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青梅線奥沢橋梁

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

 
青梅線軍畑駅すぐにある、トレッスル橋脚。ピカピカの赤。

 
橋脚となる部材には、「SEITETSUSHO YAWATA  ヤワタ」などの陽刻がある。

 
おもしろいのは、中央の二つの橋脚だけがトレッスルで、端部側の二つはコンクリート製だ。トレッスルとすることで、その真上にはプレートガーダーが載ることになる、それによって、本来6本必要となる橋脚を4本にまとめたものか(これは憶測である)。



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飯田橋通り架道橋と、飯田町への線路の痕跡

飯田橋通り架道橋と、飯田町への線路の痕跡

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

20121033_000.JPG飯田橋通り架道橋。この下の道路は1000回以上はクルマやバイクで通っているはずだ。客待ちしているタクシーの先には複雑な五叉路の飯田橋交差点(下宮比交差点だと思っていた)。なのに車線幅がイマイチ足りないので、夜の下り方向において渋滞の頭になる部分だ。こちら(西)から、総武線(中央緩行線)、中央快速線があり、かつてはその向こうに飯田町貨物駅からの引き上げ線(?)が1本があった。そのための橋桁もかかっていたが、それは後述する。まずは現役の4線を。

20121033_002.JPG総武線下り線(中野方面行き)の桁がこれ、右に見える桁はホームを支えている。対岸を見るとわかるように、線路の桁には鉄製橋脚(鋼鉄製?)があり、ホームの桁にはない。

20121033_001.JPG鉄製橋脚は、他の場所の橋脚よりもかなり太い。装飾がなく、補強の部材もやたらと太い。補強のブレースは、そこに使われているボルトやリベットの形状からして、後年の付加だろう。装飾がないのは、鋳鉄製ではないことにつながらないだろうか?

20121032_004.JPGこうしてみると、線路の桁(両端)とホームの桁(中央)の違いがわかる。ホームの桁の方が荷重の負担は少ないのだろう。

20121033_005.JPG左がホームの桁。右隣が総武線東行き(津田沼方面行き)の桁。その隣が、中央快速線用の3主桁の複線桁。桁ごとに橋脚があり、さらにそれらをまとめて補強がなされている。

20121033_003.JPG橋脚。

20121033_007.JPG複線桁の北側を見ると、乗せかけていた。桁の向こう側にはそうしたジョイント部は見えないので、橋台と桁を結ぶこの部分は三角形かもしれない。

20121033_008.JPG隙間から覗くと、複線桁の形状がわかる。また塗装標記もある。

橋りょう名 飯田橋通り架道橋
位置 飯田橋構内4K281M80
支間 30M100
塗装年月 2003年10月
塗装回数 4回塗
塗装種別及塗料名 下塗1層目・2層目 厚膜型変性エポキシ樹脂系塗料
中塗3層目 厚膜型変性エポキシ樹脂系塗料
上塗4層目 厚膜型ポリウレタン樹脂塗料
塗料メーカ 神東塗料株式会社
施工者 建設塗装工業株式会社

20121032_003.JPG複線桁は南側に銘板が見えるが、角度が悪い上に塗料が厚く塗られており、「鉄道省」がかろうじて読める程度だ。

20121033_006.JPG反対側(東側)。手前にグレーの新しい桁が見える。かつてはこの場所に飯田町からの引き上げ線(?)(向かって右が飯田町駅、左で行き止まりだった)があった。しかし、いま架かるグレーの桁は鉄道線用ではない。明らかに細い。

20121032_001.JPG北側の橋台。かつての桁が斜めに架けられていたのがわかる。グレーの桁の銘板がある。

20121032_000.jpg東日本旅客鉄道 
2000 群集荷重
EFTG29-1
春本鐵工千葉工場

「群集荷重」を採用しているならば、歩道橋だろうか? GoogleMapの衛星画像を見ると、JR線用の歩道橋のように見える。桁の上には配管が通っている。

20121032_002.JPG南側の橋台。やはり斜めに架かっていた跡がある。

* * *

飯田町に到着する貨物列車がなくなったのは1997年3月である。それまでの間、何度か中央快速線をDE10が走るのを見たことがある。いま思えば大変贅沢な経験だった。あのときに見たDE10、まだ現役だろうか、それともとっくに鉄屑だろうか?


