山陽本線三石駅のほど近くにある4連の煉瓦アーチ橋。なかなか写真が撮りづらい場所で、朝行ったために順光の下り線側(南側)は陰がかかり、しかも手前に歩道橋、その手前に国道2号のバイパスの橋梁。上り線側(北側)は日陰でクルマが停まっていた。 右端(第1径間、神戸側)のアーチは車道になっている。 左側(第4径間、岡山側)のアーチの半分は人道。これらの道路・人道は、当初からなのか、後からこうしたのかはわからない。 「中国建設弘済会アーカイブス」の解説によると、下り線のアーチ部分に「竪積み」があるとのことだが、よくわからない。 上り線側(北側)。右側に市のクルマが停まっていたが、用が終わったらしく、見学している間に立ち去ってくれた。 「中国建設弘済会アーカイブス」の解説によると、上り線のアーチ部分に「弧状の異形煉瓦」があるとのことだが、これもよくわからない。 <追記:@roadexplorerさんより下記のご教示をいただきました>
中国建設弘済会が誤記し、それを国交省が孫引きして、誤記を拡散している。改めて、「群」を個別に解説している土木学会の「中国地方の選奨土木遺産」を見ると、竪積みがあるのは野道架道橋、異形煉瓦があるのは寺前川橋梁上り線のようだ。 <追記ここまで> この三石金剛川橋梁(三石金剛川拱橋とか三石煉瓦拱渠群(のひとつ)ともいう)は、最初は単線で開業したものを、複線化にあたり上り線側に拡幅している。その境はヴォールト内部にハッキリと見えている。写真右が下り線側(当初側)、左が上り線側(線増側)。 そもそも備前は耐火煉瓦の産地。地元で焼かれた煉瓦で築かれている。煉瓦の歴史としては、いわゆる赤煉瓦から焼過煉瓦(やきすぎれんが)に移行していくが、それが、赤煉瓦の下り線、焼過煉瓦の上り線に見て取れる。 それにしても、この程度の土被りでも水漏れが発生するのは興味深い。土の湛水能力のすごさを感じる。 PR 奈良県の吉野川にかかる「水道橋」。連続トラスなのに、パッと見て右側が歪んで見える。コレはレンズのせいとかではなく、クルマを運転中に迫ってくる形を肉眼で見ても、違和感を持つ。 測ったわけではないが、見る限り、端部で高さが変わっているような気がする。橋門構に向けて広がっている? 北側、右岸。立派な親柱がある。左は「水道橋」、右は「吉野川」。左の端柱の銘板には 水道橋 1984年7月 奈良県水道局 道示(1980)一等橋 使用鋼 SM50YA・YB SM41A・B・C、SS41 製作 松尾橋梁株式会社 右の端柱にも銘板があるのだが、なぜか撮っていなかった。資金源が書いてあるようだ。 南側、左岸。親柱は「すいどうばし」「よしのがわ」。 和歌山県に流れ出す吉野川(県界以西は「紀の川」)の水を、分水嶺を越えた北側の奈良盆地に送るのが吉野川分水。農業用水だ。吉野川本流の大迫ダム・大滝ダム、支流の津風呂川の津風呂ダムを展開しながら近鉄吉野線の下市口駅近くの下渕頭首工で取水し、水路トンネルで山を越す。 吉野川水系のさらに一つ南の十津川水系猿谷ダムからも、吉野川の支流・丹生川に水を送っているが、下渕頭首工より下流側なので、ここでは扱わない。 2022年末に関連施設を見てきた。まず、三つのダム。 津風呂ダム。 大滝ダム。川上村の中心部はこのダム湖にあたる。樫尾発電用の水路が左岸にあり、それがすごい景観を造っている。別項にて。 大迫ダム。アーチだが、カドがある。 あと、関係ないけれど、向かい途中に、木津川の支流・名張川の比奈知ダムに立ち寄った。 比奈知ダム。 比奈知ダム移転者の碑。「氏名」とあるが、すべて男性名と思われる。世帯主の名前なのか。女性は誰も住まいを奪われなかったのか。こういうところにひっかかる。 展示されていた古い水車。いまはこんな塗り分けだが、現役時はどうだったんだろう。 |
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