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信越本線大久保隧道(新潟県柏崎市)のすぐ東側に、アンダーパスがある。かつて近くに親戚宅があり、子供の頃、このトンネルはクルマでよく通っていた。いとこたちと「アートンネル」と呼んでいた。トンネルに入ると「アー」と叫ぶという、子供じみた、楽しいルールがあった。

子供心に、両側の入口の形が異なるのが不思議だった。海側はボックスカルバート、山側は半円のコルゲートである。改めて現地を歩くと、やっぱりおかしな構造だった。


海側から突っ込んだ図。ほぼ水平に信越本線の下をくぐり、ガードのようなものがあり、そこから急坂を登る。急坂の上には半円のコルゲート。


カルバートには銘板がある。
  • 与助架道橋
  • 設計 日本国有鉄道信濃川工事局
  • 施行 清水建設株式会社
  • 設計荷重 KS18
  • 着手 昭和42年4月1日
  • しゅん功 昭和44年3月31日
「与助架道橋」というのは初めて知った。「アートンネル」だったからな。鯨波~柏崎間が複線化したのは昭和44年(1969年)7月17日である。つまり、複線化工事に際して設置されたカルバートだということだ。柏崎市の年表によれば、大久保トンネルの貫通も同日、3月31日である。複線化に伴って、明かり区間だった単線は廃止され、トンネル経由の複線となった。


まず「ガードのようなもの」。この上に線路が敷かれているかと思いきや、下の写真のようにかなりの角度がついている。こんなカントがあったら恐ろしい。複線の線路はカルバートの上に敷かれており、この「ガードのようなもの」は蓋をしてあるだけのように見える。


山側から見る。かなりの急坂だ。もちろん1車線分しかない。「ガードのようなもの」の蓋感もよくわかる。

さて、下の写真を見ると、コルゲートの横に古レールの柵があり、その前に道路がある。少し引いて見る。


これは、アンダーパス化する前は踏切だった「旧道」なのではないだろうか。とはいえ、古い空中写真を見ても明瞭には見えない。周囲に人もいなかったので尋ねることもできなかったが、間違いないだろう。

写真右側、カーブミラーの左に石碑が写っている。

與助道路(与助道路)。石碑の裏には「寄贈者 五十嵐與助氏/工事完了 昭和十七年六月/柏崎市」とだけあって、謂われは書いていなかった。先の柏崎市のサイトを見ても、昭和17年6月5日に与助道路完工式が行われたことを知るのみであるが、検索して驚いた。五十嵐冷蔵の創始者だったのだ。

五十嵐冷蔵といえば、雪をかぶった「50」という数字を描いたトラックで有名である。有名だよな。少なくとも私の友人たちは知っているくらいには有名だ。この近くには国立療養所があり、それができたときに(当時は陸軍療養所)迂回するための長さ4km、道幅4mの道を、五十嵐与助が私財を投じて作った道がこれだというのだ。

要するに、地元では、市史の年表や石碑の裏に「五十嵐与助は云々」と書く必要がないほどに有名な人だということかもしれない。五十嵐与助については五十嵐冷蔵のサイトに詳しい。惚れた。

●参考 柏崎原子力広報センター(PDF)

道路イベントがあるなら、ぜひそこで発表したいくらいの話だ。

この與助道路、国道8号までぜひ歩いて欲しい。タイムスリップしたかのような茅葺き屋根の家、沼地、廃墟と化したグリーンピアなど、柏崎の市街地からそう離れていないのに、驚くべき景色が展開する。ぜひ。

・あわせてどうぞ
番神架道橋・番神トンネル 橋なのかトンネルなのか
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