忍者ブログ
[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
そぼ降る雨の夕暮れ時、新潟県の国道353号をバイクで走っていたら、巨大な円筒型原油タンクのようなものに出くわした。こんな山の中に原油タンクがあるわけもなく、また、外板は耐候鋼板の色をしている。ただ、暗かったこと、雨だったことでその日はスルーしたのだが、その数分後にhachimさんが下記のようにツイート(hachimさんがこの日この時刻に撮影したという意味ではない)。

そういうものだったのか! というわけで、翌日の帰り道にここに立ち寄った。

写真の右側には「谷」がある(右の仮設車道の下は棚田で、その下が船繫(ふねつなぎ)川)ので、一目で砂防えん堤だとわかる光景ではないが、現地に建てられた説明看板を見るとよく理解できる。どちらもクリック後、拡大してご覧いただきたい。

左の説明文を書き起こす。

「トヤ沢川災害関連緊急砂防事業(中魚沼郡津南町大字三箇)」

 当現場では平成23年3月12日長野県北部地震(最大震度6弱)の発生に伴い山腹斜面崩壊が発生しました。崩壊した土砂は、下流の積雪や土砂を巻き込んで土石流となって流下し、延長約100mに渡って国道353号を埋塞しました。
 平成23年4月に災害関連緊急砂防事業が採択された直後に、地震によって緩んだ地山に融雪・降雨が浸透したことによる2回の拡大崩落が発生し、国道から上流側には約16万m^3の土砂が最大厚15mで堆積しました。

 現地測量・地質調査結果当を踏まえ構造設計や経済比較した結果、砂防えん堤本体は鋼製セル式えん堤を主構造として、一部右岸地山陥入部はコンクリート重力式えん堤、左岸側造成地山はINSEM-ダブルウォールを採用しています。
 鋼製セル・INSEM-ダブルウォールはどちらも、鋼矢板等鋼材で外枠を築造し、土砂を中詰めする構造です。現地崩積土砂を中詰土砂として有効利用し、建設残土をゼロに抑制します。

おそらくこちらは直後に建てられた説明板。まだ鋼製セル式えん堤が写っていないし説明もない。


「辰ノ口地区(中魚沼郡津南町大字三箇)の土砂崩落について」

(内容が重複する箇所は割愛)
 また、約2万m^3の不安定土塊が斜面上に残存しているとともに、約1万m^3の拡大崩落の恐れが見込まれています。

 現在は、今後国道や船繋川に流出する可能性のある不安定土塊に対して応急工事を実施しているとともに、本復旧工事について調査・設計作業中です。

円筒形なので、なかなか大きさを実感できないが、左下の小屋の大きさをみたらわかろう。これらは原油タンクのような表面ではなく、鋼矢板を組み合わせているので、近づくと、モザイク状になっている。近づくことはできず、また望遠レンズも持っていなかったので、上写真からトリミングを。



●造成中の写真を含む報告(PDF)
トヤ沢災害関連緊急砂防事業(PDF形式 929 キロバイト)

●施工会社と思われる共生機構のサイト
http://www.kyosei-kk.co.jp/case/sabouentei/cell/

●hachimさんの記事はこちら
アートエリア内の砂防堰堤 - 何かからはみ出した、もうひとつの風景

PR
新潟県の山古志で見かけた「取水口」(左)と消火栓(右)。同じ役割だと思っているのだけれど、違うのだろうか。

高さが三段階ある。もちろん積雪に対応するものだろう。

見上げるほどの高さがある。最上部は高さ3m近い。
三重県四日市市に残る、事実上国内唯一といっていい現役の可動橋、末広橋梁。これの開閉を見にいったのだけれど、その手前に防潮堤がある。潮位が異常になったときなどに閉めることになっている。

橋梁側から。向かって右に鋼製の扉があり、それが左にスライドする。おそらく水圧で壁に密着される。

冒頭写真のように、レールの左右には少し隙間があるが、そこから侵入する海水など微々たるものだろうから無視できるのだろう。

その防潮堤は、ずっと続いており、倉庫を守っている。それぞれの防潮扉の形が異なるのが面白い。右上に貼り出した部分は、扉のレールを滑るためのクルマがついているのだろう。パラペットには、かすれて見えないが、「西川倉庫」とある。

それにしても、左右が画角外になってしまっているが、この3連の倉庫はすてきだ。中には農産物とおぼしき袋がぎっしり。

その反対側、というか正面。プラットホームのようなものが見えるが、その通り。1975年の空中写真では、ここに線路が伸びていたことがわかる。



末広橋梁については、すでにたくさんの写真や動画がアップされているので、私はアップしない。友人の@michinoku583さんがこの翌日訪問し、わかりやすい動画を撮影されているのでそれをぜひご覧いただきたい。



ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
横桁が強そうな橋(国見山鉱山中部軌道)の続き。

国見山鉱山の中部軌道も下部軌道も、廃止になったのはベルトコンベアに置き換えられたからである。これは中部軌道のもの。かつてのレールのあった場所にコンクリートで土台を据え、その上にコンベアを敷いている。コンベアは半円筒形のカバーで覆われている。ほぼ全線、元の鉄道跡をトレースしているが、一部は異なる場所を通っており、トンネルが掘られたところもある(写真はない)。

これは橋梁を転用した例。元のレールも残っている。間に歩み板がある。レールも構造物として利用しているようだ。

なんとも手作り感が漂うが、別項D-507解体に携わっていた方の話ぶりによると、地元の鉄工所の方々が個別に作業したようだ。つまり、手作り感は当然の結果だった。

トロッコより重いのか軽いのか?

何ヶ所か、このように中継される。作業していた方によると、固いものを運搬するとコンベアがすぐ傷み、ダメになるそうだ。石灰石だと長持ちするとか。

中部軌道を遡っていくと、やがてこの橋で立ち入り禁止となる。この奥は操業中だし、立ち入り禁止なのでここで引き返した。

(関連事項)
ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
横桁が強そうな橋(国見山鉱山中部軌道)
国見山鉱山D-507の解体
国見山鉱山の光景

20121007_001.JPG北海道・岩見沢の志文から、かつての国鉄万字線跡に沿って幌向川を遡る。ふと右手に送電鉄塔…の骸。

送電線が張られているように見えるが、道路を挟んで位置する下記の鉄塔で終わっている。

すぐ北側には幌向川ダムがあるのでその発電…などと思ったが、幌向川ダムは灌漑用とのこと。では、この鉄塔はどこからどこへ…? 1975年頃の空中写真を見ても、その頃にはすでに送電線は張られていないように見えた。

20121007_000.JPG道路北側の鉄塔。ハンガーは5個ある。鉄塔は門外漢だが、このような形状は見たことがない。

積雪のせいか、いくつかのトラス構造は崩れ、部材がひしゃげている。放置された年月を物語っている。
 


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12
14 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア