越路橋。 こしじばし。 いい響きだ。 越後国を「越路」と呼ぶことがある。 越前、越中を前にして遠慮はないのか、と思わなくもない。 その「越路」を冠した町名が、ちょっと前まで存在していた。 これも新潟県全体を前にして・・・(ry JR信越本線来迎寺駅や塚山駅付近を町域としており、いまは長岡市に編入されてしまった。 この越路町民が、国鉄が使わなくなった橋げたを利用して、自分たちのための橋梁とした。 1950年代のことである。 ココに、1947年の航空写真がある。 複線化工事中である。 ページのソースを見れば画像を抜き取ることができるが、 あえてせずにおくのでリンクをたどっていただきたい。 そして、ここに1975年度撮影の航空写真がある。 見事に旧線が道路橋となっているように見えるが、 ちょっとまった。 話はそう簡単ではない。 旧橋梁はハンディサイド製の1897年製200ftプラットトラス6連。 ここに見えているのは、そのうち4連である。 中央部4連がソレで、端部の各1連は新造の桁である。 これは、スパンが変わることかららしい。 画面左端は長く、右端は短い。 また、単線鉄道橋から道路橋への転用であるから、拡幅を必要とした。 253cmの拡幅がなされ、その痕跡は橋門に見ることができる。 1952年に鉄道橋としての使命を終えたこのトラス桁は、それらの改造を経て 1959年から越路橋として供用を開始した。 とはいえ、なんで半端に道路幅員6mでやめちまったのか、 この狭さがネックとなり、また老朽化も手伝って、 越路橋として生まれ変わってから約40年後の1998年には 新たな越路橋が架橋された。 そして、旧桁の一部は2002年に付近の河川公園に保存された。 (2011年4月17日追記) 越路橋は当初、有料道路として利用されていたが、工事開始時は「十日町来迎寺道路」だったらしい。 昭和32年11月28日の官報(9281号)に、こうある。 ○十日町来迎寺道路工事開始公告 県道柏崎高浜(?)堀之内線(十日町来迎寺道路)の改築工事を本公団において下記の通り実施しますので、道路整備特別措置法第10条第1項の既定により公告します。 昭和32年11月28日 日本道路公団 総裁 岸 道三 路線名 県道柏崎高浜堀之内線 工事区間 新潟県三島郡越路町来迎寺から同県長岡市十日町まで 工事の種類 改築(道路改良及び橋梁架設)工事 工事開始の日 昭和32年11月30日 以上、革洋同さんの情報によった。 ~~チラ裏~~ 最初、誤って泰平橋の河川公園に行った。 そのため、いくら探してもトラスはない。 そこで管理事務所のおっさんに「越路橋のトラスが・・・」と訪ねてみたら、 「ハァ?」 「あんた、どこの人?」 「どこの人?」などという質問が飛んでくることに驚きだった。 説明しても無駄だと思って引き返し、地図を見たら 越路橋のたもとにも(地図上では)同じ名称の「河川公園」があった。 即、そちらへ向かった。 PR |
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