国道20号 新大月橋の旧道・旧旧道・大月橋
国道20号の大月橋(上路カンチレバートラス)のつづき。中央本線の新第二桂川橋梁である。なぜ「第二」なのかといえば、東京方に新桂川橋梁というものがあるのである。そのあたりは 中央本線 新桂川橋梁(1) 中央本線 新桂川橋梁(2) に詳説した。 場所は、大月橋と同じくここ。 桂川の上流側(富士吉田側)からはこのように見える。 手前の上路カンチレバートラスが国道20号大月橋で、その向こうに見えるごついイメージの上路ワーレントラス二つが、中央本線新第二桂川橋梁である。その下に見える橋脚は、さらに向こうの新大月橋(国道20号旧道)のものだ。 ここでは橋梁全体は見えていないので別の場所から… なぜか全景を撮っていない。撮りづらかったのかもしれない。 いずれにしろ、5パネルの上路ワーレントラス。通常、上路トラス橋は、両端の形状が斜めではなく垂直材で終わっているが、実際にはその部材は単純な圧縮力を受け止めるだけでそれほど重要ではないので、この場所のように橋台がその役割を果たす場合は省略できる。 真下に入って対岸の橋台を見る。左が下り線、右が上り線。左の橋台はコンクリート製、右の橋台は石積であることから、右が古く、左が複線化時に設置された新線だということがわかる。 振り返って。 同様に、右(下り線)がコンクリート製、左(上り線)が石積。もっとも、そのさらに下部は、コンクリートで作り直されたのか補修されたのか、ともかく年代を新しくしている。 橋台には銘板があった。 新第二桂川橋りょう 設計 東京第二工事局 施行 勝村建設株式会社 設計荷重 KS18 基礎工 鉄筋コンクリート 基礎根入 天端から18M.00 着手 昭和39年8月24日 しゅん工 昭和40年8月23日 この区間が複線化されたのは昭和41年(1966年)11月30日である。 桁を増したから見上げる。電車が通過するゴウゴウという音はすさまじい。 かつてここにはA&Pロバーツ製の200フィート上路プラットトラスが架けられていた。1901年(明治34年)製で、1902年(明治35年)開通。しかし、不思議なことに、『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第5報)米国系トラス桁・その5』(小西淳一・西野保行・淵上龍雄)によれば、撤去は昭和43年(1968年)だという。そうすると、複線化の時期と合わせるには、 1)既設線に平行して新線を設置。新線を下り線とする。上り線は旧橋のまま 2)上り線の旧橋を交換する という手順が必要となる。そうでない方法を取るなら、さらにもうひとつ廃橋跡があるはずである。このあたりがちょっとわからない。 PR |
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