『鉄道ファン』2012年12月号に「セノハチの後押し機関車」という記事がある(執筆は機関車研究家の関崇博氏)。そこに、セノハチ、すなわち山陽本線の上り線、瀬野~八本松間のルート検討のことが載っていたので、鳥瞰図にしてみた。こんな案が存在していたことは、この記事を読むまで知らなかった。(以下、記述は上り線を基準とする。また、画像はすべてDAN杉本氏のカシミール3Dと解説本地図を使用した。)
(クリックで拡大) 赤が現在線(南方線)、青が「北方線(案)」である。記事によれば、北方線は10パーミル、南方線(現在線)は22.5パーミル(実際には22.6パーミルのところがある)で検討されたとある。 北方線は、西広島から現在の可部線に沿って上八木まで行き、太田川を渡って今度は芸備線に沿って下深川付近から上三田付近まで行き、そこから南転して八本松を目指すというもの。とはいえ、この現在線の開業は1894年、可部線(当時は大日本軌道)の上八木までの開業は1909~1913年にかけて、芸備線(当時は芸備鉄道)の志和口までの開業は1915年なので、「~に沿って」という書き方は正しくない。上図は、可部線・芸備線の位置に山陽鉄道が敷かれていたら…として描いてあるが、便宜上、そういう書き方をする。 可部線沿いは、太田川に沿っていることもあり、ほぼ平坦だ。渡ってから勾配が始まるが、芸備線の縦断面図を見ても、ほとんどが10パーミルで収まる。一部に16.7パーミルの区間があるが、せいぜい数百mであり、前後にレベル区間があったりもするので、そこは均すことができるだろう。上三田駅の標高は約107mである。しかし、問題はその先だ。 『鉄道ファン』に掲載されていた図は概念図なので、現実からの推測を交えてルートを描くと、上三田駅からは、おそらくこのルートで志和堀に向かうものと思う。 この区間の断面図はこうだ。 水平距離9kmで標高を約100m稼いでいるので、約11パーミル。なるほど。上図では、上三田からいったん標高を下げ、3kmほどで10mくらいしか標高を上げずに一気に行くようになっているが、ルートをもっと山の中腹にかけておけば、勾配も均されるだろう。 記事では、工期と工費の都合で南方線に決まったとあるが、北方線とてトンネルは1kmに満たないものだし、その差がどれくらいのものなのか、知りたい。こういう資料はどこかにきっとあるはずだ。ご教示いただければ幸いである。 PR |
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