都電雑司ヶ谷付近の未成道路と廃道? 東京都市計画道路幹線街路環状第5号線の続き。
3月3日、東京カルチャーカルチャーで開催された『坂サミット』に参加してきた。まもなく発売になる『空から見える東京の道と街づくり』の制作中、衛星画像を眺めていて見つけたところについて話してきた。 十数年前かな、突然、早稲田通りと新目白通りを結ぶ4車線道路が完成した。ここだ。 現地へ行ってみた。といってもいつも目白通りは歩いているのだけれど…。 ![]() そう思って地形に沿って角度を計算すると、10%勾配くらいになる。4車線の幹線道としてはちょっと無茶だろう。かといってここから高架橋で持ち上げるような、景観を台無しにするようなことはないだろう。それならなにかしら話題になっているはずだ。じゃあ、斜面にぶち当たったところでトンネル…? そして、不忍通りは向こうに向かって下がっているので、いまの目白台二丁目交差点は「峠」になることになる。だれもそんなことは言わないけれど、新しく峠ができる。そんなことをプレゼンした。 次回はこうした道路が明治初期にどうだったか、などを見ます。 PR 西表島の縦断(山中1泊、ビバーク)などもしたのだけれど、12月30日には原付を借りて島内を半周した。半周というのは、道路は島の外周を、時計でいうと10時から右回りに6時の位置にしかない。そのうち、12時の位置の星の砂キャンプ場に連泊していたので、そこから6時の位置まで半周したのだ。原付は、スナックのようなところが貸してくれた。「警察いないからヘルメットなんかなくてもいいよ」と言っていた。 南端、南風見田の浜。南風見田は、戦時中にはまだマラリアが蔓延しており、波照間から強制疎開させられた人々が80人(と、ある文献にはある)が命を落とした。「勿忘石」もある。そんな話がある傍ら、その砂浜では「沈没した」旅人たちがそこに住んでいた。水のシャワーがあるから、お金さえあれば暮らせるのだ。そこで息絶えた人の白骨があるとも聞いたが、それは事実かどうかわからない。砂浜にある岩からは、カサカサとなにかが動く音がものすごくたくさん聞こえる。近づいて見るとオカヤドカリが何百といた。 こちらは徒歩で行った。何もすることがないから散歩でも行くか、というような幸せな日々だった。 国道452号は少しだけダートが残っていた。道幅も「整備されたダートの道道」ほどはない。いまもそうだが、行き交うクルマも少ない。バイクの場合、オンロードバイクは基本的にダートを避けるので、行き交うバイクもまた少し少ない。 このバイクは新車で買ったのだが、1万8000kmくらい走ったところで自宅で盗難に遭ってしまった。いま乗っている(そして2012年8月に致命的なトラブルを生じた)バイクは同型だが、2台目である。 もう20年ほど前に廃止された表示で、ということは、この路面は20年以上前からそのままだということだ。舗装というもの、そして路面のペイントというものが、どれだけもつのかは知らないが、交通量は僅少であろうこの山間部では、これくらいのもちはあるのだということがわかる。 岩見沢市のサイト(PDF)を見ると、ここは「巴公団前」という市営万字線のバス停のようだ。 万字の集落には入らなかったので、いずれ再訪したい。
座主橋(宮城県)の北詰東側に、こんな標柱があった。
これは県道178号で、座主橋のたもとから西へ延びるもの。この県道については、宮城県道時刻表さんのサイトが参考になるだろう。 もう一本。 三七番の二地先の標柱●… 雨が降っていたからといって確認をしなかったのだが、いまそれを後悔している。 |
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