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インドネシアのトレリストラス+ランガー(?)+トレッスル橋脚というエントリを9月8日に書いた。先日、それを調べるきっかけとなった米屋浩二さんのお会いする機会を得た。

「現地では、こんなビデオが売ってるんですよ」

20101101.jpg.

この橋梁の画像がgooglemapsに貼り付けられていることから、ファンが少しはいることはわかるが、ビデオまで出ているとは! 

20101101-1.jpgラチストラス+逆ランガーの補強! しかもこの橋には秘密がある!


開けてしまった箱の蓋、このまま閉じておこう…。


なお、Cikubang Bridgeの写真は『日本カメラ』に掲載されているとのこと。拝見してこようっと。


このとき、米屋さんが「買っちゃいました」と言って取り出したものを見て驚いた。バイテンのフィルム。使ったことのある人は知っているが、実物を見たのは初めて。今月7日まで、長野電鉄の信濃川田駅で米屋さんの写真展を開催しているが、そこで実物を見られるはずだ。下記告知ページの画像がそれ。

http://railf.jp/event/2010/10/27/192900.html

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大きさも形も歴史的経緯もよく知られた橋である。場所はここ。

大きな地図で見る

歴史的鋼橋集覧」によれば、支間164.6m、1928年川崎造船所兵庫工場製。歴史的経緯はwikipediaに詳しいが、簡単に書くと
・猛急の工事であった
・陸軍の要請により、単径間となった
という曰くがある。それはともかく、1928年に製造されたこの澱川橋梁が、現在でも単純トラス橋としては日本最長であるという点が、橋梁史的に興味深い。

真横から見る。
20101031-06.jpg東に国道24号観月橋がかかっており、そこからだと実に美しく見えるのだが、いかんせん西向きになる。午後に行ったため、逆光だ。すみません。

これだけだといまいち大きさがわかりづらい。引いて見る。
20101031-05.jpg画面右に見える4車線の高架橋、京都外環状線や、左に見える電車(1両20m)と比較してみてほしい。部材1本が電車1両分の長さ…とは言い過ぎだが、肉眼ではそう見えてしまうほどだ。

こうして遠くから真横を見ると、華奢に見えるが、もちろんそんなことはない。南側から見る。
20101031-01.JPG見よ、このごつい橋門を。なんという重量感。使った鋼材は1810tだ。鋼鉄の比重を7.87と仮定すれば、その体積は9.3m×9.3m×164.6mとなり、断面9.3m四方の鋼鉄の塊がこの橋の長さにかかっている計算になる。この比重が正しいかどうかは知らない。

あれ? 端柱に接する斜材が…
20101031-07.JPGいちばん端の/型の部材が、ツルリとしている。これだけ交換されたのか? などとも思ったが、ガセットとの結合はリベットだし、レーシングもリベット留めだ。オリジナルだった。

20101031-09.jpg漢数字とアルファベットの大文字を交えて縦書きすると、まったくアルファベットに見えない。支間が、歴史的鋼橋集覧となぜ異なるのかは不明。

下に潜ってみる。
20101031-04.JPG

角度を変える。
20101031-03.JPGこうなると、もはやトラス橋の縦桁ではなく、支間18mのプレートガーダー橋だ。

そして、この重さを一手に引き受ける支承。
20101031-02.JPG思ったほどでかくない。そして、更新されている。こういうものを更新するとき、1810/4tをどう支えて支承を入れ替えるのだろうか。さがせば作業請負会社のサイトでも出てくるかな。

なんて思ったら、ちゃんと資料があるではないの。『澱川橋梁の設計について-現代トラス橋との比較の試み-』(月岡康一、小西純一、和田林道宣   )。それによれば、昭和52年(1977年)に支承が水平移動しないことが判明し、昭和58(1983年)に更新されている。



では、その『澱川橋梁の設計について-現代トラス橋との比較の試み-』(月岡康一、小西純一、和田林道宣   )を基に少し。

この巨大な桁は、のちに横河橋梁に転ずる関場茂樹が設計した。関場はアメリカン・ブリッジ帰りの橋梁技術者であり、個人的にはこれからもっと人となりをさぐってみようと思っている。

現在でもそうなんだから、当時でも日本最長のトラス桁である。では、当時、世界の単純トラス橋の長さはいかほどだったかというと、1位のメトロポリタン橋(支間219.5m、1917年完成)を筆頭に5位までと7~10位がアメリカの橋。6位にドイツのライン川にかかるDuisburg Ruhrort(デュイスブルク・ルーアオルト)橋(支間186m。リンク先は推定。ガセット結合の分格ワーレンであること、ライン川に架かる橋はこれしかないこと、実際に200m弱らしいことから推定)がランクインするくらい。橋王国・アメリカの面目躍如たるところだが、この澱川橋梁はその当時のランクでいうと世界第11位となる。

1位のメトロポリタン橋は、全長1958mの橋。このうちの南側の1径間が、最長のものだ。

大きな地図で見る

上記の衛星写真でストリートビューを選択すると、この橋の外見を撮影した画像が表示されるはずだ。この橋のディテールは、このサイトが詳しい。見れば、トレッスル橋脚+プレートガーダー部もある。雄大さは日本の比ではない。

元々はCB&Q(シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道。別名バーリントン鉄道)として開通し、いまはCNR(カナディアン・ナショナル鉄道)が保有している。蛇足だが、後者のリンク先は私が起こしている。



ああ、また海外のサイトを漁って時間を過ごしてしまった。キリがない。
米屋浩二さんがツイッターに投稿したこの写真を拝見して、のけぞった。インドネシアの橋だという。ポニーワーレントラスにアーチ型の補強をしてランガー桁にしてしまった関西本線木津川橋梁の逆+トレッスル橋脚。しかも、元は上路プラットトラスではなく上路トレリストラス。上路プラットトラスと異なり、端柱がハの字型ではなく逆ハの字型になっている。日本でも黎明期に採用されており、『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)の62ページに図面がある。

木津川橋梁は、これだ。
IMG_3762_R.JPGこの形状では、トラスの上弦に働く圧縮力と下弦に働く引張力をアーチが分担し、元々のトラスにかかる負担を軽減しているのだと思う。

しかし、このインドネシアの橋は上路だ。力学的にはどうなっているのだろう。下向きのアーチは上向きのより弱いのではなかったか。

米屋さんの写真はCikubang Bridgeのようだ。検索してみると、けっこう似た画像はあるのだが、アーチの数が違ったり、ワーレントラスだったりで、米屋さんの写真そのものはなかなか出てこなかった。いろいろあってやっと埋め込めるものを見つけた。

 Image Hostingこのサイトより転載)


しかし、橋の名称はどれもこれも微妙に違う。Cikubang BridgeだのCibisoro BridgeだのCikurutug Bridgeだの…。そうしたたくさんの写真を見てわかった。

インドネシアには、この型式の橋は、たくさんあるのだ。

トラスはトレリスもあればワーレンもある。長さも高さも全く違う。
場所を探すのは少し難儀したが、ここだ。

大きな地図で見る

この場所はインドネシアのジャワ島(地図でいうと右側のほう)の西部、バンドンとジャカルタを結ぶ路線上にある。ほかにも多数の古い橋梁があるが、ここCikubang Bridgeはとりわけ有名なようだ。上の地図を別ウインドウで表示し、線路に沿ってスクロールさせながら衛星画像を拡大すれば、トレッスル橋脚の長大な橋がいくつも見えるはずだ。ストリートビューに切り替えれば、ストリートビューこそないものの、沿線で撮影された写真が埋め込まれているのを見ることができる。

wikimediaに、アーチで補強する前の写真があった。
File:COLLECTIE TROPENMUSEUM De spoorbrug over de rivier Tjikoebang TMnr 60052239.jpgThis file is licensed under the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported license.

以前は普通の上路トラス橋だったのだ。それを、補強したのだ。

「インドネシア鉄道遺産」というサイト(www.indonesianheritagerailway.com)によれば、長さ300m、高さ80m。1906年から供用されているインドネシア最長の橋(ほんとか?)。アーチ状の補強が成されたのは1953年、ディーゼル機関車の運行を開始するにあたっての補強であった。サイト右側の「construction」をクリックすると、隧道や橋梁の情報を見ることができる。廃線隧道もある。


