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20110102_000.jpg年末の掃除で書棚を整理していたら、1985年(昭和60年)1月2日に買った、蒲原鉄道のセットが出てきた。ダイヤ、形式図、レール文鎮、シートモケットのセットで、たしか3000円くらいだったと思う。



中学1年のその日、思い立って友人のH君とN君と、県庁前→新潟交通→燕→東三条→加茂→蒲原鉄道→五泉→新潟、というルートで回った。それまで、新潟交通はしょっちゅう見ていたにも関わらず、載ったことがあったのは東青山→県庁前の1回のっみ。蒲原鉄道も折に触れ目にしていたものの、乗ったことはなかった。

当時、少しずつ鉄道趣味から遠ざかりつつあったものの、出かけていった。コンパクトカメラを持って行ったのは、いまにして思えば貴重だった。

同行したH君とは何度も一緒に18きっぷの旅などをしていた。2年ほど前に20年近くぶりに再開できた。N君と旅したのはこのとき一度きり。彼は数年前に脳腫瘍で亡くなった。



さて、ダイヤの話に戻ろう。ここにアップする。
20110102_002.jpg
(クリックすると拡大画像となります)

このダイヤはJRの貨物大改革に対応するもの…だと思う。同時に蒲原鉄道の貨物列車は廃止されたはずだ(うろ覚え)。

注目したいのは右側、閉塞の欄。季節ごとに閉塞方式が切り替えられ、また、閉塞区間も変更される。そして、タブレットの形。国鉄~JRでは4種類(△、□、○、楕円)だったが、ここには八角形が描かれている。どんなタブレットだったのだろうか。

20110102_999.JPGダイヤと一緒にこんなものも同封されていた。実際に仕様された通券だ。前掲のダイヤで、2列車と4列車をご覧いただきたい。2列車、4列車が村松→七谷へと続行したあと、七谷→村松に進む9列車がある。通票を4列車に携帯し、それを9列車で持ち帰ってくるのだ。

また、レール文鎮だが、何kgレールかは不明。高さは約60mmなのだが、底面が約56mmしかない。レールにはまったく疎いので、どなたかご教示いただければ幸いです。


 
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10月2日(日)、カルカルで開催された『オレ鉄ナイト』に参加してきた。

このイベントが開催されると聞いて、すぐ企画者の武田保志さんに「出たい!」と伝えた。話したいことは山ほどあるが、とくに話したいのは、鉄道と地図との関係。鉄道は地形とは密接な関係を持つのに、それを「地図」で見てしまうと、あまりおもしろみを理解してもらえない。だが、鳥瞰図で見ると、鉄道路線が峠を越えるときは、川を遡り、登り切れなくなったところでトンネルに入って峠の下を抜け、向こう側の谷筋に入る…というのがとてもよくわかる。そこから、さまざまな想像が始まる。これを伝えたい。

20111004_999.jpgかつて、そんな本を作った。『カシミール3Dで見る・自分で描く 空から眺める鉄道ルート』だ。2006年の刊行で、書店には在庫しているはずなので、ぜひご覧いただきたい。著者は松本典久さん、写真はRGG(ほとんどが荒川好夫さん撮影)。そこに、この鳥瞰図を自分で作れるソフト「カシミール3D」と地図データ、その解説(すべて杉本智彦さんによる)が入っている。














当日は15時に会場入りし、リハ。
20111004_000.JPGおお、伊藤壮さんの「彫り鉄」が図らずも見えている。(撮影時点では、壮さんが何を出すのか秘密にされていた)

17時30分、第一部スタート。私はステージに向かって右端で、写真家の米屋浩二さんと一緒に観覧していた。

・栗原景さんの『ほろ酔い鉄』
・ヤスコーンさんの『寝台特急鉄』
・武田さんの『社長公募鉄』

そして第二部。私が一人目。けっこう緊張する。一人目だし。
20111004_004.JPG自分がステージに上がっている写真は、米屋さんが撮ってくださった(ありがとうございます)。足閉じろよ>自分。

十数ページのPDFと十数枚の画像を用意していったのだが、思った以上にコメンテーターたち(第一部の方たち)との会話になったので、実際はステージ上でカシミール3Dを操作することに終始した。お見せしたのは、タクさんが話した越美南線・越美北線を結ぶショートカット(油坂峠)ルートの鳥瞰図。これでカシミール3Dに興味を持たれた方は多いと思うので、ぜひこういう楽しみ方を試してみて欲しいなと思う。

