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20121126_007.JPGつくば市内の、地元のスーパーの駐車場の脇に、この丸善石油のサインポールが立っている。県道同士の交差点だから、街中といえば街中だ。商店の行灯は別建ての街灯に掛けられており、このサインポールがここに残されている必然性はない。それでも、北側を向いたこの面は、褪色しやすい赤があまり薄れずにこうして残っている。

20121126_008.JPG反対側、即ち商店の行灯が夜な夜な照りつける側は、かなり褪色している。南面ということもあるかもしれない。


改めて2万5000分の1地形図を見ると、この角には高塔のマークがある。Googleマップを見ると、この商店の筋と直交する筋に、火の見櫓があったようだ。


 
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20121105_001.JPG丸善石油のツバメマーク。かなりきれいに保存されている。しかし、これがあるのはれっきとした現役のENEOSの給油所。丸善は、今のコスモ石油につながるブランドである。

20121105_000.JPGまったく別のものを画像検索していたら、偶然、2012年に撮影された写真で日野市内にこのツバメマークがあることを知った。「日野市のはずれ」というヒントが書かれていたのでGoogleのストリートビューで探してみると、上の写真にある価格看板を備えたENEOSがあるにはあったが、ここには建物があった。このように。

20121105_005.JPGどうやら産廃会社のブロック塀があったため、防火壁の裏側は塗装されることがないまま20年以上がたち、産廃会社の施設が取り壊されてそれが露わになったようだ。ストリートビューの撮影は2010年だから、露わになってまだ2年以内だ。

ckt-74-16_c30_20.jpg国土画像情報より転載・トリミング)
1974年の空中写真を見る。中央道に架かる左端の橋の南西にあるのが給油所。その左は黒い土、すなわち畑で産廃会社はまだない。

話はずれるが、こうして見ると、中央道と、この日野駅前から石川工業団地に行く道が、畑の中に突如割り込んで建設されたのがわかる。畑の中にあった小道がそれぞれ分断されている。

さらに、空中写真の中央下、ロータリーの存在。これは帰宅後にきづいたので行っていない。ログを残しておきたい場所だ。

20121105_004.JPG話を戻して、防火壁。このようになっている。小口というか妻面というか断面というか、そこまでは通常のENEOSカラーになっている。

20121105_002.JPG真正面。秋晴れのもと、ゆったりした給油所周辺はとてものんびりした空気が流れていた。


20120819_015.JPG前回の昭和シェル跡から10分ほど走ると、今度は大協石油のマークが見えた。バイクを止め、雨の中、少しだけお邪魔する。

20120819_005.JPGイエローラインのR105、周辺には普通に民家がある。サービスルームの真正面に、壊された計量器がひとつ。その横に土台だけがひとつ。サービスルーム横にひとつ。奥にひとつ。

20120819_006.JPG上桧木内給油所。残念ながら、サービスルームは荒廃している。

20120819_010.JPGもっとも、計量器の検査期限が昭和53年8月であったりするのだ。閉めてから30年以上が経過している。美しくある方が難しい。この計量器、真ん前に照明灯が立っているのだけれど、なんでこんな位置に…。

20120819_008.JPG左手の防火壁。

20120819_014.JPG大協石油のマスコットと「Hello!」の文字。

20120819_013.JPG地下タンクへの注油口。フタには大協石油の五稜星の陽刻。

20120819_011.JPGすぐ右に大協ホーム灯油の計量器。

20120819_012.JPGそして「丸銀商事」の文字。

ここで直角になり、
20120819_016.JPGこの防火壁の(かつての)扉からは、秋田内陸線が見える。ちょうど、列車が通過していった。

20120819_007.JPG右手の防火壁には、欠けた五稜星とDAIKYO OILの文字。その手前の、切断された支柱状のものともども、高さが嫌われて除去されてしまったか。

20120819_018.JPGアイランドに残された給油機。これは人為的に破壊されたものだろう。おかげで内部のポンプが前後対照になっているのがわかる。

20120819_019.JPGその外側らしきものは、サービスルーム内にあった。「ダイナミック」の文字も、大協のマークも残っていた。

 
20120622-999.jpg埼玉県の越生駅前。JRと東武の接続駅とは思えないような、地元のための駅。だから、駅前も商店街みたいなものはなく、民家や商店が少しずつ並び、路地もある。その商店も、なかなかに古びたものばかり…と思っていたら、明るい黄色が目に飛び込んできた。キグナス石油。

煉瓦タイルをまぶしく黄色と白でぬりつぶし、印象としては私はまったく好きではない。目が向いたのは、サービスルームの左側の壁に、円形を見たからだ。

20120622-998.jpgここだけ小さなタイルを使い、円形に仕上げている。おそらく、ここにはモービル石油のペガサスマークがあったのではなかろうか。大きさも、それくらいである。いまキグナスは三愛石油(理研系)の経営だが、三愛はモービルやESSOのブランドでも販売している。ここも、もしかしたら、かつてはモービルだったのだろうか。

そう思って@g_standさんにお聞きしたら、「仕入れ先の関係で、近年モービルからキグナスになった例は埼玉にとくに多い」とのこと。いつもありがとうございます。

gogo.gsに挙がっている写真を見ると、2007年の時点ではノーブランドだったようだ。ブランド店→ノーブランド店になる例はよくみかけるが、モービルからノーブランドになり、またキグナスというブランドに戻ったのはおもしろい例かもしれない。

なお、私はノーブランド店では給油しない。

 
20120305_002.JPG五稜星の先端を切り落としたようなこのロゴは、今はなき大協石油のマーク。いまのコスモ石油につながる元売り会社だ。

20120305_000.JPGといってもいわゆるガソリンスタンドではない。防火壁には「大協ホーム灯油」と書いてある。そして、現役である。ただし、軽トラのタンクにも石油会社のロゴはないので、現在取り扱っているのがどのブランドなのか、あるいはノーブランドなのか、それはわからない。

20120305_001.JPG計量機はカバーがかけられている。仕入れた灯油は地下のタンクに保管し、それを計量機で軽トラのタンク(430kl)に移して各家庭を回るのだろうか。軽トラのタンクの計量機には「2012年9月」のステッカーが貼ってある。

20120305_004.jpg防火壁の裏側。

20120305_003.JPG防火壁をもう一度。

この灯油店は、まもなく廃止となる長野電鉄屋代線の松代駅の近くにある。

***

こちらのサイトに、昭和29年の大協石油のタンクローリーの写真がある。もちろんボンネットだ。
 


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