昭和57年11月14日の『とき』廃止において、初めてかつ最後の181系『とき』乗車をさせてもらった顛末は11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~に書いた。そのとき、12日(金)深夜発の夜行急行『佐渡8号』で東京に行った。実は『佐渡』も乗るのは2回目だった。私は新潟に住んでおり、親戚が柏崎にいる関係で、信越線の急行には乗ったが上越筋とは無縁だった。『佐渡』は小学生の時、町内会の遠足で小出まで乗ったことがあるだけだ。
きっぷを新崎駅で買ったことも、前記記事の通り。「もし、売り切れていたらどうしよう」などというのはまったくの杞憂だった。そもそも「自由席が満席だったらどうしよう」と思って生まれて初めて指定券を取ったのだが、乗車してみると、乗客はほとんどいなかった。昨今、夜行列車が廃止になると決まると指定券や寝台券が瞬く間に売り切れてしまうことから考えると隔世の感がある。夜行『佐渡』こそ廃止になるが、ダイヤ改正後も『佐渡』は残るし、全国各地に夜行列車は多数走っていた。 乗車券は母が使ったもの。私が使ったものは小児断片が切り落とされていて、いまちょっと行方不明。
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11月12日(金)深夜。所定は165系10両。1号車のボックス、指定されたCD席に座っていたが、その車両には誰も乗客は来なかった。車掌が来て、「この車両は暖房の効きが悪いから、ほかの車両に移ってもいいですよ」と言ってくれた。でも、たしか、移動はせずに、ジャンパーをかぶって眠ったように記憶している。 上野着は5時6分。夜中、何度か目をさまし、大宮付近で目をさましてからはずっと起きていた。尾久で583系と、交直流急行形電車を見たときには感動した。本の中でしか知らなかった車両たち。そして、東北筋の主力車両としての旅情を大きく感じた。 上野に着いた後、どこで朝食を取ったのかは憶えていない。いきない「国電フリーきっぷ」を買って、山手線全駅下車をやりはじめたかもしれない。まったく憶えていない。わずか30年前のこと、当時、自分史上もっとも嬉しいできごとだったはずなのに。いまここに書いたことも、もしかしたらあと数年もすれば忘れたかもしれない。それを書き留められただけでもよしとしよう。 PR
2012年8月18日(土)深夜、京王線の調布付近を地下に切り替える工事が行われる。その直前の準備の様子を当日見に行って来たのだが、よく考えれば「地上の京王線よ、サヨウナラ」という廃止日のようなものであり、かなりたくさんの鉄道ファンがいた。特に、地下化される部分の前面展望を撮ろうとする人が多く、ひしめきあっていた。沿線には、日常の利用者である地元の人たちもたくさん写真を撮っていたし、家の窓から見ている人もあった。
全体の様子はこちらに公式サイトがある。 調布駅を地下化するため、調布の前後3ヶ所で、地上から地下への切り替え工事がある。こうした工事では、新線部分を完全に脇に作って置いて、切り替え当日には旧線のレールを新線のレールにつなぎ替えるような形でする…つまりレールの平行移動だと思っていたのだが、今回の場合は、現状の線路の真下に複線を敷いておき、当日、レールを垂直方向に移動して新線とつなげる工法である。 ●西調布(地上)→調布(地下)へのルート この区間は、以上。 ●調布→京王多摩川 その他の表情は、西調布付近と変わらず、また撮影に適する場所もなかったので、ここまで。 ●柴崎→国領 動画でご覧いただきたい。土嚢が見えるあたりから、地下に潜っていくことになる。 youtubeにアップしてから「ブレ補正」をしたら、貫通扉がグニャグニャ動くように加工されてしまった。。
大木茂『汽罐車』が刊行されて1年半にして、写真展が8月1日から新宿で開催されている。詳細はこちら。
初日ということでギャラリートークを目当てに訪れると、驚くほどの人。9割方、50歳以上だろうか。大木氏が65歳、その若き日に刊行した『北辺の機関車たち』(共著)に感化された方々のようだ。神様とも称される写真家(もちろんいくつか写真集を持っている)もいた。私が大好きな作家さんもいた。私が知らないだけで、高名な方々も多くその場にいたに違いない。吉永小百合からの花が飾ってあった。 写真展は、『汽罐車』に収録されているもの以外の、出し惜しみをしていた作品を含めてA1判を主体としたとても大きな作品として見ることができる。ご本人はその仕上がりに納得がいっていない部分もあるお話ぶりだったが、息をのむ。あまりに人が多く、浸るように見ることができないのは残念だったが、初日ゆえ仕方あるまい。私はこの時しか行く時間がなかったのだ。 