ほとんど未発表となった画像はこちら。
20111004-998.JPG(Frickrにアップしてあるので、ジャンプ先からご覧ください)


第二部は、こう。
レオンさんの模型動画鉄
しろうまりもえきちょうさんの中の人鉄
・伊藤壮さんの彫り鉄
松ヒトシさんのオブジェ鉄
・やまもとさんの旅人鉄+写真
佐藤弘樹さんのスポーツ撮り鉄


松さんの「オブジェ」がすごかった。
20111004_002.JPG20111004_001.JPG20111004_003.JPG8630。こういうものは、バルブギアの仕組みや位置関係等を立体的に把握していないと、作ることはできない。なおかつ、大胆なデフォルメもお見事。

クリスタルのC11は、砂撒缶がボイラケーシングとサイドタンクの間を通る様子などまでわかる。いろいろと製作のお話もお伺いしたのだが、ほんとにすごい。


壮さんの彫り鉄。
20111004_007.JPG(ほかの皆さん、写真撮ってないのですみません)。


出演者で集合写真。
20111004_006.JPG.


このイベント、会場のお客さんも、UST見ている人たちも(かなり多かったようだ)、口を挟みたくてうずうずしているのがよくわかった。横山店長はまたやる!と言っているので、次回ももちろん申し込む。

好きなことについて話すのが、こんなに楽しいとは思わなかった。次は倍率上がるかな?


当日のTL(togetter)



20110417.jpg古いアルバムに貼ってある写真をスキャンしていたら、こんなものが挟まっていた。

昭和57年11月の上越新幹線開業を控え、直前の夏には試乗会を多く開催していた。私は鉄道少年団という非常に楽しい組織に属していたので、そこからご招待があった。このハコダイヤは、おそらくそのときにもらったものだと思う。


公式試運転とはよく聞く言葉だが、試運転との違いは何だろう? その編成初めての試運転?


昭和50年代の駅名標(越後線)その1
昭和50年代の駅名標(越後線)その2の続き。

●石地駅
e651d12a.jpgいまのいままでオリジナルの書き文字だと思っていたが、RAを見ると、大河津系だ。所在地表記もないのも同じだ。

しかし、燐駅表示の矢印がなく、T字型の交点に「・」がある。なぜだろう?

●礼拝駅
7a862b6b.jpg「桐原系」。このRにしびれるね。

●西山駅
7d80f497.jpgこれは新しい系統。燐駅表示のT字の交点が▼になっている。書体は、角丸ゴシックとでも言おうか。そして「わ」の縦棒が左に撥ねるという特徴的な書体。

そして、鳥居の組み方だ。古レールなのだが、縦の柱が、側面ではなく、レール頭頂部がこちらを向いている。これはいま気がついた。写真を撮って30年近く経つのに。こういうのに気づくことが、「数を見ることの大切さ」を再認識させられる。

西山と田中角栄。越後線と平行する国道116号は、新潟から来ると、それまで2車線だったものが、西山駅付近から4車線になる。かつてはまた2車線に戻ったような気がするが、いま改めて衛星写真を見ると、国道8号との合流地点まで4車線となっている。私の記憶違いか。その4車線部分を、この西山駅に停車中の電車内から見ることができる。

周辺は刈羽郡。昭和50年代後半、郡名を冠した刈羽郡刈羽村が「村」であるのに対し、刈羽郡西山町が「町」であることに引っかかった。郡名を冠しているのはあまり意味はないのだが、当時はそう思った。そして、駅の「格」は、その当時から、西山駅は交換可能な2面2線、刈羽は1面1線である。いやもちろん、交換設備というのは駅間距離によるもので、「駅の格」などというのは言葉の綾である。

『国鉄全線各駅停車 中央・上信越440駅』(昭和58年刊)によれば、電化・CTC化前の当時の越後西線の交換可能駅は、吉田側から(括弧書きは棒線駅)

吉田-(南吉田)-(粟生津)-分水-大河津-(桐原)-小島谷-(妙法寺)-出雲崎-(小木ノ城)-石地-(礼拝)-西山-(刈羽)-(荒浜)-(西中通)-東柏崎-柏崎

である。現在は、新たに棒線化された駅を<>とすると、

吉田-(南吉田)-(粟生津)-分水-大河津-(桐原)-<小島谷>-(妙法寺)-出雲崎-(小木ノ城)-<石地>-(礼拝)-西山-(刈羽)-(荒浜)-(西中通)-東柏崎-柏崎

