長崎に取材に行ってきた。
長崎県に足を踏み入れたことは2回あるが、今回、初めて長崎市街を見た。そして、すごくいい街だと思った。ゆっくり歩きたいと思った。 一度目はバイクのツーリングで確か1996年のGW、二度目は2003年にオフロードバイクのレース『長崎サファリ240』の取材でだ。後者は長崎空港から鹿町のあたりを往復しただけだが、前者はざっくり長崎を走った。ただし、印象はよくなかった。 ツーリングの記録として走った道をマーカーで塗っていたので、2001年のツーリングマップルにもそれが転載されている。まだ「平成の大合併」前で、長崎市の南には高島町、伊王島町、香焼町、野母崎町がある。もはや記憶もないが「そのとき、野母崎の先っぽまで行ったのかなあ」などと思って地図を見たら、ちゃんと行っていた。ただし、軍艦島の存在など知らなかったかもしれない、まったく見た覚えがない。 で、なぜ印象が悪いかというと、バイクツーリングに適したキャンプ場が見つけられなかったからだ。しょうがないので長崎駅前で「駅ネ」しようと思ったら、とても居心地がわるかった(でも寝た)。そして駅前で、行きかう人や警官にちゃんぽんのおいしい店を聞いても誰も教えてくれなかった。もちろん道路も混んでいた。そんなことが重なっての印象だ。 それから17年くらい経った。いまの目で見ると、長崎はすごい。街に活気がある。地形の関係で新興住宅地が「郊外」に延びないからだろうか、市街の中心部に人が多い。ここは東京かと思うくらい。新潟の中心部など恐ろしいことになってしまった。土地が狭いというのは、こういう場合にはいい方向に働くのか。いや、いろいろ地元としては問題も多いのだろうけれど。 そして上の写真のような道。歩いてみたい道がたくさんある。実際には路面電車のせいで「あるべき場所」に横断歩道がなくて「コの字形」に歩かねばならなかったりして非常に歩きづらいところもあるが、そんなことを気にしなくていいくらいの時間配分で歩けばいいのだ。この街は、くまなく歩いてみたいと思った。 = 先の地図を見ると、福岡の北側から唐津、伊万里、田平と出て平戸を一周し、九州本土に戻って佐世保、西彼、長崎で1泊、そこから東へ、千々石、口之津へと走って天草に渡っていた。なにも覚えていない。たぶん写真もない。 そういうことを地図をみて思い出すと、いまは写真を撮ってアップするから、以前よりきちんと「見る」「覚える」のだろうな、と感じる。そこに足を記すことが第一の目的だった当事から、幾分かは人間らしくなってきたようだ。 PR
(カシミール3D+基盤地図5mメッシュ標高データで作成)
twitterでもお知らせしましたが、3月3日(日)に、お台場の東京カルチャーカルチャーで開催される『坂サミット』に出ます。 ・東京カルチャーカルチャー 坂といえば地形、地形といえばカシミール3Dですよねえ。まあ、壇上で5mメッシュをいじくっていてもそれなりに楽しいと思うのですが、やっぱり「坂」、いや「坂『道』」じゃないと…とも思うので、「道」方面の話にしようかなあと思っています。 でも、ぼくにとって「坂」というのは、こういうものなんですけどね。 (2004年阿蘇オープンエンデューロにて) あるいはこういうの。 ヒルクライムって、オフロードコースの楽しみの一つ。「もう絶対に無理!」っていうところを、うまい人が登っていくのは見ているだけでも楽しい。国内のトップライダーがチーズナッツパークの(ぼくには)ありえない坂を、ノーマルタイヤのアフリカツインで登っていったのには、もう言葉も出ない。
* * *
あと、もうすぐ告知できると思いますが、3月23日もぜひ空けておいてくださいませ。
2012年4月以来、GWと夏休み以外は基本的に毎日更新していましたが、11月頃からあまりに多忙で、ついに時間をやりくりできなくなりました。書きたいことは山ほどあるので、時間ができたらいずれ書きます。
そのときはまたよろしくお願いいたします。
北海道の足寄の駅前に、大阪屋食堂という店があった。バイクの友人からその存在を聞いたのは確か1998年頃。オヤジさんが調合した味噌だれを使ったジンギスカンがめっぽううまい。夏は座敷をライダーハウスとして開放していた。
足寄の里見ヶ丘キャンプ場にテントを張って、バイクで行く。帰りに銭湯に寄る。前年の記憶で、男湯だと思ってよく確かめずにガラリと戸を開けたら女湯でびっくりしたことがある。後ろ姿を見てしまった女性、すみません。 この大阪屋食堂、親父さんは当時で既に七十代後半だったと思う。足寄駅前の道路拡幅工事で移転を余儀なくされたとき、店を畳もうか悩んだ末、楽しみにしてくれる人がいるということで、移転して営業していた。ライダーハウス用の部屋も用意したと聞いていた。写真は移転前の店だ。 今年の夏、7月30日に訪れた別の友人が、「明日で閉めるそうだ」と教えてくれた。移転後、7~8年くらいだと思う。しかし、オヤジさんは80を越えている。おばさんはわからないけれど。お店は56年やっていたという。足寄という土地の栄枯、と言っては足寄にお住まいの方に失礼にあたるだろうが、そうしたものを見てこられたお二人だ。もう、お店を閉めても、だれもなにも言えない。 お店が移転する前、給水器には私が作ったステッカーを貼ってもらっていた。店が移転してもその給水器は使われ、今年行った友人によればまだあったという。つくづく、ライダーに優しいお店だった。オヤジさん、おばさん、いつまでもお元気で。
2006年夏、北上線周辺でファミキャンをしていた。キャンプも目的なのだが、裏の目的として毎晩、当時北上線を走っていたDD51重連が牽引するコンテナ列車を撮影する、というものがあった。まだポジの時代である。RXP400を抱え、+2と2/3まで増感して撮影していた。こうしてキスデジを持っていたにも関わらず、ポジだ。
往復、のべ2本を取り終えてキャンプ場に戻る途中のことだ。ほとんど無人の国道107号を走っていると、橋の欄干になにかいる。鳥だ。クルマが近づいたときに飛び立たれてぶつかられるのもいやなので、クルマのスピードを緩めて近づくと、なんとフクロウがこっちを見ていた。 助手席のヘッドレストにひっかけておいたキスデジ(ISO1600)を構えると、なんと飛び立ってしまった。残念! 写真は、あわててシャッターを切ったところ。もちろんクルマは停止中。 かつて山をよく登っていたときでも、ふくろうは見たことがなかった。だから、とても嬉しかった。 このとき毎晩おっかけていたDD51重連の貨物列車も、いまはない。 |
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