昭和50年代の駅名標(越後線)その1
昭和50年代の駅名標(越後線)その2の続き。 ●石地駅 しかし、燐駅表示の矢印がなく、T字型の交点に「・」がある。なぜだろう? ●礼拝駅 ●西山駅 そして、鳥居の組み方だ。古レールなのだが、縦の柱が、側面ではなく、レール頭頂部がこちらを向いている。これはいま気がついた。写真を撮って30年近く経つのに。こういうのに気づくことが、「数を見ることの大切さ」を再認識させられる。 西山と田中角栄。越後線と平行する国道116号は、新潟から来ると、それまで2車線だったものが、西山駅付近から4車線になる。かつてはまた2車線に戻ったような気がするが、いま改めて衛星写真を見ると、国道8号との合流地点まで4車線となっている。私の記憶違いか。その4車線部分を、この西山駅に停車中の電車内から見ることができる。 周辺は刈羽郡。昭和50年代後半、郡名を冠した刈羽郡刈羽村が「村」であるのに対し、刈羽郡西山町が「町」であることに引っかかった。郡名を冠しているのはあまり意味はないのだが、当時はそう思った。そして、駅の「格」は、その当時から、西山駅は交換可能な2面2線、刈羽は1面1線である。いやもちろん、交換設備というのは駅間距離によるもので、「駅の格」などというのは言葉の綾である。 『国鉄全線各駅停車 中央・上信越440駅』(昭和58年刊)によれば、電化・CTC化前の当時の越後西線の交換可能駅は、吉田側から(括弧書きは棒線駅) 吉田-(南吉田)-(粟生津)-分水-大河津-(桐原)-小島谷-(妙法寺)-出雲崎-(小木ノ城)-石地-(礼拝)-西山-(刈羽)-(荒浜)-(西中通)-東柏崎-柏崎 である。現在は、新たに棒線化された駅を<>とすると、 吉田-(南吉田)-(粟生津)-分水-大河津-(桐原)-<小島谷>-(妙法寺)-出雲崎-(小木ノ城)-<石地>-(礼拝)-西山-(刈羽)-(荒浜)-(西中通)-東柏崎-柏崎 となっている。 ●刈羽駅 ●荒浜駅 背景のどんよりとした灰色の空、これが冬の裏日本。 ●西中通駅 ●東柏崎駅 最寄り駅が柏崎駅である母方の実家の祖母は、なぜかこの東柏崎駅を愛用した。タクシーでわざわざここまで来て、越後線に乗って来るのだ。やはり新潟駅ではなく、手前の白山で降りてタクシーに乗って我が家に来た。なんでも、「大きな駅は落ち着かない」とのことだった。かつて、「比角駅」と言った。だから、祖母はこの駅を「比角の駅」と言っていた。もう亡くなって23年経つ。 ●柏崎駅 了。 PR |
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