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四国山中にある、知られた廃給油所。ここには大協石油のサインポールが残っている。非常に貴重なものだろう。

 
防火壁にはessoのマークが浮かび上がる。

 
三つ残る計量器にはすべてessoの印。これは有効期限が昭和57年10月。そのころ、既にessoだったのだろう。

大協石油は昭和61年4月に丸善石油と(共同で設立した製油会社としての旧)コスモ石油と合併して(現)コスモ石油になっている。essoはまったく関係がない。給油所がブランドを替えることは時折あることだが、大協石油のサインポールを掲げたこの給油所が、いかにしてessoのロゴを防火壁に描いていたのかはまったくわからない。

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閉鎖された給油所。写真右がメインの店舗部分で、サービスルームもそちらにある。路地を挟んで写真左側にもなにかしらの施設があったようだ。そして、奥を見て欲しい。防火壁が道路に飛び出し、さらには削られている。

裏に回ってみたところ。最初は防火壁で塞がれていたものをぶち破ったのかとも思ったけれど、どうもそうでもなさそう。写真左には給油所とは関係なさそうな民家もある。

おそらく、なんらかの理由で防火壁はこの長さ(出っ張り)が必要で、しかし、給油所閉鎖後、クルマの通行を容易にするために、一部を砕いたのではないか。ちょうどハイエースのミラーが「当たらない」位置が削られていた。ここを削ることで、3ナンバーのクルマも出入りできるようになったのだろう。

給油所のブランドはわからなかった。1997年の地図にも載っていないので、閉鎖されてからとうに20年は経っているものと思われる。


【同日追記】
FBでO氏から「下の写真を見ると、防火壁が境界杭を越えている。それが原因ではないか」(要約)というご教示をいただきました。もしかしたら、それが原因で防火壁を少し削らざるを得なかったのかもしれません。それでも、いまでもはみだしていますが…。





九十九里浜に、閉店してしまった給油所があった。防火壁やサービスルームが白く塗られているのはブランドに関わらず同じだが、それでもツートンカラーになっているのは、真っ白だと違和感が大きいからだろうか。斜め向かいの商店が経営していたようで、その商店の意匠もすてきだった。

 
 
防火壁には、うっすらとツバメが浮き出てきた。よく見ると、Maruzenという文字も。現地では目をこらさないとわからない、ペンキに塗り込められたそれは、写真の彩度をアップすれば、きれいに浮かび上がってくる。

 
 

防火壁には「コスモ石油」の文字が例によって浮き上がっているので、「じゃあ丸善の痕跡がないだろうか」と探すきっかけにもなるのだが、ところどころ白ペンキが剥げてコスモ時代の緑や青が見えている防火壁の根本を見ると、そこには丸善の紅色が見えていた。
 














焼尻島と同じく、ノーブランド(に見える)給油所。おそらく漁協管轄だろうと思う。やはりドラム缶がいくつかある。このドラム缶の表記を確認しなかったのが悔やまれるが、おそらくガソリンと軽油が入っているのだろう。

●関連事項
焼尻島 ガソリンスタンドだった壁



焼尻島の港近くの一角に、防火壁があった。残念ながら、なんのペイントの跡もなかったが、写真左には燃料貯蔵庫も見えるし、どうも給油所跡のようだ。近くにいた旅館の女性に尋ねたら、やはり「ここには給油所があった」という。今は、(元?)漁協の長がこの場所を取得しているという。

その代替と思うが、島の給油所はここ一つ。経由とレギュラーのみ。ブランドはないが、漁協の管理か。後ろにはパレットに載ったドラム缶、もしかしたら、給油時は軽量機の一端をドラム缶に差し込み、そこから給油するのだろうか。地下タンクへの注油口はなさそうだ。









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