ここから少し北に行くと、2tローリーもはみだすENEOSで書いた盃SSがある。ぜひ給油してほしい。 その盃集落をはさみ、茂岩トンネル、南側坑口。 左(海側)に旧道と廃隧道(?)が見える。 PR 写真は、いまいるのが磯谷トンネル、向こうにあるのが刀掛トンネル、その左の閉塞している坑門はイセバチトンネルだ。 右下には銘板があるのだが、現地では気づかなかった。節穴。 手元の2万5000図では、まだ旧道しかないのだが、更新が遅いのだろう。新道が開通したのは1987年だ。旧道となった種前トンネルは、完全に閉鎖することの多い国道229号沿いの多の隧道とは異なり、まだ口を開けている。 まだ7時すぎだた、建設工事中なので、ここで引き返し、向こう側から見ることにした。 ヴォールト内部、坑口側のみ鉄骨で補強されている。これは、地山が坑門を押す力が働くことによるヴォールト入口部分のひび割れを補修したものだろう。 そのうち、狩場トンネルと兜岩トンネルの間の明かり区間で北に見えるのが、このシェッドである。 シェッドの奥には隧道の坑口が見えるが、塞がれている。また、手前のシェッドそのものも、立ち入り禁止の柵がある。海を回れば入れないことはないが、そうする義務もないので立ち入ってはいない。 その道路の終端部が、ここ。防波堤と民家に挟まれたところで切れている。健康そうな子どもたちが何人か遊んでいた。 このような切り通し。周辺には密漁禁止の看板が立ち、密漁監視の看板を掲げたクルマが頻繁に往復している。バイクを止めてここらへんを歩いている私は、彼らから見たら密漁者に見えるだろうから、カメラで写真を撮っていることをおおげさにアピールした。 日蓮宗のものだった。関係ないが、北海道では多くの天理教の施設、それも地域に根付いている建物を見かけた。
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小谷石には、ローカルバスが3本、通じている。web上には、その乗車記もある。冒頭の小谷石の写真を撮って引き返したら、バスがやってきた。LEDによる行き先表示は「すみません、回送中です」。とっさのことで写真を撮れなかった。 小谷石は、1973年に土砂災害に見舞われている。そのレポートがここにある(PDF)。 http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/74_02_01.pdf |
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