新潟の街歩き『砂丘をキワめる坂道めぐり』&『砂丘を登ろう!日和山登山』で、みなとピアに行ったとき、新潟の西の郊外にある新川と西川の立体交差の展示があった。同時にこの水路橋のお話もうかがったので、午後から見に行った。場所はJR越後線から徒歩5分くらいの場所。写真は東側で。上流(橋の左)に見えるのは西大通り。
新川の下流から見ると、この水路橋は2連のトラスである。その右に水門が見える。 こう見ると新川がメインで西川が運河のように見えるが、逆である。もともとは西川は舟運等に使われていた自然の河川で、天井川であった。いまの新川周辺、わかりやすくいえば新潟から上越新幹線と越後線と弥彦線に挟まれたエリア、ここは氾濫原であり、潟湖が多数あった。幅の広い新川は、そこから排水し、水田化するために掘られた運河である。 その経緯はこちらをご覧いただきたい。 ・新潟県ホーム>農林水産業>【巻農村】水を利用し、水から守る ・新潟県ホーム>農林水産業>新川漁港(第1種 新潟市管理) 水門を下流から。見えている水は新川のもの。水門の向こうに、右から左へと西川は流れている。この水門、おそらく西川の流量が増えたときに開放し、新川に落とすのだと思う。 西(左岸)から。両脇に通路がある。閉鎖されていると聞いていたが、行ってみたら開放されていたので渡ってみた。 東(右岸)には、ていねいな解説板が設置されている。見えづらいが、きちんとワーレントラスを組み、床版にあたる部分がプレートガーダーになっている。水路部分の部材の継ぎ目は、スポンジ状のものがパッキンのように挟まっていて、水は漏れない。 銘板は、ふたつのトラスともに外側についている。
さて、新川の工事のときのこと。 現地看板の一部だが、右側のように、足踏み水車で水を汲み上げていた。今回、偶然にも左岸で「新川まるごと博物館」と題して足踏み水車の体験等をしていた。 もちろん乗ってみたのだが、あまりに軽く回る。軽く踏み込みだけで、大量の水…洗面器数杯分くらいの水が組み上げられる。解説図のように、ルームランナーのごとく足踏みすることなどできない。 水路橋は1955年の共用開始だが、それ以前は煉瓦製の9連の「暗閘」を有していた(サイト「水土の礎」に当時の写真がある)。この「暗閘」なる言葉はどうやらここだけで使われているようだ。その暗閘の扁額も展示されていた。とはいえ「暗」だけが実物、他の三つはレプリカである。この「暗」、近隣の家で踏み石のように使われていたとのこと。 暗門の九つのアーチそれぞれに掲げられた扁額。「第九号」とある。これも似たような使われ方をされていたそうだ。「第一号」も展示されていた。 PR |
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