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JR東海のコマーシャルはとても秀逸だと思う。上記のものは、1988年から1992年までの5年間続いたキャンペーン「クリスマス・エクスプレス」をまとめたもの。同時代を生きてきた、そして1991年からは東海道新幹線の車販のアルバイトで毎日のように100系に乗っていた私には、この空気がとても愛おしい。でももう20年も前になるのか。

2000年版は毛色が違うのでちょっと…と思いきや、1話の終わりで700がパッシングし、そこに「JR東海」のロゴがかぶる。このカットがあるかないかで、印象はものすごく違う。素晴らしい。

もう25日だ。これから大晦日までの空気も大好きだ。仕事納めの日の、浮き足だった社内。「よいお歳を」と言いつつ、早めに帰宅する同僚たち。最後の1週間、いろいろと順調にいきますように。去年も一昨年も、フロア最後になった気がするけどな!



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12月13日夕方、こんなツイートが流れた。

例の発言をした議員だったので(そのときはスルーしたのだけれど)「またこいつか」と思って取るに足らないみたいなことを書いてしまった。

東北新幹線と東海道新幹線のホームがこうなった経緯については国鉄時代のことから知っているし、元々、新幹線は速達型/各停型という運転系統で、仮に直通するなら速達型で青森→仙台→大宮→東京→新横浜→名古屋→京都→新大阪、のような形になる、と考えている(根拠はない)。だから、例えば福島→静岡、みたいな動き方をするには、仮に直通しても福島(やまびこ)東京(こだま)静岡、と乗り換える必要が出てくるので、直通するメリットを享受するには仙台→名古屋/新大阪、のような需要になるんじゃないか。その距離なら飛行機じゃないか、と考えていた。

だけれども、ちょっと数字が気になったので見てみた。閲覧したのは国交省が公開している「第4回全国幹線旅客純流動データの利用案内」である。2005年のもので、データの見方にはいろいろな注意点があるが、「①都道府県間流動表/出発地から目的地/交通機関別流動表/年間(平日・休日データ利用)」(H17_OD_2.xls)というものを使った。このデータは、かつて仕事でよく見ていたもので、各自治体が発表している数値と見比べたり、相対的な数値からいろいろ判断したりしていた。かなり重宝した数字である。

* * *

調べたのは、東北/上越新幹線エリアから、東海道新幹線エリアへの移動である。全部新幹線を利用しているとみなして以下の数字を書く。

20121214e.JPGexcelファイルを作成したが、元の数値があるものを再配布していいのかわからなかったことと、そもそもこういうブログ形式では表組みをうまく掲載できないので、ここでは画像化した。(数値のみのexcelデータはこちら

東北6県+栃木から、静岡県では1日1430人。中京圏へは1945人。京阪神へは1860人。滋賀・奈良・和歌山へは359人。締めて5595人。東海道新幹線は1編成あたりの座席が1323席なので、ざっと4本分ちょっと。これなら、1時間に1本くらい直通があってもいいんじゃないの? という気になってきた。同じデータから読み取る新潟県→東京は6540人/日なのだよ。

同様に、新潟・群馬から静岡県に新幹線を使う人は1日616人、中京圏へは904人、京阪神へは1121人、滋賀奈良和歌山へは178人で、合計2819人。東北方面からの半分だ。思った以上に大きい数字だ。

(2013年1月14日追記)
『須田寛の鉄道ばなし』(須田寛著)に数字が書いてあった。「東北・上越新幹線から東海道方面に行く人はOD値で9000人、これくらいの数字だから直通はしない」。というものだった。上記計算だと8414人。そう違わない。

* * *

ここに書いた数字は、条件も複雑だし、絶対値をすべて鵜呑みにされるとまずいと思う。東京→京阪神が年間863万人、1日2万3000人くらいにしかならない。私が知っている数値(年間3500万人、ただし往復)の半分だ。でも、相対的な数値の比率としては、ひとつの目安にはなるだろう。

こんな数字遊びよりも、国交省がこういうデータを持っているよ、ということをもっと広く知っていただければ幸いである。

専門家の方々で、もっときちんとした分析をお持ちの方もいらっしゃると思うので、ぜひご教示いただきたく思います。メールはめんどうなのでtwitterにてぜひ。
20121204_002.jpg鉄道路線の分岐にはいろいろな形がある。多くの場合は駅のホームからして違っていて、たいていは分岐先のほうが本線に支障しないように配されている。しかし、山口県の錦川鉄道は、JR岩徳線の川西駅が営業上分岐駅ではあるが、そこからしばらくは岩徳線の上を走り、分岐型信号場である森ヶ原信号場でようやく分岐する。

写真は、岩国行きの列車の後部窓から撮影。時系列を遡る形になる。

























a8843175.jpegここが森ヶ原信号場。直進している(ように見える)のが錦川鉄道、左へカーブしているのが岩徳線。

8838d3c5.jpeg錦川鉄道に入っている。岩徳線の左にあるのは監視小屋だろうか。その奥には赤を現示している信号機が見えるが、錦川鉄道のほうには信号機はない。


 
20121125_006.JPG「硬券」「入場券」というものに憧れがあった。実家の最寄り駅、という言い方が正しいかどうかわからないが、バスで20分ほどで着くのが新潟駅だった。直線距離では2kmくらいだ。新潟駅では、昭和55年の段階で、すでに硬券は全廃されていたと思う。何度か窓口で買ったり、あるいは尋ねたりしたが、「ない」と言われた。

おそらく、初めて買ったのは昭和56年5月の越後線巻駅ではないかと思う。しかし、いま手元にそれはない。もっとも古いものは、昭和56年8月3日の坂町駅だ。当時「鉄道少年団」というものに入っていて、その合宿で中条初年自然の家に行き、その帰りに買ったものだ。「乙まんじゅう」もそのときに初めて知った。

あまりあちこちへ出かけることができたわけではないが、それから、出先で入場券を買うようになった。「通販で買える」と知って、廃止対象路線の駅に手紙を送って買ったものもいくつかある。

20121125_003.JPGきっぷの日付は、メモ代わりになる。この新潟駅の入場券は、新幹線開通を記念して特別に硬券を発売したもの。以後、そうした目的用に常備するようになったと記憶している。

日付は昭和57年11月17日。この日に新潟駅に行っていたことは、記憶にない。14日にいたのは11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~などに書いた通り。翌週、11月21日には鉄道少年団の企画で上越新幹線で高崎まで往復した。その合間、17日、計算すれば水曜日だ、この日に新潟駅に行っていたとは。おそらく新幹線を見に行ったのだろう。

20121125_002.JPG昭和59年8月20日。これは、自転車で新潟から柏崎の親戚宅まで行ったときだ。日付は憶えていなかったが、こんな、お盆の後だったのか。お盆までは部活部活で、8月後半はオフだったのかもしれない。

新潟から柏崎までは約90km、国道116号の、雑草の生えた歩道はいまでも憶えている。国道8号に入ると妙に嬉しくて、♪8号線~、8号線~、などとヨッキさんの「三島通庸の歌」みたいなオリジナルソングを歌っていたのも憶えている。順調に6時間くらいで到着し、あっけなかった。昼過ぎに親戚宅に着いてしまい、時間を持て余したのも憶えている。

あれ? このとき、吉田周辺のどこかのカメラ屋で、見たこともないモノクロフィルムを買った記憶があるのだが、このときの写真なんてあったっけ…?

20121125_005.JPG翌日はなにをしていたのだろう? 翌々日の8月22日は、青海川~笠島あたりの信越本線の廃線跡に行った。何度かクルマで通ったことがある米山大橋も自転車で渡り、「走って揺れるんだな」と思った。直江津側のどこまで行ったか忘れていたが、潟町まで往復したのだな。


20121125_004.JPGその帰り。8月24日。そうか、親戚宅に4泊もしたのか。柏崎から長岡まで、自転車とともにクルマで送ってもらい、長岡から各駅に立ち寄りながら走った。

そんなことも思い出させてくれる。旅の記念品というものを買わないので、きっぷだけをとっているけれど、こうしてみると記念のものって大切だなと感じる。

いろいろと、記憶がなくなる前に記しておきたい。
 
20121122.jpg新宿で開催されているグループ写真展、『Railway Graphic D.E.F. 写真展 「鉄道風土記 ~春夏秋冬~」』に行ってきた。

どの作品も、すてきで、きれいだ。どれもそのまま商業誌に見開きで掲載されててもなんの不思議もない。私がブログの更新を楽しみにしている方々が、テーマに沿って「これは」と推す作品を出すのだ、すてきじゃないわけがない。

ただ、これは私の好みの話で、私なりの見方であって、いい/悪いではないし、「それ」が好きで撮影されている方にこんなことを書くのはお門違いになってしまう部分もあるので、その点でお気を悪くなさらないでほしいのだが、このすてきさ、きれいさは、どれも「鉄道写真の文脈でのもの」だと感じる。

私は、今回に限らず写真展ではいつも、見たこともない表現があったらいいなあ、と思って一点一点鑑賞している。

鉄道写真は、広田尚敬さんはじめ、ものすごい先駆者が何人もいて、そのフォロワーもものすごい人数がいる。いろいろ工夫しても「広田さんが50年前に既にやってた」みたいなこともよく聞く。基本的に、屋外で、それなりに大きな被写体を撮るのだから、条件も似てくるし、それならば先駆者が圧倒的に有利…などというつまらない話もときどき聞く。そうだろうか。

今回出展している吉永陽一さんは、ブログに書いた通り(『空鉄』(吉永陽一著/講談社))、まったく新しい表現を実現している。だれもが同じことをできるわけではないが、空には、あと数人がそこに乗り込んでいってもまだまだ開拓の余地はあるほどに広大で新しい表現世界が広がっている。また、会場で遠藤真人さんに初めてお目にかかり、お話ししたのだが、ちょっとここでは書くわけにはいかないけれど、とあることを温めていた。既存の鉄道写真に飽き足りない、新しい表現の実現を、みんな、ぜひ、もっと。


全作品の中でこれは!と思ったのは、佐藤武志さん(直接の面識はなし)の『金色の花』という作品。下向きのライティングが非常に効果的で、「金色の花」が、とっても立体的に見える。ちょっとライトの影響をなくして鑑賞したりもしたのだけれど、立体感はちゃんとある。もともとの作品が持っている陰影を、ライトが大きく増幅していると感じた。これはすてきな作品だ。


写真展は25日(日)まで。





 


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