ギャラリートーク。司会の方(お名前失念)、名古屋機関区OBの川端新二氏、写真家の結解学氏との4人で進行した。まずは川端氏。蒸機の加減弁を握り続け、昭和45年からは電機を運転していた方で、御年83歳。とてもそうは見えない。いまでもOBたちと集まると、電機や電車の話は一切ないが、蒸機の話になると尽きないという。 「昭和48年に中央西線が電化され、蒸気機関車のさよなら運転があった。一般者は乗れない。ところが、この大木さんというすごい男は乗った。その時、のちにJAXA理事長となる山之内秀一郎氏(注:むしろJR東日本会長といったほうがわかりやすいだろう)が添乗していたのだが、なんとそこに大木さんも乗った。3~4駅で降りるだろうと思ったら、往復全部乗った。すごい」。会場は大爆笑。おおらかな時代である。 その川端さんのお気に入りの1枚が上の作品。常紋信号所だ。「山之内さんもこの作品を気に入っていた。もう亡くなられたが、お宅には、この常紋信号場の作品があるはずだ」。すごいエピソードだ。 「蒸気機関車のような効率の悪いもの(石炭のエネルギーの5~7%程度しか牽引力にならない)がなくなっていくと同時に、そうした効率の悪い、器用でないものがどんどん消えていった。蒸気機関車の写真は、そうした人々へのオマージュである」。 「人にカメラを向けるのには抵抗があった。それに、動いている機関車が撮りたかった。今回は意図的に人が写っている作品を多く展示しているけれど、写っているのはカメラを向けやすい老人と子どもが多い。」 他の作品を見ると、大木氏は、後ろから見た蒸機がお好きなようだ。わかる。バイクも、右後ろ(マフラー側)から見た角度がもっともかっこいい。
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昨秋、私が企画・編集して刊行した丸田祥三さんの写真集『廃道 棄てられし道』。その帯は、私が考えた。 「道路の声が聞こえるか?」 自画自賛をご容赦いただきたいが、ものすごく気に入っているキャッチだ。 実は、このキャッチは、『汽罐車』に寄せられた香川照之氏の言葉「この写真、匂うか、匂うだろ」がにヒントを得ている。もともと、丸田さんとも、共著者の平沼義之さんとも、「もの言わぬ道路だけれど、そこに込められた思いがあり、それを解放したい」という話をずっとしていた。丸田さんは写真で、平沼さんは文章とwebサイトで。それを「使われなくなった道路の写真集」というとしてまとめ上げたのが、『廃道 棄てられし道』である。名乗らず、声をあげることもしない道路そのもの、工事の従事者、そしての設計者たち。彼らや道路たちの思いをどうキャッチにするかと考えれば考えるほど、香川氏のこの13文字の素晴らしさが巨大な壁に見えた。相当な期間没頭し、ようやく「道路の声が聞こえるか?」という11文字ができた。 「匂い立つ写真」と「聞こえる写真」。前者では、読み手は作品の情景そのものを味わう。後者では、作品の被写体と対話しようとする。そんな違いを、個人的には感じている。 写真集『汽罐車』は絶対に「買い」です。 【追記:2012/8/2】 この日はご挨拶するのもご迷惑なくらいの盛況だったので、翌8月2日午前、再訪し、ご挨拶申し上げた。たくさんのお話をお聞かせいただいた。また、なんと私の過去の駄文などをご覧いただいたことがあるとのこと、あまりに恐縮で縮こまってしまった。写真集を持参し、サインをいただいた。 この秋公開の映画『北のカナリアたち』も、大木さんがスチル撮影を担当されたとのこと。こちらも楽しみだ。
寄居駅の跨線橋(駅舎-八高線)の続き。
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秩父鉄道のホームの待合室には、なんと立ち食い蕎麦屋がある。
6月2日(土曜)、東京カルチャーカルチャーで開催された『鉄道趣味者よ集え!オレ鉄ナイト3~鉄道趣味は加速する!~』に参加…というのか、出演してきた。今回は「えきべん」の話。下記USTアーカイブの37分頃から15分ほどが、私のターン。
http://www.ustream.tv/recorded/23022126 <参考>当日の関係ツイートまとめ 『鉄道趣味者よ集え!オレ鉄ナイト3~鉄道趣味は加速する!~』まとめ http://togetter.com/li/314206 今回の出演者は、偶然、全員知っている方々。もともと個人的に知っていた方もいるし、タクさんを通じて飲み会等で知り合った方もいる。みな、ほんとうに「好き」な方々だ。 イベントの内容は、上記「まとめ」をご覧いただくとして。 |
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