写真家・中筋純さんの新作『チェルノブイリ 春』(二見書房)をご恵送いただいた。
中筋さんは、1990年代より廃虚の写真を雑誌に発表したり本としてまとめている方だが、私にとってはバイクでのつながりである。初めてお目にかかったときは、雑誌『アウトライダー』の編集者を辞め、カメラマンとして独立した頃だったと思う。いまから思えばまだ30歳そこそこか…。 2009年、銀座キヤノンサロンで、中筋さんの写真展『黙示録チェルノブイリ』が開催された。元となった写真集はいま友人に貸しているので手元にないのだが、取材は秋で、無人の団地に、それを凌駕する高さに伸び伸びと育っているポプラがとても印象的な写真集だ。植物の持つ生命力が、これでもかと出てくる。廃虚は刺身のつまだ。 その写真展の時には合間に撮影に行ったなどということは聞かなかったような気がするのだが、その時期に撮影した作品が、本書『チェルノブイリ 春』である。 * * *
圧倒的な植物の力から始まる。芽吹きと、朝の光。『黙示録~』が、秋と夕景だとすれば、本書は春の朝だ。無人のコンクリートの街を、好き放題に伸びる植物。『黙示録』ではオレンジ色に輝いていたポプラも鮮やかな緑だ。ややあって、展開は断絶する。建物の中へ。人々が置いていった玩具や本、のちに盗賊が破壊したピアノなどが乱れている。そこには光ではなく影が描かれる。外に出る。再び陽光が差す。老いた男性がいる。今度は、植物が展開するのは人の存在が感じられる場所。かつては人が跨っていた、バイクの残骸。民家。教会・墓地。そして、「石棺」と、放射線マーク看板の乱立。 そこからは乱れてくる。植物の繁茂もあれば、ガスマスクもある。窓から差し込む明るい光を受けて室内に伸び始めた木もあれば、川に沈みつつある大型船もある。有刺鉄線。篠突く雨。放射線マーク。うっかり、そこが汚染地帯だということを忘れて浮かれてしまった気持ちを、ここがどこだか忘れてはならぬ、と冷たく諭すような展開。 本書の作品を元にした写真展は、この4月にニコンサロンで開催された。あいにく私が行った日のみ中筋さんは不在で、話を聞くことができなかった。会場にいた奥様にお話をうかがうと、写真集は写真展に合わせて完成するはずだったが、東日本大震災の影響で間に合わなくなったとのこと。また、写真展会場には、福島第一原発の事故が起きたことにより、写真展そのものをどうするか迷った旨の掲示もあった。それらのさまざまな判断を部外者の私がどうこう言うことはできない。展示された作品に込められた思いを、ただ受け取り、自分なりに鑑賞するのみである。 デジカメウオッチのサイトで、作品や写真展の様子を見ることができる→こちら PR |
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