 

平永橋架道橋(靖国通り)

平永橋架道橋(靖国通り)

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

20121004a_000.JPG靖国通りが山手線と交差する地点の架道橋。中央分離帯、歩道と車道の境界に計3基の橋脚が立つ。山手線の内側から撮影。向こうに見える箱桁は東北新幹線で、橋脚はなくひとまたぎ。

20121004a_003.JPG山手線の外側反対側から。上を覆っているのは新幹線。この地点では、線路と道路がほぼ直交しているので、ガード下といえどもスッキリしている。

20121004a_001.JPGガードの幅が狭く、明かりが差すためだろうか。とはいえ、ションベンくさいという印象はもちろんある。

20121004a_005.JPG桁は、4主桁の複線橋にも見えるが、2主桁の単線橋の一部分を剛結した、というものだろうか。4本並行する主桁の下部にブレースはあるが、対傾構はない。写真では見えないだけで、2本の(?)鈑桁の間にある覆いの向こう(上)に、きちんと剛結している部材があるのだろうか。

20121004a_002.JPG橋脚は4本1組。4本というのは4つの主桁に対応している。少しだけ道路と角度をつけて交差している斜橋である。

20121004a_006.JPG橋脚下部。鋳物だろう。

20121004a_004.jpg橋台にあったプレート。都営新宿線のシールドが描かれている。



 

京成本線 都市計画第6号線架道橋 名称の怪

京成本線 都市計画第6号線架道橋 名称の怪

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

20120222_006.JPG京成本線の関屋駅のすぐ西(上野方)にかかる下路プレートガーダーである。橋台はコンクリート、橋脚は鉄。上の写真は南側から。道路は墨堤通り。

場所はここ。


かなりの角度で道路を渡っているのがわかる。45度くらいか。その道路も、京成線をくぐった先で左(西)にククッと曲がっている。もうちょっとうまくできなかったのかしら。

20120222_003.JPG北側から見るとこう。歩道橋は道路をほぼ直角に横切っているので、上空から見ると、歩道橋の桁部分と写真左の階段部分が等しい長さで形成線が底辺となる二等辺三角形に見える。どちら側も、桁保護のためのガードが邪魔で、プレートガーダそのものは見にくい。

さて。
20120222_001.JPGいきなりだが、下に潜る(駅側)。カバープレートに相当する部分は、木材だ。

通常、カバープレートがある場合は騒音防止を意図してバラストが敷かれているのだが、ここはそれがない。なぜ木材で覆ってあるのか、その理由がわからない。


桁は3主桁の複線桁。縦桁はレール直下付近に2本。先に言うと、銘板は見つからないので活荷重は不明だが、有名な荒川放水路橋梁等、歴史的鋼橋集覧に掲載された三つの京成本線の橋梁がすべてKS12であることからして、ここもKS12だろう。若干華奢な桁、というのもうなづける。


鉄製橋脚については後述するが、2本の脚を結ぶ水平材の下、ガードレール的な位置にあるコンクリートの柵の形がおもしろい。









20120222_002.JPG橋脚を正面から。橋脚と接する部分は、桁の短辺に平行する形で三つの主桁それぞれを橋脚が支持している。

向こう側へ。
20120222_004.JPG桁の支持部分。都心、たとえば新永間高架橋に見る(鋳鉄製)橋脚のような装飾がないため、とても無骨に見える。

20120222_005.JPG橋台部分。延びてるアームは落橋防止の部材か。

20120222_008.JPGこれくらいの角度である。プレートガーダや鉄製橋脚がそれなりに古さを感じるのにくらべ、コンクリート製の橋台は、妙に現代っぽい。

20120222_007.JPG通り抜けて振り返る。




さて、この橋梁の名称は、「都市計画第6号線架道橋」という。しかし、wikipediaで見ると、「都市計画第6号線」は九段から練馬に向かう靖国通り・青梅街道のことだと書いてある。そして、現在くぐっている墨堤通りは「東京都道461号吾妻橋伊興町線」である。では「6号線」は何?

wikipediaにあった。

戦前の都市計画では、足立区千住宮元町交差点から墨田区鐘ヶ淵陸橋交差点までは幹線環状道路第六号其の二(其の一は現在の東京都市計画道路幹線街路環状6号線(山手通り))の一部であった。

いまでも山手通りを「環六」と呼ぶことがあるが、その「6号線」であった。先に見たのは放射6号線であった。









 

巴橋(トレッスル橋脚/木曽川)

巴橋(トレッスル橋脚/木曽川)

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚



20110616_000.JPGこの橋の名前は「巴橋」。史実か伝承か、この橋がかかる付近を巴淵といい、木曾義仲の愛人、巴御前ゆかりの地ということになっている。

この写真でも、上の地図でも細く見える川だが、木曽川である。

20110616_001.JPGこの橋を撮ろうと準備していたら、普通の家族連れが
橋の下に降りていって記念撮影を始めた。そんなに有名スポットなのか(たぶん違う)。彼らがその場を去るのを待って、土手を降りていく。



20100816-3.jpgこの橋の特徴は、見ての通りのトレッスル橋脚。鉄道でよく見かけるタイプのものとは90度異なった位置にある。

例えば、既に撤去されてしまった余部橋梁は左の写真のように、トレッスルの長手方向が橋の軸方向に配置されているが、この巴橋は、長手方向は橋の軸と垂直に配置されている。

もっとも、鉄道用のそれは、長手方向の「長さ」の部分には単独の短い鈑桁が載せられているのであるから、桁を支持しているのは、軸方向と垂直な線(正確には点だけれど)である。

トレッスルをアップ。
20110616_002.jpg実に小さい。実に単純。

このトレッスル橋脚の上に、4主桁の上路鈑桁が架かっている。

20110616_003.JPG東側。いや、立派である。車両重量の制限は14t。見ていると、マイクロバスが走っていった。でも、幅は狭い。

親柱、左は「木曽川」、右は「巴橋」。

20110616_004.JPG対岸、西側。親柱は左が…ガードレールに隠れて読めない、右が「ともえはし」(たぶん濁点なし)。


この巴橋、トレッスル橋だという知名度は低い気がするのだけれど、どうだろう?


横関橋(国道8号/滋賀県)

横関橋(国道8号/滋賀県)

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚



国道8号を走っていて目に止まった橋。地図でもわかるが、ちょっとへん。どれくらい変かというと…

20110418-01.JPGこれが北側。

20110418-06.JPGこれが南側。


そしてこれが西側から見た路面。
20110418-03.JPG

おわかりだろうか。北側は5スパンのカンチレバープレートガーダー、南側は3スパンのプレートガーダーである。それに対して、路面は一体化しているのだ。路面の写真はガードレールが邪魔してうまく見えないが(わかるように撮ればよかったのだが!)、ガードレールはあたかも中央分離帯のように、ふつうに両側と地続きである。路面はひとつ、桁は2種類。

なお、路面の画像、左側に親柱が写っているここには
横関橋
日野川

とかいてある。「橋」のじは異体字で、旁の上がナ、その下がハシゴ高のようになった文字である。


路面を東から見る。
20110418-02.JPGせっかく改修した橋なのに、なっぜこんなに幅員狭小なのか。ガードレールを中央分離帯的な意味とするためにも、向かって右(歩道化した車道、北側)を東行きに、向かって左の現在2車線の部分を西行き+歩道にしたほうが安全なのではなかろうか。

西・南側の親柱。
20110418-05.JPGよこぜきばし
昭和44年2月完成

気になる桁裏に行ってみる。
20110418-08.JPG西側の桁下。向かって左のカンチレバープレートガーダーが北側(下流)、右のプレートガーダーが南側(上流)である。右の方が橋脚がすくないのがわかろう。また、スパンが短く桁幅が1車線分しかないカンチレバープレートガーダーは2主桁、対して2車線分あるプレートガーダーは3主桁である。

でも、床版の接合部が見えないので寄ってみる。
20110418-10.JPGどうだろうか。橋脚と橋桁は独立しているのに、床版がくっついているのがおわかりだろうか。また、向かって左の橋脚は、古い橋脚を包み込むようにして建っているように見える

振り返る。
20110418-09.JPGよりはっきりわかる。そしてなぜかカンチレバー側にはツナイダルがあるのに、プレートガーダー側にはない。
銘板。
20110418-99.jpg横関橋
1968年11月
近畿地方建設局
鋼示(1964年)一等橋
製作株式会社駒井鉄工所
材質SM50B.A SS41

再度、床版の上へ上がってみよう。
20110418-12.JPG片や5スパンのカンチレバープレートガーダー、片や3スパンのプレートガーダーなので、このように、継ぎ目の位置がずれる。

20110418-04.JPG最後にアプローチ道路。このように轍があるので、最近まで車道だったのがわかる。

1982年に撮影された航空写真を見る。
20110418map.jpg国土画像情報よりトリミング・転載)

この時点では、カンチレバー側も利用されていて、プレートガーダー側は外側のみを車道として使っている。


この場所に橋が架けられたのは、近くにある中山道六十九次の武佐縮の看板によれば、明治8年(1875年)。それ以前は渡し舟もしくは舟橋だったらしい。明治26年(1893年)改築、さらに昭和12年(1937年)「近代的な横関橋」を新築。旧橋は2年後に撤去された。

この横関橋が渡るのは日野川。小さな川だ。それでも一級河川であるのは、この日野川が琵琶湖に注ぐためだろうか。琵琶湖は「一級河川淀川」である(滋賀県内は瀬田川と称する)から、その支流たる日野川も一級河川ということになる。


お茶の水橋/聖橋を水面から

お茶の水橋/聖橋を水面から

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

暗渠クルーズと小石川橋通架道橋
神田川橋梁を水面からのつづき。

順番が前後するが、神田川橋梁を水面からの前にあたる。JR御茶ノ水駅の東にかかるのが、お茶の水橋。駅のホームから見える、幅の広い、鋼製ラーメン橋である。
20110221-01.JPG美しいπ型ラーメン。かつて、この上には都電が走っていた、1931年開通の橋である。

20110221-02.JPGこの力強い足。片側に七ツあるピン支承をじっくりと愛でたい。

図面や諸元はこちら(PDF)。


続いて普通の人(?)にも広く知られている聖橋。
20110221-03.JPGその向こうに見える神田川橋梁を考えると、桁下高さをこれだけ確保する必要はまったくない。せいぜい、その向こうに見える神田川橋梁くらいでいいのだ。両者の開通年は4年ほどしか違わない。

この聖橋はライトアップされるが、私としてはお茶の水橋のほうをライトアップしたほうが金属の質感が美しいだろ…と思っている。

神田川橋梁を水面から

神田川橋梁を水面から

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

暗渠クルーズと小石川橋通架道橋のつづき。

<関連項目>

神田川橋梁のヒンジ

写真を並べるだけです。
20110221-07.JPG聖橋から見ても同じように見えるのだが、仰角が違うのだよ…。(神田川橋梁のヒンジもほぼ同じように見えるとは違うのだよ!)

右上に少し見えている黒いのは丸ノ内線御茶ノ水橋梁。そこから見通す水色の神田川橋梁。鋼製ラーメン橋脚の踏ん張り具合がいとおしい。その左上にチラ見している緑色のブレーストリブタイドアーチは、言わずと知れた松住町架道橋。

20110221-08.JPGさらに近づくよ。うそ。ズームアップしただけ。

20110221-11.JPGもっと!

20110221-13.JPGついに桁裏! 露出がアンダーなのはスミマセン。

どうも、下横構(左右の鈑桁の下端同士をジグザグに結んでいる部材)の配置に法則性がないような気がする。


/|\/|\/|\/|\
というように垂直材(というのかな)があったり、
/\/\/\/\/\
というようにきれいにジグザグになっていたり、
/\/\/\/\/\
というようになっていたり。斜橋ゆえのものかもしれない。

20110221-12.JPGラーメン橋脚の裏!


