列車に乗ったり降りたりしながら、フレームがプラットトラスである跨線橋があると撮っていた。車内から撮ったものもあるので、その場合は半分しか写ってなかったりするが、ないよりはマシだろう。
●青森駅 ホームは南北方向に配置されている。跨線橋は南側にある。 画像左の長い跨線橋が、旅客用のもの。駅舎本屋(東口=メイン)と西口、各ホームを結ぶもの。右のは、ちょっとうろついたけれどなんだかわからなかった。おそらく、かつて小荷物輸送や郵便輸送をしていたときに使われたものかと推測する。 右の跨線橋を、反対側から。(左の跨線橋から撮っている) どちらもトラスは鉄骨作りであり、プラットトラスである。 ●滝川駅(以下、北海道) ●岩見沢駅 脚も古レールで組まれている。脚だけ最新のものに交換、という例も見るだけに、これはうれしい。 ●塩谷駅 なんというか…すてき。 (青森・北海道の駅における跨線橋 撮り散らし その2に続く) PR (参考) 跨線橋におけるトラス構造 しかし、この秋田駅のものは、通路の下半分しかない。 しかも、「橋台」、ではないな、跨線橋の脚といったほうが適切か)にちょこんと載っているだけ。さらに、トラスの見た目が台形ではなく長方形をしている。上弦の端部がどこかと接合されているわけでもなさそうなのに…? 内部はこう。 これは、大石橋のような構造だと解釈していいのだろうか。 (サイト「橋の散歩道」に、そのポニーワーレントラスの写真あり) もっとわかりやすい現役のポニートラス(補強)があったと思うのだが、ど忘れしてしまった。思い出したらリンクを張る。
新潟県の柏崎駅には0番線ホームがあり、その向こうに5線、留置線がある。つまり、こちら側に6線ある。私が小学生の頃に撮った写真を見ると、ここにはレールを積んだチキやワム8、タキなどが留置されている。現在は草むしていて、使用されている気配はない。
その0番線、行き止まりの部分に不思議なものがある。 荷役の設備だろうか。ご存知の方がいらしたら、ぜひご教示いただきたい。 (4/10追記:架線の末端を保持する架線柱ではないかとのご指摘をいただきました。TcodeFさん、okuyamatsumiさんありがとうございました。) 0番線の向こうは更地になっている。かつては日本石油の柏崎製油所があり、その後は日本石油加工となったが、とにかく石油関連施設がここにあった。産業遺産的な話がたくさんあるが、それは割愛する。それらをふくめ、新潟県中越地震でその多くに被害が生じ、取り壊されたようだ。 振り向けば、跨線橋。 参考までに、愛知県の武豊線半田駅の跨線橋の橋脚の写真をリンクしておく。出典はwikipediaである。半田駅の跨線橋は1910年設置であるとも記載がある。そこから大きくは離れないうちに設置されたと見てよかろう。 ![]() ●2013.9.26追記 写真を追加する。 この跨線橋も、古いものを利用しながらエレベーターを後付けしている。 去る21日に発売された『鉄道ファン』(下段の写真)を見て驚いた。開業当時の大阪駅の写真が掲載されており、なんとその跨線橋がクイーンポストトラスなのだ。掲載されている記事は古い給水塔の図面の解説で、実はこの写真との関連性が私にはわからないのだが…。 上の写真は『日本国有鉄道百年史』の別冊『~写真史』。両者の写真はよく似ているが、もちろん別物。上の写真には蒸気機関車がいない。そして、より多く跨線橋が写っているという点で、いま現在書店に売っている『鉄道ファン』をぜひご覧いただきたい。 ふと思い立って土木学会のサイトにある『日本鐵道史』を見たら…あった! 写真などほとんど掲載されていないこのアーカイブに、正面からのものがあるとは! 冒頭の写真でもわかるが、端柱がずいぶんと鈍角である。そういうものなのだろうか。そういえばキングポストトラスもクイーンポストトラスも、端柱が鋭角であるものを見たことがない気がする。発想として方杖(棒を突き合わせるもの)だからだろうか。 『日本国有鉄道百年写真史』について、以前も書いたような気もするが、土木構造物の写真がたくさん掲載されている。それも、開業に向けての工事中のものや開業直後のものが多いので、既に架け替えられてしまった大多数の橋梁の姿が拝める。現存数の少ないボルチモアトラスもいくつかある。室蘭や手宮の、石炭船に積むための2階建ての桟橋の俯瞰写真もある。 いまオークションを見たら1000円以下でいくつも出ている。ぜひ。(出品者は私ではありませんよ) なお『日本国有鉄道百年写真史』の著作権について。これは国が出版したものと見なしていいのだと私は考えている。奥付には、不思議なことに「(C)1997」とある。これは、表記としてはまったく「なっていない」。(C)=マルCはcopyright、複製権を持つ者を記すマークであるから、これでは「1997」という人格が著作権を持っていることになる。復刻版の発行年が1997年であるので、おそらくそれを書いたのだと思うが、明確な誤りであり、この本には著作権表記がない、というのが実際のところであろう。表記がない=パブリックドメイン、ではないので念のため。
8月22日(日)・23日(月)と、東京から高崎・六日町・犀潟・富山・岐阜・天竜二俣・東京、というルートでぐるりと一周してきた。22日の朝、高崎駅のトイレを出たところでふと窓の外を見ると、そこには古い跨線橋があり、その骨組みはプラットトラスの構造ではないか。
跨線橋とて「橋」である。人が歩く部分の桁をどう支えるか、という観点で見ると、トラス桁のものとビーム桁のものがある。もしかすると最近は張殻構造なんてのもあるかもしれない(妄想)。また、横桁がどこにあるのかも意識するとおもしろい。 ここでプラットトラスになっているのはなぜなんだろう。活荷重は小さいので、構造計算しやすいとか。あるいは、レールみたいな軟らかい部材を使うから、斜材に引張力のみが働くプラットトラスになっているとか(ワーレントラスは、斜材にかかる力は引張力/圧縮力/引張力…と交互になる。レールは、5mもあれば、私が乗るだけでぐにゃりと曲がるくらい軟らかい)。そちら方面はまったくわからないので、なぜプラットトラスなのか、正確な理由は分からない。 そういう目で見ると、この高崎の跨線橋は、7パネルなのに、向かって左にズレて、中央パネル部分の斜材がクロスしている。ということは、向かって左側の向こうになおもう1パネル分、あったのかもしれな。この跨線橋は上弦材と斜材がレールで組まれ、下弦材は断面が形鋼(C型チャンネル?)に見える。なお、横桁がどこにあるか、写真からはわからなかった。 さて、高崎で突如目覚め、できる範囲でトラス桁の跨線橋の写真を撮ってみた。また、帰宅後、過去に撮った写真で跨線橋が写っているものをいくつか抜き出してみた。 よく見ると、横桁は下部のガセットで結合されてはおらず、1パネルあたり2本の横桁が、なんらかの構造で下弦とくっついているようだ。 高山本線笹津駅。こちらは2連の構造となっていて、向かって右が4パネル、左が7パネル。左の方の中央格間の斜材はレールではなく帯板だ。たしかに、もっとも大きな力がかかるのは端部の斜材である。横桁は、下部のガセット部分に結合されているようだ。 橋脚は端柱を兼ねている、ということはこれはラーメン構造の要素もあるというのか? そういう分類をしていいかどうかは、私にはわからない。 この、すばらしく「まもなく消失する雰囲気」を醸し出しているのは富山駅の跨線橋。いま、富山駅は新幹線開通に向けての工事がたけなわであり、遠からずこの跨線橋も姿を消すだろう。 見事に古レールを大活用して作られた、8パネルの跨線橋。1パネルにつき2本、横桁(レール)が乗っていて、その上にコンクリートで床版が打ってある。木造の側壁は完全に雨よけに過ぎない。 また、内部をご覧いただければわかるとおり、こちらも上横構がない、といっていい。曲線を描くのは、単に屋根を支えているだけではないか。 以上、手持ちの写真でつらつらと考えてみた。これからは跨線橋の写真を「きちんと」撮ってみようかと思う。膨大な数が、まだまだ間に合うはずだ。 |
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