国道8号を走っていて目に止まった橋。地図でもわかるが、ちょっとへん。どれくらい変かというと… これが北側。 これが南側。 そしてこれが西側から見た路面。 おわかりだろうか。北側は5スパンのカンチレバープレートガーダー、南側は3スパンのプレートガーダーである。それに対して、路面は一体化しているのだ。路面の写真はガードレールが邪魔してうまく見えないが(わかるように撮ればよかったのだが!)、ガードレールはあたかも中央分離帯のように、ふつうに両側と地続きである。路面はひとつ、桁は2種類。 なお、路面の画像、左側に親柱が写っているここには 横関橋
日野川 とかいてある。「橋」のじは異体字で、旁の上がナ、その下がハシゴ高のようになった文字である。 路面を東から見る。 せっかく改修した橋なのに、なっぜこんなに幅員狭小なのか。ガードレールを中央分離帯的な意味とするためにも、向かって右(歩道化した車道、北側)を東行きに、向かって左の現在2車線の部分を西行き+歩道にしたほうが安全なのではなかろうか。 西・南側の親柱。 気になる桁裏に行ってみる。 西側の桁下。向かって左のカンチレバープレートガーダーが北側(下流)、右のプレートガーダーが南側(上流)である。右の方が橋脚がすくないのがわかろう。また、スパンが短く桁幅が1車線分しかないカンチレバープレートガーダーは2主桁、対して2車線分あるプレートガーダーは3主桁である。 でも、床版の接合部が見えないので寄ってみる。 どうだろうか。橋脚と橋桁は独立しているのに、床版がくっついているのがおわかりだろうか。また、向かって左の橋脚は、古い橋脚を包み込むようにして建っているように見える。 振り返る。 よりはっきりわかる。そしてなぜかカンチレバー側にはツナイダルがあるのに、プレートガーダー側にはない。 再度、床版の上へ上がってみよう。 片や5スパンのカンチレバープレートガーダー、片や3スパンのプレートガーダーなので、このように、継ぎ目の位置がずれる。 最後にアプローチ道路。このように轍があるので、最近まで車道だったのがわかる。 1982年に撮影された航空写真を見る。 (国土画像情報よりトリミング・転載) この時点では、カンチレバー側も利用されていて、プレートガーダー側は外側のみを車道として使っている。 この場所に橋が架けられたのは、近くにある中山道六十九次の武佐縮の看板によれば、明治8年(1875年)。それ以前は渡し舟もしくは舟橋だったらしい。明治26年(1893年)改築、さらに昭和12年(1937年)「近代的な横関橋」を新築。旧橋は2年後に撤去された。 この横関橋が渡るのは日野川。小さな川だ。それでも一級河川であるのは、この日野川が琵琶湖に注ぐためだろうか。琵琶湖は「一級河川淀川」である(滋賀県内は瀬田川と称する)から、その支流たる日野川も一級河川ということになる。 PR |
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