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自動連結器が好きだ。小学生の頃からたくさん絵を描いていた。機会があれば、走行中の自動連結器の挙動を飽きずに眺めていた。連結器同士がつつきあったり引っ張り合ったり、その動きはいつまでも眺めていても飽きない。

片上鉄道保存会の展示運転で、手持ちながら動画を撮ったので公開する。E-P1で手持ち撮影。


これは推進運転で、画面上が前、下が後ろ。DD13-551が押している。発進時は「押して」いるのだが、すぐに引っ張られるように連結器の遊間が空き、停止する際も空いたままだ。下り坂なのか、ワムの転がりがよすぎるのか…。

翌日、若桜鉄道の展示運転に行った。そこではト6を人力で転車台に載せ、足でブレーキをかけ、人力で連結していた。その連結が、見ているほうとしてはなかなか豪快で、「こんなスピードでもいいのか」と感心することしきりだった。



連結作業は終盤である。これくらいのスピードで連結させても、緩衝器が見事に働いてくれるということだ。

こういう、機械の「動き」は実物を見ないとわからない。すでに終わってしまった『オレ鉄ナイト』だが、次回があれば、こうした「動き」の動画をまとめるつもりだった。走行中の台車の軸バネと枕バネの挙動を撮りたいのだが、電車が並行して走る区間でトライしたいと思っている。



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縁あって、大木茂さんにお目にかかれる、ある会合があった。その会合にて、なんと「なんちゃってオリジナルプリント」(大木さんの命名)による「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」のデジタルプリント(A3ノビサイズ)をいただいた。(作品名は、プリントに記載されていたものによる)

下記は大木茂写真展『汽罐車』ギャラリートークの写真だが、川端新二さん(右。大木さんは左のひとの向こうに左腕だけ写っている…)の後ろに隠れているのが、「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」だ。

20120801a_003.jpgいただいたのは、これとほぼ同じトリミングのものだ。

そのプリントをここに掲載するのは控えるが、作品は『汽罐車』に収録されているもの(P78)と、ずいぶん印象が違う。掲載されているものは、9600+D51から下りた乗務員の後ろ姿が、強く、大きく感じられる。一方、写真展およびいただいたプリントは、9600+D51と、信号所詰所向こうの林(写真左上)の存在感が強まっている。

そして、そういえば『汽罐車』のサイトに『北辺の機関車たち』の作品として、この作品があったな…と思って見たら、また別のトリミングだ(リンク先を参照)。そちらは、写真展およびいただいたプリントから、さらに左側をトリミングしており、機関車と乗務員どちらも強調されている。

ここで、三種類のトリミングの「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」が現れたわけだ。縦横比がスクエアに近い『汽罐車』版、天地をトリミングした写真展版・いただいたプリント版、左と天地をトリミングした『北辺の機関車たち』版。オリジナルは『汽罐車』版だろうか。天地方向がもっとも広い。となると原版は6×6だろうか。

私の感想としては、少しだけ天地をカットした『汽罐車』版が、現地、山間の信号場の広がりを感じ、かつ乗務員も9600+D51も存在感もものすごく強く感じる。『北辺の機関車たち』版は機関車をメインに仕上げたのだろうか。いただいたプリントはその中間といったところか。このことから、画面左下の雪の白色の面積が、作品の印象を大きく左右していることに気づく。そして、トリミングという行為が作品づくりの一部であることに認識を新たにする。私がもっとも好むのは『汽罐車』版だ。

仕事で写真を扱うときは、無意識にそれをやっている。撮影者の意図を自分なりに汲んで、あるいは自分勝手に拡大し、あるいは大胆にトリミングしている。しかし、自分の写真に対してはそれをしたことがない。それは「作品づくりとしてのプリントをしたことがない」からかもしれない。撮った時点で完成されているかどうか、などという話ではない、念のため。

* * *

大木さんに「なぜ『なんちゃって』オリジナルプリントなのですか?」とお尋ねした。これはデジタル出力したものなので、それも「オリジナルプリント」と言ってもいいのではないか。また、それこそ写真集と同じく、ファンは同一品質のものを入手できるのだから、ばらつきがなくていいではないか…というようなことをお聞きした。

ところがお返事は「アナログでプリントするときには自分の気分や考え方が反映される。だから、プリントする日によって仕上がりがかわってしまう。これこそがオリジナルプリントなのだ」(要約)とのことだった。自分でアナログ現像・プリントしたことがない私には、そこまでの想像力がなかった。「オリジナルプリント」に作家性が出る。「なんちゃって」である理由は、それだった。言われてみれば当たり前のことを知らなかったことを恥じる。



『汽罐車』をまたうろうろと眺めていたら、こういう時刻になった。まだ買ってないひとはすぐ買った方がいいです。




今日は、ある写真家の方のお声がけにより、蒸気機関車趣味者の集まりに参加させていただいた。そこには、私の書棚にある本の著者、雑誌の執筆者、写真家などこちらが一方的にお名前を存じ上げている方々がたくさん。私なぞ若造もいいところで、現役蒸気機関車を山ほど見てきた方々と対等に話せるような知識も経験もないが、みなさんとても気さくにお話を聞かせてくださった。

最年長が、蒸気機関車に携わってから70年という方。ほか、趣味歴60年、50年という方々がほとんど。私より20~30、上の方々である。「C51が好きで…」「添乗すると、蒸気機関車がどれだけひどい乗り心地なのかよくわかる…」「世には出せない写真がある…」というようなお話をたっぷり聞かせていただいた。

そうした方々に感じるのは、強さだ。その趣味一筋で、その歳でなお突っ走っている一徹感ゆえの強さ。強すぎる。間違いなく、彼らは、他人に何かを言われても微動だにしない。私は、20年後、30年後に、そうした強さを得ているだろうか?

* * *

その場でうかがったお話で強く共感したものとして、「いまならまだ間に合う」というテーマがあった。いまなら、蒸気機関車を運転していた方が生きている。いまなら、まだだれも見たことがない写真を撮った人が生きている。また、各地には「よく捨てられなかったな」と思われる国鉄時代の資料が残っている。蒸機全廃から38年、国鉄解体から26年。いまが、それらをアーカイブとして残せるかどうかの瀬戸際だ。

1970年代にテープレコーダーに収録した、明治20年代生まれの機関士たちの談話の音源が披露された。大変貴重なアーカイブだ。鉄道趣味界では、まるで蒸気機関車は9600形以降の各形式しか存在しなかったかのような扱いだが、いわゆる「古典機」だって、かつては本線を疾走していた。明治の世から蒸気機関車に携わっている方々によるそうした機関車の話など、二つとない資料なのではないか。

本来ならば、鉄道の博物館がこうしたものを保存しておくべきだとその方はおっしゃっていたし、私もそう思っているが、なかなかそれも難しいだろうし無理だろう。もし、私がなにかの拍子に個人事業主になったら、こうしたことをまとめ、なんらかの事業にできないか…などと妄想している。

会場には大変貴重なものがいくつもあった。おそらく処分されるものを救ったのだろうと思う。冒頭の写真は「省外秘」とある東海道・山陽本線のダイヤ。鉄道省の時代か。上の写真、中下の横太線は大阪駅。「2」という数字をみれば、2列車が9時に大阪駅を発車している。こんど、戦前・戦後の時刻表を参照して特定したいと思う。


こんな貴重な機会をいただいたOさん、また、お話しさせていただいた皆様に深く感謝申し上げます。


蒸気機関車の逆転機の動きを動画でに関連して、逆転機の話題。

「国鉄の蒸気機関車の公式写真」というものがある。その大半はパブリックドメインとなり、一部はwikipediaにもアップロードされている。

この写真のパブリックドメイン化について

蒸気機関車の公式写真は、

・1エンド(前)を左に
・連結棒(動輪をつなぐ棒)を最下部に
 ・リターンクランクは真上か少し前方を向くことが多い
 ・合併テコと結びリンクはほぼL字型になる
・逆転機はミッドギア位置

が原則である…と記憶している(確か宇田賢吉氏の記事にあったような…未確認)。
これから、蒸気機関車の公式写真を見ることがあったら、ぜひ逆転機と連結棒の位置に注目して欲しい。

