以前書いた、トレッスル橋脚を持つ巴橋のすぐ近くにある中央本線の新・第4木曽川橋梁。複線区間であり、今回は上り線(名古屋→塩尻方向)の桁について書く。
場所はここ。 もともと中央本線は単線で開通しており、現在の下り線(塩尻→名古屋方向、東側)が明治43年(1910年)11月25日の開業当初からのもので、上り線(西側)が、昭和43年(1968年)9月30日の複線化時に増設されたもの。それは、すぐ北の隧道の坑門の意匠をみればすぐわかる。 (左が今回書く上り線で、「しなの」が通過中。坑門は無地のコンクリート製。対して、右の下り線の坑門は石積をコンクリートで改修したもの?) 巴橋から見ると、こう。 写真左が塩尻方面、右が名古屋方面。左から、46.8mの上路箱桁と、16mの下路鈑桁の2径間である。 まずは下路鈑桁。 薄っぺらく見えるのは、たぶん目の錯覚。まあ、支間16mなので、高さもそれほどない。 向かって右の擁壁は、もちろん複線化時に作られたものだろう。「1967-11」という陰刻がある。 下路鈑桁の裏側。 小さいなあ。という印象。 塗装標記。 橋りょう名 新第4木曽川橋りょう
位置 薮原~宮ノ越 266K246M 塗装年月 2005年8月 塗装回数 3回塗 塗装種別 下塗 シアナミド鉛さび止めペイント 及び塗料名 中上塗 長油性フタル酸樹脂塗料 塗料メーカー 大日本塗料株式会社 施工者 佐野塗装株式会社 この区間の複線化は1968年なので、2005年前には一度は塗り替えられたか、というところだろう。 南側橋台には銘板があった(北側は接近できないので確認をしていない)。 新第四木曽川橋りょう
設計 岐阜工事局 施工 佐藤工業株式会社 設計荷重 KS-16 基礎工 くい打R.C.くい7m20本 木曽根入 天端から13m55 着手 昭和42年4月20日 しゅん功 昭和42年6月24日 「橋りょう」「くい打」「しゅん功」いずれも、カナ部分には傍点が伏してあるのが興味深い。このエッチング銘板の原稿を作った人は、交ぜ書きに抵抗があったのか。 橋脚と、上路箱桁の全景。塗装が光っていて美しい。古めの橋ばかり見ていたので、箱桁のような近代的な桁を見るととても新鮮だ。 なぜ橋台よりもきれいなのだろう? 上路箱桁の裏。 桁の下面ののっぺり感が、なんともいえない。 『鉄道構造物探見』(小野田滋)によれば、国鉄が箱桁を初めて採用したのは昭和33年(1958年)で、東海道新幹線の工事で大量に用いられ、昭和42年(1967年)に、「在来線用上路プレートガーダの標準設計でも、支間三六・四メートル以上の桁はボックスガーダとすることが基本となった」とある。とすれば、この箱桁は、その最初期にあたるものだ。 この区間の動画がある。 この前面展望は上り線であり、1分11秒あたりから、この橋を渡っている。鈑桁のほうにはバラストが敷かれ、箱桁のほうにはないようだ。とくに後者は音でも、冒頭の写真でもわかろう。 次回は下り線について書く。 PR |
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