となっている。


●刈羽駅
5cdff71c.jpg西山系。なぜか「あらはま」の「あ」が消されている。

●荒浜駅
71557edf.jpgこれもかなり好きな駅名標。桐原系。RAの特徴も健在。この「ら」は、ちょっと縦棒を左に振り過ぎたか、というような感じ。他の駅名標(撮ってない)では、ここまでひどく(?)ない。

背景のどんよりとした灰色の空、これが冬の裏日本。

●西中通駅
d6dd634c.jpg桐原系。昭和50年代前半に、一度だけ下車したことがある。そのときは相対式ホームだったような記憶があるのだが、不詳。

●東柏崎駅
6a7b1ca8.jpg新しい系統。

最寄り駅が柏崎駅である母方の実家の祖母は、なぜかこの東柏崎駅を愛用した。タクシーでわざわざここまで来て、越後線に乗って来るのだ。やはり新潟駅ではなく、手前の白山で降りてタクシーに乗って我が家に来た。なんでも、「大きな駅は落ち着かない」とのことだった。かつて、「比角駅」と言った。だから、祖母はこの駅を「比角の駅」と言っていた。もう亡くなって23年経つ。

●柏崎駅
c2fe44b2.jpg確か、手書きではなく、プラスチックを貼り付けたものだと思う。柏崎駅の鳥居型はこのひとつだけだった。そして、鳥居型ではなく、このように逆U字型のパイプに吊す「門型」も新潟界隈では珍しい存在だった。


了。


昭和50年代の駅名標(越後線)その1のつづき。

●南吉田駅
a8041a15.jpg燐駅表示にご注意。「あおうづ AOUZU」である。

●粟生津駅
7d4ebe0d.jpg「あおうづ」が
「AÔZU」

と、「おう」が長音になる! これを初めて見たとき驚いた。駅名標が好きだったので、ローマ字は読めたのだが、こう来るとは。

「う」の形が違うので、南吉田とは異なる筆跡である。

●地蔵堂駅(現:分水駅)
1fffd937.jpgこれまた長音記号の連発に萌える。JIZÔDÔ!

そして

AÔZU! ÔKÔZU!
古レールでできた駅名標に5つも長音記号がある。

b7aea98d.jpg「鳥居型」ではないが、こんなのもあった。どうですか、おの極太丸ゴシックといおうか、看板文字。フォントにして配布したいくらい。

●分水駅(改称)
e3c005c2.jpg昭和58年4月1日、地蔵堂は分水に改称された。このとき、前日と当日の2回、新潟駅から往復した。当日は朝4時50分発という始発に乗って入場券を買いに行ったが、すでに100番を超えていた。

この時代はまだ手書きであるのがよくわかる。前日には駅名標は書き換えられており、上に「じぞうどう」と書いた張り紙がしてあった。

ea7d2d8d.jpg駅舎。「分水駅」の文字、「駅」の「馬」の中の点々を一直線に書くのもお約束である。

●大河津駅(現:寺泊駅)
8fc95543.jpg少し投げやりな感じの書体。擦れているので、薄幸な感じもする。いや、擦れていると共に、イタズラでなぞって削ってあるのだが。燐駅表示の「き」が好きだ。

鳥居自害は古レール型。

●桐原駅
19742179.jpgこの「桐原」で駅名標に目覚めた。この平仮名とローマ字のぶっとい書体、そしてサビ具合。

この鳥居いは照明がない。

●小島谷駅
b8b86c82.jpg美しい駅名、「おじまや」。「き」「R」「A」の書き方からして、大河津と同系統。「大河津系」とする。

漢字表記の「谷」だけ、ちょっと書き直したようにも見える。

偶然か、鳥居の形状も同系統。風格のサビ。


●妙法寺駅
953e65ee.jpgエキゾチックな名前だと思う。妙法寺。同レベルのものは「妙寺」しか知らない。

「桐原」と同系統。もっとも好きな系統。

b5ceb2e6.jpgあるときからプレハブ駅舎になった。そして、こんな駅名標が掲げられた。こんなものでも、手書きである。

●出雲崎駅
9d694e78.jpg桐原系かと思いきや、所在地表記の「潟」が略されている。真相は不明。

●小木ノ城駅
ab71c45f.jpg分かち書きとでもいおうか、ローマ字が一音一音に対応している。



昭和50年代の駅名標(越後線)その3に続く。





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