忍者ブログ
[6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16]
20120420_000.JPGトラック野郎が大好きだ。この本、ほしかったのだけれど、2520円もするので躊躇していた。ところが、先月、勤務先が移転する作業の際、処分品置き場にコレがあった。だれが捨てたのかはわからぬが、ありがたくいただいた。

A5判のハードカバーである。重くて読みにくいのだが、装丁が凝っている。

20120420_001.JPGこんなふうに、カバー表1/表4、カバー袖表1/表4、本体表紙表1/表2/表2対向/表3/表3対向/表4を使って、全10作のポスターが印刷されているのだ。すばらしい。

「一番星」というネーミングや「雪の下北」の行灯に隠された思い、お蔵入りしたシナリオなど、ますますトラック野郎が好きになる話が散りばめられている。

とはいえ、トラック野郎のエピソードはそれほど多くなく、むしろ鈴木監督の映画論の本である。そして…恐ろしい悪文である。これがトラック野郎の本でなかったら、3ページで投げ出すくらいの悪文。リライトしたら4分の1くらいになると思う。


かつて、東映チャンネルがトラック野郎全作を放送すると知ったとき、その期間だけ東映チャンネルを契約した。そして10本とも録画した。とはいえ、アナログであるうえ、第5~7作のDVDが行方不明になっている。近所のレンタル屋にあるのは確認しているので、そろそろ借りてこようと思う。


PR
4月1日から、勤務先が移転する。銀座一丁目から京橋3丁目へ。徒歩5分ほどの場所への移転だ。

入社後、別館的に京橋2丁目に3年、八丁堀4丁目に3年いて、銀座に戻った。銀座勤務は11年間になる。その感覚からすると、銀座と京橋は華やかさが違う。八丁堀は全然違う。でも、仕方ない。

20120330_000.JPG銀座一丁目の駅を出てすぐ、「わした」の横から路地を入り、裏口からビルに入っていた。入社当時は新築に近く、7階から11階が執務スペースで、ひとりあたりの面積も大きかった。のちに6階~11階を勤務先が占めた。

20120330_001.JPGぼくは最初8階、異動で10階、異動で9階と動き、宝町は4階から異動で5階、八丁堀は1フロアだったので動かず、銀座に戻ってからは10階だった。

20120330_002.JPG5年近く使ったこの場所も、今日でおしまい。くたびれた什器類も更新される。

***

明日は実際に引っ越し作業をするのでフロアに入れる。しかし、明日行っても、もう「自分の場所」はない。裏口から「いつものように」入っても、きっとよそよそしく感じてしまうだろう。

この感覚は、例えば卒業した学校を、あまり時間をおかずに訪ねたときや、実家を出てから帰省したときに見る自分の部屋だったところ、みたいなときに感じるものと同じだろう。

もう絶対に戻ってこない場所。

勤務先におけるそういう場所は、宝町の4階だ。当時はバイク雑誌で仕事をしていて、そのフロアはほかに三つの雑誌があった。そのため、不夜城という言葉が似つかわしく、24時間人がいた。ぼくも、休日など皆無に近い状態だった。でも、仕事はとてもやりがいのあるものだったし、こなせばこなすほど、仕事が楽しくなっていった。そんな場所が宝町の4階だ。すでにそのビルは建て替えられしまった。


感傷的なことを書いたけれど、4月2日、新しいビル、新しい什器で18年目の勤務が始まる。新しいことをやらねばと、わくわくしている。
「富士/はやぶさ」お見送り動画。これを知ったときには「ふーん」くらいだったけれど、こうして動画を見ると、まったく違って見える。ホイッスルが響き渡るところで思わずこみ上げてくる。



このお見送りの企画者の一人は友人なのだけれど、その頃、ぼくは鉄道の友人知人はゼロだった。


子どもの頃はあこがれた「富士」「はやぶさ」だったけれど、なんだか日の当たる場所、つまり東海道・山陽路のものだし(子どもの頃から裏日本意識がある)、大人になってみれば勤務先のビルから見ることができるし、その気になれば徒歩10分で東京駅に行ける。そんな距離感だったので、最終日も別にどうという感情もなかった。

***

一度だけ、「富士」に乗ったことがある。1994年9月のことだ。
20120313_001.JPG当時は5月くらいから始まった就職活動も、第一陣の大手出版社がすべて終わり、中堅出版社の試験が夏休みに食い込んでいた。幸い、いまの勤務先から内定をもらい、まずは南アルプスを縦走し、次いで「時間があるいまのうちに、どこか遠くの山に行ってみよう、ついでに寝台特急に乗ってみよう」と思って出かけたのが九州だ。京都以西に行くのは初めてだった。

「富士」を選んだのは、たぶん、行程が組みやすかったくらいの理由でしかないと思う。まだJR化して7年、寝台特急はたくさん走っていたし、こういうものはなくならないものだと思っていた。寝台券は大分まで買ってあったのだけれど、車中で思い立ってルートを変更し、鹿児島本線~肥薩線に真っ先に乗った。それが、ぼくの「富士」の思い出だ。

***

繰り返すが、ぼくはこういう「お別れ」みたいなことには興味がない。このダイヤ改正における300系や「あさぎり」も、それらが大好きで、昔も今も追っかけている人には悪いのだけれど、興味がない。300系はアルバイトでさんざん乗ったのに。

そうはいえども、この動画にちょっと感動する。それは、ここにいる人たちが、ぼくとは違って「富士」「はやぶさ」に特別な感情を持っているのが伝わってくるからだろう。学園祭みたいな懐かしさを感じるからかもしれない。では、ぼくが 同じ感情を抱くとしたらなんだろう? と考えると、200系新幹線しかない。もしかしたら、200系は何度か見に行くかもしれないし、乗りたいと思うかもしれない。


かつて小学生の頃には、それは181系だった。飽きもせず眺めていた181系がなくなるときのことはこちら。
11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~
 
20120301_000.JPG「リボンスクリュー式」と呼ばれるタイプ。この二重螺旋が、積もった雪を掻き壊し、回転翼に送り、そこで遠くに吹き飛ばされるのだが、その「回転翼に送り」という部分はアルキメディアン・スクリューである。

アルキメディアン・スクリューとは、こういうふうに物体を移動する装置。下記の赤玉のように雪を移動する。飼料輸送トラックの上部についてる腕、あれも中にこういう装置が入っている。


上の除雪機の写真を見ると、螺旋の巻き方が左右対称になっている。つまり、端から中央に向かって雪が送られるのだ。送られた雪は、中央の穴に押し込まれ、その奥に位置する回転翼で吹き飛ばされる。

20120301_001.JPG
いまの季節、積雪のある地方に行けばいくらでも見られる除雪機。駅のホームや、ホームセンターでじっくり観察してほしい。


アルキメディアン・スクリューについて、かつて書いたことがあったような気がするが、たぶん勘違いで、ツイッターに書いたのかもしれない。世の中にはアルキメディアン・スクリューに魅せられる人はやはりいて、その水車バージョンについて研究されたこのサイトがすごいから、ぜひご覧ください。

螺旋水車の時代









20120101_001.JPG
謹賀新年
2012年

磯部祥行

(朝起きてテントの入口を開けたら、そこに大地とバイク。猿払にて。始まりの朝)



















 


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア