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2週間前、氷見で久しぶりにソロテントを張った。モノはICI石井スポーツのゴアライト。購入したのは1992年か1993年頃だ。以来、1995年までは登山に、それ以降はバイクツーリングに使っていた。北アルプスや南アルプスの縦走はもとより、土曜にバイクで登山口まで行って夕方までに山頂に上がり、山頂でテント張って翌朝下山、ということもよくやっていた。元気だったなあ。ここ7~8年はほとんど使う機会もなく、物置にしまってあった。

そのようなわけで、こうなった。
20110605_003.JPGいや、こうなっているのは数年前に使ったときに気づいていた。ゴアテックスは、劣化するとこのようになる。気泡が入りまくったシールとでも言おうか。決して元に戻ることはない。防水性はかなり落ちているだろうと思っていたが、この状態で使ったのは晴れた夜ばかりだったので、実際にどうかはわからなかったのだが、先日の氷見での土砂降りで、防水機能は完全に終わっていることを知った。なにしろ、浸水したのだ。

20110605_004.JPG拡大するとこんな感じ。かなりゴワゴワしている。

20110605_005.JPGところが、フライはまったく無傷。たいていの場合、私はフライを張らずに本体だけを使っていた。めんどくさかったから。だから、フライはあまり汚れていない。そのために、劣化を免れているのかもしれない。

こんなになったからといって、いまや滅多に使わないテントを買い換えることはしない。この、まともに機能するフライを張ればいいのだ。


続いて、合羽。これも、着てすぐに浸水した。以前はそこまでひどくなかったのだが…。
20110605_002.JPGゴールドウインの、たしか上下で3万円を超えるものだ。1998年の写真に写っているので、おそらく1997~1998年に買ったものだろう。当時、ゴアテックス相当の防水透湿素材を各メーカが競って開発していた。これはゴールドウインの防水透湿ウエアである。これを買う以前はモンベルのゴアの雨具(これも3万円くらいした)を使っていたが、背中が破けたので買い換えている。

これが、ゴアテックスの劣化よりひどい。
20110605_000.JPG写真は裏返したところ。濃い青の部分が、防水透湿層がボロボロに砕け散っているところ。つまり、表面のナイロンと、内側のメッシュしかなくなっている。

20110605_001.JPGバイク用なので、膝がとくにすごい。折り曲げるからか、希に膝をついたりするからか。

この劣化している部分は、こするとポロポロと防水透湿層が剥がれ落ちる。もうだめだ。買い換えなければ。と思ったところで、そういえば妻の合羽があったな…。私が着れるサイズでありますように!

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歌人・枡野浩一さんプロデュースによる丸田祥三さんとのトークライブ、第3回。今回は、阿佐ヶ谷の「よるのひるね」で開催された。16時開場だったので16時にいったら、即、満席になった。ふつう、この手のトークイベントというのは、開場から開演まで30分とか1時間あるので、その間にパラパラ来るのだが…そんな感じでわりとすぐに始まった。

ゲストは、作家・中村うさぎさん、漫画化の古泉智浩さん。会場の後ろのほうで、切通理作さんもいらっしゃった。

(関連記事)
枡野浩一プレゼンツ 「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント」vol.1
「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」
「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」続き

(USTアーカイブ)
http://www.ustream.tv/channel/masunoshoten


20110530_000.JPG(左から古泉さん、枡野さん、丸田さん、中村さん。許可を得て撮影)

会場では、丸田さんの作品をスライドショーでずっと流しつつ、トークが進行した。

まずは、丸田さんによる、5月10日の知財高裁による判決のお話。

昨年12月21日に出された風景剽窃裁判での判決に控訴した丸田さん。この5月10日、突然、知財高裁の判決が出たという。当日、弁護士事務所に知財高裁から連絡が入ったが、弁護士事務所から弁護士に連絡がつかず、結果、丸田さんにも連絡がいかず、原告である丸田さんはネットのニュースで判決を知るということになってしまった。これについては、それぞれの事情があったのだろうし、外野の私がどうこう言う話ではないのでここではおいておく。

丸田さんは、最高裁への上告を決めた。その決意は、USTをご覧いただくほうがいいと思うし、書けば私の解釈になってしまうといけないので、これもここでおく。

そして、話題は「盗作とは何か?」という点へ。枡野さんは「短歌や俳句では、偶然似た作品ができてしまうことがある。しかし、それは似た作品を作ってしまった人が先例を知らないという点で、作品を取り下げなくてはならないこともある」という。対してうさぎさんは、「文芸ではそんなの無理。先人の書いたものすべて知るなど無理。個人のブログまでチェックしてたら際限がない」。丸田さんは「自分の作品を参考にして、自分の作品より優れたものを生み出すのであれば、まだいいのだけれど」。対して、UST視聴者「いや、盗作は盗作であって、盗作した結果いい作品となっていても、それは別問題」。