いつ頃、これが制定されたのかは知らない。『100年の国鉄車両』(交友社)には公式写真だけが掲載されているわけではないとしても、ある程度はそれに準じた写真が多いということで、同書で見てみる。

20130114a_001.JPG(誌面が光ってしまうので斜めに)
C56(昭和10年~)、C57、C58、D51はすべてこの仕様どおり。

20130114a_000.JPG少し遡って、C10(昭和5年)、C11、C12、C54、D55もこの仕様通り。

20130114a_003.JPGC53(昭和3年)もこの仕様。

20130114a_002.JPG8620もこの仕様…と思いきや、逆転機は前進の位置にある。この48627は大正10年製。9600の公式写真様のものは、29652(大正7年製)の右側で、公式写真に則ったものが掲載されている。

ほか、9900(のちのD50、製造初年は大正12年)は19995(D50 196、昭和2年製)は逆転機が前進に入っている。

以上のことから考えて、公式写真の仕様が決定されたのは、昭和3年頃と見ていいのではないか。


蒸気機関車現役当時、機関区で形式写真を撮る人は、機関士に依頼して、連結棒がこの位置になるよう機関車を動かしてもらった人もいる。それを頼める、応じるという環境は、いま、単純にうらやましい。いや、そもそも機関区内で自由に撮影できたことがうらやましい。


なお、この公式写真仕様のとき、写真に写っていない車体右側は、

・動輪が90度回転した位置にある
 ・連結棒は9時の位置を結ぶ、動輪中心線を結ぶ位置にある

となっている。『蒸気機関車メカニズム図鑑』(細川武志著/グランプリ出版)では蒸気機関車の左右側面図がイラストとして載っているが、きちんとこの仕様になっているのはさすがだ。

 
鉄道車両は自在に前進・後進をするが、案外、その理屈ってわからない人が多いのではなかろうか。

電車や電気機関車の直流モーターは、電流のプラス・マイナスを入れ替えれば逆回転する。これは小学生でもわかるだろう。では、気動車やディーゼル機関車はどうだろう。エンジンの出力軸は逆回転しない、ということは、常識なのか、それともクルマなどに関心がないと知らないことなのか、ちょっとわからないが、トルクコンバータ内に逆転機が内蔵されているか、台車内に逆転機が配置されるので、そこで回転の伝達方向を変える。

では、蒸気機関車は?


国鉄の制式蒸機全般に見られるワルシャート式弁装置の場合、「逆転機」(下記の8→1→3も含む)がそれを担う。同時に、クルマのギヤチェンジに相当する役割も受け持つ。これを理解するには、蒸気の流れ…蒸気溜め(ボイラー上のコブ)→シリンダの上の蒸気室(下記の6)→シリンダ(下記の7)→煙突、という流れと、シリンダ内でピストンが動き、それに連動して主連棒が動き、動輪が回転する、ということがわかる必要があるが、それはここでは書かないので、下記のgifアニメやwikipediaのワルシャート式弁装置の項目をご覧いただきたい。逆転機は、「ピストンのどちら側に、どれだけの蒸気を供給するか」を決める装置だ。

wikimedia commonsより。クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植



停車時の動き。



gifアニメとは向きが逆だが、逆転機は運転士側(車体左側)にあるので、こちらで撮影した。停止すると、シリンダ下部の排水弁を開く。水平の棒が後ろ(画面右)方向に動くのがわかる。次いで逆転機を操作し、ミッドギアにする。




今度は後進に移る。

発車前に、シリンダ下部の排水弁を閉じる。水平の棒が前(画面左)方向に動くのがわかる。次いで逆転機を操作し、ミッドギアから後進フルギアにする。


同じ動作を、逆側(機関車の右側)から撮影したもの。



上部のgifアニメと同じ向きだ。


蒸気機関車の魅力は、ロッドの動きに尽きる。もしワルシャート式弁装置でなく、外見的には単純なスチーブンソン式だったら、もう少し魅力は薄れているに違いない。そして、ワルシャート式弁装置の動きが複雑だからこそ、パッと見て理解されないという不幸もある。逆転機の妙味を味わっていただければと思う。


(関連項目)
逆転機の位置と公式写真の関係


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