば書いてありそうなものだが。

周囲は多少のレジャーポイント的な印象があった。橋の東詰にはこのような店があったし、周辺の雰囲気が、そんな気がした。

錦町の市街はここから西へ1kmほどだ。



PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 21 22 23
24 26 27 29 30
31
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア