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高徳線の吉成駅に停車している列車内から、跨線橋が見えた。歩道橋のような、屋根のない跨線橋。車内からなので、桁は見えない。

階段部分に銘板があった。拡大する。
吉成こ線橋
設計 四国総局
施行 大阪土木工業株式会社
設計荷重 500kg/m^2
着手 昭和52年11月11日
しゅん功 昭和53年2月8日


銘板は、いろいろ教えてくれる。

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JR奥羽本線の鷹ノ巣駅の跨線橋は、本線の駅らしく、ホーム両側に階段が伸びる。その骨組みは古レールである。

  2・3番線を見ると、写真左側の階段室は外側も木造のまま、右側は更新されている。その部分の古レールは外側に垂直方向に使われている。

古レールの間に水平の規格ものサッシがふたつ。かつては跨線橋の脚を使ってこの部分だけホームに屋根があったのだろうが、写真左に新たに作られたホーム上屋の柱は明らかに太い。

階段の下端はなぜか少し広がっている。また、内部が木製であり、きれいに塗装されているのもわかる。

最後に鷹ノ巣駅。素晴らしい平屋建ての国鉄駅舎だ。

JR高崎線の籠原駅。電車の増解結が行われる駅として知られている。駅舎は橋上、東西自由通路まで備えた近代的な駅だが、跨線橋は古レールをプラットトラスに組んだものだ。

屋根はアーチ。このアーチ部材は古レールで、軸方向の部材はアングル材である。



3・4番線ホームの上野側に増設された階段とエレベーター。この増設部分を、一つ上の写真と見比べてほしい。一つ上の写真は、高い窓と、腰板にはポスターの羅列。こちらは足下まで採光用のガラスが連なる。一つの上の写真の通路では、もしそこにベンチがあっても座る人など皆無だろう。でもこちらなら、きっと、そこが休憩所になるに違いない。

こうして比べると、時代によって跨線橋というか公共の通路への考え方の違いがあることがよくわかる。国鉄時代の跨線橋というのは単なる通路であって、客は一刻も早くその場から逃げ出したい空間だが、最新の通路は少しでも長くそこにいてもらう場所、いやそれだと誤解を招くな、またそこを利用してもいいと思わせる空間である。

ホームの上に戻る。古レールは階段部分のフレームにも使われている。そして、後付けと思われる屋根の部材とも溶接されている。こういう「現物あわせ」なところがおもしろい。











当初、階段は大宮側のみだったものの、のちに高崎側にも増設されている。


JR信越本線の鯨波駅の跨線橋。写真のように、上下線で階段部が逆向きになっている。こういうものは、単線時代にタブレット交換をするために、上下列車の先頭同士が近くなるよう設けられる場合が多い。鯨波のがそれに該当するかは不明。

跨線橋の桁は、古レールを使用したワーレントラスだ。

側面、ここは橋門構にあたると考えていいのだろうか。脚は鋼管。

内部。木造の天井が目立つ。

桁裏。コルゲート板のようだ。

すぐ上の写真でも脚が見えているが、ひとつだけ、陽刻があった。ただし、読めない。左側は「明治四十年」だろうか。

上りホームの階段部分最下部には銘板が埋め込まれていた。

●左
施工 株式会社植木組
概要 跨線橋 階段部 鋼造一部木造
   (亜鉛メッキ仕上)
   福音3.0m 2箇所
しゅん功 昭和58年3月

●右
施工 株式会社植木組
概要 階段 鉄骨古レール造 巾員3.0m 2ヶ所
      (ペイント塗装4回塗り)
   基礎 鉄筋コンクリート造
      鉄筋コンクリート抗Φ=300mm ℓ=90m 8本
しゅん功 昭和44年7月


また、下りホームの脚の根元にも、銘板があった。

施工 (株)植木組
概要 階段 鉄骨古レール造 巾員3.0m・16.6m
      (ペイント塗装4回塗り)
   基礎 鉄筋コンクリート造
      鉄筋コンクリート抗Φ=300mm ℓ=9.0m 16本
しゅん功 昭和44年7月

これらの「しゅん功」は、更新年月と見ていいだろう。

駅舎。かつては茶色系統で塗装されていた。
美しいが、いささか厚化粧だ。


JR高崎線篭原駅の跨線橋。フレームは古レール。

橋上駅舎化されているが、そのための南北自由通路は別に設けられているので跨線橋は駅舎とホーム間を移動する手段として残されている。しかもエレベーターも併設されて。

ほとんどの利用者は、跨線橋の内部がどうか、跨線橋が古いか新しいか、などということは考えもしないだろう。小川町駅のような珍しいものでも、毎日利用している人に聞いても「え? そんなだっけ?」というほどだった。

内部は化粧板、窓はアルミサッシ、天井はコルゲート。その内側には配線の配管がむきだし。「ここにずっといたい」「ここで待ち合わせをしたい」とはあまり思わないだろうなと思う空間。それが残されてしまう空間が、跨線橋。

天井の横方向のフレームはレールを湾曲させている。軸方向はコルゲート板を支えるだけでいいからか、アングル材。

それにしても、配管。鉄道駅の配線配管の多さは異様だ。ここでは数えられるくらいだが、地下鉄になると数十本が平行していたりする。

こうした古い跨線橋でも、一部を改造して最新の施設と融合しているのは興味深い。エレベーターとその向こうの作りは現在のソレであり、メイン通路の殺風景さとは全然違う。かといって、メイン通路をこの体裁に(おしゃれに?)直そうということもない。そのあたりのギャップもおもしろい。いずれ跨線橋本体を改築する必要が出た場合、このエレベーター部分はそのままにメイン通路部分だけを架け替えるのだろうか。

ホーム上屋の支柱は、跨線橋の古レールのフレームにくっついている。跨線橋が先にできたのかどうかはわからないが、跨線橋階段部分のコンクリートも比較的新しく見えるので、同時代に作られたのかもしれない。

ホーム上屋のない時代の籠原駅の写真など、どこかに載っていないだろうか。



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