失礼ながら、最初は期待していなかった。今尾氏の本はいままでいくつか読んでいて、そのどれもがそこそこの内容ではあるのだけれど、雑学本のような、テーマのぼんやりしている散漫な内容である、という印象を持っていた。『生まれる地名 消える地名』では、平成の大合併で誕生した新地名に苦言を呈する割には自分で考え出した新地名を披露して「こうすればよかった」というような記述が多々あり、なんだこれは、と呆れた記憶がある。
ただし、それは物書きとしての姿であって、地図収集者としての今尾氏のすごさは他社の追随を許さないと思っている。とはいえ、それにも限界はあって、新潮社の『日本鉄道旅行地図帳』シリーズに、多々不備があることは巷間指摘されているとおりだ。地形図刊行の狭間で敷設され、消えていった軌道は多いし、すべてが記載されているわけでもない。地形図は、資料を基に加筆するけれど、すべてを加筆するわけじゃないだろうし、資料がすべてそろっているわけでもないだろう。仕方のないことだと思う。 さて、『地図で読む戦争の時代』。版元である白水社のサイトに連載していたものをまとめたもので、連載そのものはすべてではないにしろ読んだことはあった。しかし、あまり身に入らなかった。なぜかはわからないが、「紙媒体的なもの」は、そのままモニタで見てもダメなんだと思う。モニタで見るなら、モニタで見るなりの構成がなければならない。 (1)神社と寺 本書で最初に「お」と思ったのは78ページ。朝鮮の地図を日本の陸地測量部が作ったことについて書かれたあと、「日本人が住み着けばまず最初に神社が建てられるというのは、今よりはるかに『お宮』が生活に密接だったこの時代、国策以前に自然なことだったのだろう」という記述。そうだ。それはいろいろなところで見かける。実際、明治時代の地形図を見るとき、まっさきに探すのは神社や寺だ。私の住む地域は、昭和50年代になってからようやく宅地化が進んだ場所なので、古い地形図や航空写真では、畑ばかり。道路もいまとまったく別のルートを描いている。そこで、神社と寺を頼りにいろいろと見比べている。 (2)ステレオタイプの歴史観への警鐘 次いで、「歴史の見方」を諭しているのが90ページ。「戦前の警官はみんなオイコラと威張っていた、などという紋切り型の理解では歴史はわからない。かといって『台湾人はみんな親日的』などと無邪気に思い込むのはもっと愚かであるが」と書く。そうだ。私が嫌いな言動の一つに、官僚叩きがある。十把一絡げにするな、と。そういう考え方を「愚かだ」という。まことに同意する。 同様の記述が101ページにある。これは私も本書で初めて知ったことで、松岡洋右が国際連盟を脱退したときの様子は、その新聞記事を「資料」として高校時代に習った記憶がある。そこには「聯盟よさらば!遂に協力の方途盡(尽)く」「和が代表堂々退場す」という見出しが躍っている。これについて、本書では本題とズレながらも「(松岡を)勝手に『英雄』にしたのは例によってマスコミであり、本人は外相に向けて、潔癖すぎる対応で連盟を脱退することのないよう意見具申までしている」と書いている。その筋で検索すると、これが事実のようだ。 (3)地図を見る姿勢 これが、本書のテーマだと思っている。190ページ。戦時改描された地図を見て、後世がそれを「史実」として扱ってしまうことへの懸念がある。とくに地図に限ったことではなく、たとえば明治期に辞書に意味を誤記された単語が、延々と孫引きされて数十年間流通してしまった話(井上ひさしの何かの著作で読んだ記憶がある)や、鉄道趣味誌で表組みが誤っていたためにやはりそれが延々と孫引きされ…というような話だ。身につまされる。 いままで私が見た今尾氏の著作とは明らかに違う。いままで見たものがよくなかったのか、それとも今回、突き抜けたのか。それはわからないが、内容はとても素晴らしいものであったことをここに明記する。 惜しむらくは価格か。四六判268ページで1890円。この体裁なら1365円~1470円くらいであってほしい。カバーと同化してしまっている帯などいらないから。 ひとつだけ、誤記の指摘を。 P48後ろから5行目、「垂井駅が PR |
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