なんとも中途半端な撮り方ばかりだが、移動している船から見上げているという大きな制約の中であるため、御容赦いただきたい。


富山駅東側の架道橋(橋梁名不明)

富山駅東側の架道橋(橋梁名不明)

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

20101216-01.JPG山駅の東側、車道が鉄道をアンダーパスする部分にプレートガーダーと鉄製橋脚(鋳鉄か鋼鉄か不明なため鉄製と書くが、時代からしておそらく鋼鉄製)がズラリと並ぶ場所がある。画像上、裏側がのっぺりしているのは北側の歩道橋、その向こうのグレーのものはおそらく新設の桁、その向こうにプレートガーダー群がある。

場所はここ。上の写真は、apaホテルの前から南を向いている。


もう少し進む。
20101216-04.JPG橋脚が何本あって、桁がいくつあるかは数えていない。写真から読み取ろうとしたら、うまくいかない。まあだいたい11組くらいはある。でも衛星画像を見ると8線しかないんだよな…。

この場所で右を向くと、いちばん手前の新設の桁である。その真下にはこんなものがある。
20101216-02.JPG切断された鉄製橋脚。なんというか、グロ画像?


そのまま立ち位置を左にずらすと、ズラリと並ぶプレートガーダーの裏側を見られる。この対傾構(これも対傾構と呼んでいいのだろうか)、なんの根拠もないけれど、ほんとに昭和17年製?という印象(製造年については後述の銘板参照)。

20101216-05.JPG橋脚に載る部分の補強がなかなか。

この、対傾構もフランジもスティッフナーもぶっとい気がするのは、桁高さを抑えるためにそれぞれの部材に強度を持たせているのかもしれない(←当てずっぽう)。

また、プレートガーダーの上に載る線路を桁裏から見ることができないことから、この上には砂利が敷かれていることが分かる。地図を衛星画像に切り替えてもわかることだが。

真後ろを向く。
20101216-06.JPG橋台との部分はこう。

実は、この向きで11枚、似たようなカットを撮影している。橋脚の本数からいって、プレートガーダーが11本、平行に架けられているような気がする。数えていなかったので正しいかどうかは分からない。また、衛星画像で見ると、線路は11組もないので、どうなっているのかはよくわからない。

銘板。
20101216-03.JPG鉄道省
活荷重KS-15 ○○○519(3)-1
株式会社横河橋梁製作所大阪工場製作
昭和拾七年(○○○第1393○)
-----------------人人仝仝仝仝
C:材料 八幡製鉄所
L:仝上
L:○○○○株式会社
○:○○○○○
○(鋲?):○○○○○○所

以上、JRの橋梁群。以下、少し離れて富山地鉄の桁。
20101216-07.JPG歩道部分にはこのような短いIビーム桁が架かり、車道部分にはプレートガーダーが架かる。

この画像は、富山地鉄の2本の桁のうち、北側(JR線寄り)。

プレートガーダーはこう。
20101216-08.JPGスティッフナーの位置からして、明らかにJR線の桁とは製作時期が異なる。

そしてもう1本の富山地鉄の橋梁のうち、Iビーム部分はこうなっている。
20101216-09.jpgよく見て欲しい。4主桁になっている。Iビームの大きさをよく見ると、高さが先のものの3分の2程度しかない。桁下高さ確保のためか。そのために、主桁が2本ではなく4本となっている。

一見、同一の桁かと思いきや、根本的に異なる桁であった。もっとも、もしかすると、後年の補強かもしれないという可能性はある。

不思議なのは、古く見えるJR線の桁と、それよりは新しく見える富山地鉄の桁の見た目のことである。電鉄富山駅に乗り入れたのは1931年(昭和6年)10月3日 。冒頭で見たJR線の桁が1942年(昭和17年)とすると、なぜJR線の桁のほうが、富山地鉄よりも古く見えるのだろうか。もしかしたら、富山地鉄のプレートガーダーは、それ以降に架け替えられたのかもしれない(←まったくの当てずっぽうです)。