上記の橋の名前で検索すれば、youtubeに動画もいくつかあがっている。そのようにしてリンクをたどっていくと、日本では見られない異形の橋の数々に出会える。

これもなかなかすてき

海外の橋、日本の常識では捉えきれない。
IMG_5938_R.JPG明治村に行ってきた。3時間ほどいたが、猛暑とあいまってまるで全部見ることなどできず、主要なもののみを見た。いくつかあったお目当てのうちのひとつがこれ、新大橋だ。

この橋は、1912年(明治45年)に木橋から架け替えるために新設されたもので、設計は樺島正義。

樺島は、日本橋、鍛冶橋、呉服橋、犬山橋、四ツ橋などを設計した、最初期の日本の近代橋梁技術者。東大卒業後にアメリカに渡り、1902年にワデル(日本の鉄道橋梁を、イギリス流からアメリカ流に転換させた張本人。磐越西線の橋梁群を設計)の事務所に入り、1904年にアメリカン・ブリッジに移り、翌年、またワデルの元に戻った人物。帰国は1906年、帰国後は東京市に奉職した。後年、鋼橋の設計がピン結合+プラットトラスからガセット結合+ワーレントラスに移行したあとも、プラットトラスを信仰していた。

この新大橋は、わずか8mばかりの一部が保存されているだけだが、実際はこんな形であった。

376d1f19.jpg
通常は、曲弦プラットトラス3連とするところ、3径間のうち両端は中央に向かってせりあがる形をしており、3連ということを意識させない形になっていた。そこに、明治末に橋梁デザインの意識の切れ端を見ることができるのだが、明治村の展示ではそれはかなわない。

おもしろいのは、この形に決定するまでに、樺島がいろいろな形の案を挙げていることである。ブレースドリブタイドアーチ、レンズトラス、吊橋などまであるが、そのあたりの考察は『近代日本の橋梁デザイン』(中井祐)をご覧いただきたい。

IMG_5936_R.JPGこれだけとはいえ、よくぞ保存してくれたものだ。もちろん、ブツ切りにされているので橋としての役割は果たすことができず、コンクリート製の土台の上に乗っている。

ピンはこう。下弦のピン部分はフタがしてある。これは後述するアイバーの見せ方に関わってくる。

IMG_5947_R.JPGIMG_5945_R.JPG


驚いたのは、下弦部分のアイバーの連結方法である。全部がそうだったのかはまったくわからないが、この部分には6枚のアイバーがピンを結んでいる。その結び方に注目してほしい。

IMG_5951_R1.jpg
ひとつのピンに6枚のアイバーをつなぐため、垂直材側から見ると2-2-2、斜材側から見ると3-3にまとまっている。こうすることで、交互に重ねざるをえないアイバーを処理している。

この下弦のアイバー、わざわざ見えるように「フタ」をとってある。のべ8ヶ所、下弦のアイバーがあるはずなのだが、他の7ヶ所のフタは閉じられている。こんなところ、本当に「こんなところ」だ、だって説明がなにもないのだから、こんなところまで展示してあるところが、明治村の素晴らしいところだと思う。



adera.jpg映画『トラック野郎 熱風5000キロ』の主題歌のシーンで映る、この橋が謎だ。

見たら、youtubeに動画があるので貼っておく。1分のところがこのシーンである。




場所はココじゃないかと推測したのだが、まったくわからない。航空写真を見ても、埒があかなかった。


@fusamofuさんが、昨晩からああでもないこうでもないと探してくださっているが、なかなかわからないようだ。

この橋は6パネルのプラットトラス。5パネル、7パネルは見るが、6パネルとはあまり見かけない気がする。また、斜材が45度(くらい)で、パネルが正方形に近いというのもあまり見かけない。物理的なことはまったくわからない(←それでいいのか!という叱責は甘んじて受けます)が、本によって経済的な斜材の角度を45度としたり60としたり、いろいろ数値はあるようだ。

ヒントはふたつ。
(1)「阿寺渓谷」の文字
(2)11tトラック+4tトラックが通行できる

阿寺渓谷とは、長野県の中央本線野尻駅付近、読書ダム付近、木曽川の支流である阿寺川の上流にある。実際の阿寺渓谷で撮影されたわけではなさそうだ。

この橋の情報をお持ちの方いらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。


(2011年5月6日追記)

解決!
阿寺川橋 顛末/『トラック野郎 熱風5000キロ』に捧ぐ



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