阿寺川橋 顛末/『トラック野郎 熱風5000キロ』に捧ぐなどに関連して。 『大桑村 写真で見る100年』を見に行ったときのこと。それがある、大桑スポーツ公園に行く途中に、木曽川を渡る廃橋があった。例によって吊橋は主塔だけが残されている。 この主塔につながるべき道はすでにない。堤防の内側は完全に撤去され、住宅がある。 (1947年の航空写真はこちら) さてこの主塔。見れば、所在げに銘板がついている。 . 左。 . 右。 昭和35年竣功。意外に新しい。後述するが、14年ほどしか使われなかった。 対岸にも主塔がある。なぜ吊橋は主塔だけ残すのだろう? この和村橋(旧)が賭けられた当時の写真が、前述の本にある。 補剛桁の材質はわからないが、対岸への重要な交通路だったはずなので、自動車も通れる規格だったろう。 さて現在、この吊橋に変わる(新)和村橋が架かっている。 うっかり親柱しか撮ってない。それだけでなく、箱桁なのかプレートガーダーなのか、そんな確認もしていない。 昭和49年5月竣工。この時点で、吊橋の和村橋の役目は新橋に取って代わったはずだ。旧橋はいつまであったのか。少なくとも1985年までは、補剛桁もあることが、航空写真からわかった。 (国土変遷アーカイブより) 左が新橋、右が旧橋。 ものごとのはじまりは記録されるが、終わりは記録されることが少ない。航空写真のアーカイブはそれを解決してくれるものではないが、いくらかのヒントはくれる。もっと解像度を高くしたものだとなおいいのだが。 PR |
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