そもそも橋梁名すらチェックを怠っているので、そんな経緯を探れるはずもなく、今に至っているが、念頭に置いておこうと思う。

京浜急行第13号道路架道橋

京浜急行第13号道路架道橋

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

いささか、いやかなりアウェイ感のある話題。相手は京急だ。京急にはマニアがたくさんいるけれど、僕は京急について、体系的な知識がほとんどない。だけど書く。

20101117-01.JPG


大きな地図で見る

4月に、YSP横浜南さんにスーパーテネレをオーバーホールに出した。その行き帰りに見つけたのがこの第13号道路架道橋だ。鋼製橋脚であることに驚いた。こんな鋳鉄製(たぶん)装飾橋脚というものは、都心部にしかないと思っていたのに、まさか私鉄線の、それも横浜以遠(という東京中心主義的な言い方を許して)の地にあるとは。

この橋は、京急本線の南太田駅のすぐ東にある。「平戸桜木道路」を跨ぐ。平戸桜木道路は、桜木町駅の下をくぐる大通りで、それを西にたどるとこの架道橋に当たる。上の写真は、その西側(久里浜側)から東(桜木町側)を向いて撮っている。上の地図でわかるとおり、かなりの角度で道路に進入している斜橋だ。40度より小さそう。

桁の左端に銘板がある。
20101117-02.jpg
湘南電気鉄道株式会社
● ● ●
●●●●株式会社(←製作社名)
●●●●(←製作年)

そうか、この区間は湘南電鉄だったのか。僕は大手私鉄の歴史にまったく疎いので、俯瞰してみようとあれこれしているのだが、相手が巨大すぎて…。閑話休題(←使ってみたかった)。wikipediaで見ると、この区間は1930年(昭和5年)に開業しているので、上記銘板における製作年は昭和4年か昭和5年ではないかと思う。その時期ならば、鋳鉄(?)製橋脚もむべなるかな、である。万世橋架道橋の開通は1928年(昭和3年)だ。


西北側の橋脚と桁の裏側。
20101117-05.JPG4主桁の複線プレートガーダー橋。住宅街だからか、鈑桁ながらバラストが敷かれており、枕木が直接桁に乗るタイプではない。

向こう側に、角度をつけて経っている三人四脚の橋脚。両端の脚の付け根は鉢巻き状に補強されている。また両端の脚だけ、ゼブラ塗装さsれている。

目を引くのは、横構に大きく開けられた肉抜きの楕円の穴と、その中にあるトラスだ。特にトラスがなければ、相当に軽快感を持つ橋脚となるだろう。

20101117-03.JPG脚の付け根。鉢巻き状の部分に、▼が三つ陽刻されている。上の全体写真でも見える。

これが何を意味するのか、関心だけは持っているのだが意味がわからない。

20101117-99.jpg











神田周辺の橋脚をいくつか見たら、いくつか同様の装飾があるものがあった。平永橋架道橋のものをあげておく。

鉄製橋脚はどれも個性的で、「この橋とこの橋のが同じ!」とはなかなかならないような気がする。そんな状態なので、もっともっと数を見れば何か見えてくるのではないかと期待している。


20101117-07.JPG東側の橋脚を真正面から見るとこんな比率。そして、桁はこれくらいの角度がついている。

橋台側の桁は短いので全高も低い。

20101117-10.JPGその短い桁を真横から。メインの桁に、短い桁の受けが作られており、そこに載せかけてある。短い桁の支承は、橋脚の真上にない。これもカンチレバーの一種なのだろうか?

20101117-09.JPG東側から見る。


右奥が南太田駅だ。

20101117-98.jpg最後に塗装標記。JRのものと様式が異なる。桁の長さなどが書かれていない。なにより縦書きである。


この時代の鉄製橋脚の装飾について、nagajisさんがなにかの文献で読んだと言っておられたが、それがわからずに困っている。もしご存知の方がいらっしゃれば、ぜひご教示いただきたい。



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