どこから盗作でどこまではいいか、この場での結論は出づらいことだが、それを話すことによって、おぼろげに輪郭や問題点が出てくる。この点は過去のトークでも何度か積み重ねられて、発展してきている。そして、これに関連して、トーク終了後の二次会(?)の席で、とてもすごい話に発展した。



「嘘」について。

小林氏は、丸田さんの作品を参考にしたかどうか「わからない」、キャプションの誤記をそのまま自著に掲載していることも「弟子がやった。弟子の名前は覚えていない」と言っている(丸田さんは「誤植」と一瞬言って「誤記」と言い直した。誤植と誤記は混同されるけれど、全然違うもので、この言い直しはとても重要で、丸田さんの誠意を感じる)。自分が「小学生の時から地図帖片手に…」と言いながら提出した資料は平成になってからの刊行。これは、自分のやったことを正当化するために、嘘を塗り重ねているようにしか見えないのだが、そういうことをする人が少なからずいる、という話になった。

まず挙がったのが、新潮社と赤報隊のこと。被害者である朝日新聞が記事を検証し、週刊新潮が謝罪している。この「手記」を書いた人の虚言に多くの人が騙されてしまった。(その人は約1年前に亡くなった)

次いで、中村うさぎさんが知る、とある人について。徹底して自分が加わるために他人(うさぎさん含む)をあることないこと言い散らかす。その内容が結局、うさぎさんに伝わるのだが、言われた本人が驚くような内容。枡野さんも、とある人のあまりの嘘つきっぷりに、一瞬、信じたことがある話を。その人は「私は漫画家で、ペンネームは○○(著名人)」であると言い続け、実際に仕事を発注してしまった人がいたらしい。古泉さんも、とある人の虚言というか盛りっぷりに、ちょっと思うところがあるという。

なにが真実か、見えなくなる。恐ろしいことだ。しかし、現実に、虚言で固めた人は存在し、言ってる本人は虚言だと思っていない、盛ってると思ってなかったりする。それは、私も実際に体験している、というか迷惑を被っている。そんな人を相手にするには、相当にこちらがタフでなければならない。丸田さんの裁判の弁護士はタフだろうか。

(追記)
ここで書こうと思っていたことを、まったく書いてなくて愕然とした。虚言癖の人は、つまり、平気で他人の功績を横取りして「自分のもの」にしてしまう。そのことを書きたかったのに書いてないから、単なる笑い話のようになってしまった。お詫び申し上げたい。


また、いろいろ考えているうちに、なぜアイディア(小説のテーマなど)が保護されずに、アイディアを用いて具現化したもの(小説など)が保護されるのかがわかってきたのは、自分にとっては大きな収穫だった。




話を戻して、トークの流れはゲストがうさぎさん・古泉さんだったこともあって結婚ネタや恋愛ネタの展開となった。それらは、枡野さんや切通さん、うさぎさんの得意とするジャンルの話だ。こうした恋愛論も丸田さんの作品への理解を深めるためには必要だと思うけれど、もう少し、作品と関連づけてのお話になったらもっとよかった。

また、雑誌『東京人』のために丸田さんが枡野さんを撮影したときのお話も披露。枡野さんがあまりによく動くのでぶれてしまっていたという。それは、丸田さんにとって初めてのできごとで、けっこう動揺したらしい。丸田さんは「そのまま、そこにいてね!」というつもりで「その姿勢、いいですね」などというと、枡野さんはもっとよくしたいと思って動いてしまう。丸田さんが改めてカメラを構えると、もうそこに枡野さんはいない。そんな屈託のないお二人の撮影現場はどんなだろう…?

次回もそうした作品づくりに関する話題を期待しています。


(追記)
トークの中で池谷裕二氏が語ったことが話題になった。「右手の薬指が人差し指より長いひとは…」。その原因と、どういう性格になるかは分析が進んでいるそうだ。私の薬指は、人差し指よりもツメ3/4くらい長い。帰宅後検索したら、どうも日本人にはそのほうが多いようだ。
20110525_000.JPG

以前、ザックのカビという記事を書いた。これは、もう15年ほどもプラケース内で保管していたものだったので、こうなるのもむべなるかなと思うのだが、そこそこ日常的に使っていたKARRIMORのZOOMというウエストバッグも似た症状となり、しかも底が裂けてしまった。

このウエストバッグはデイパックに変形するもので、上の写真の上面のファスナーを開けると容積が拡大される。
20110525_001.JPGこのように。

このウエストバッグを先の週末の氷見ツーリング(帰りは土砂降り)で使ったのだが、帰宅して見ると、中に入れていたビニール袋に消しゴムのカスみたいなのがたくさんついている。もしや…

20110525_003.JPGやはり。内側のコーティングが剥げていた。水色の部分も、黒い部分(厚い)も。

汚れてしまったこともあり、風呂場でバッグ全体の洗浄を兼ねて、この部分を洗い流す。すると、縫合部が裂けてしまった。上の写真でも写っている。

20110525_002.JPGこんな。

カリマーよ。。。

いつどこで購入したかは覚えてないが、2001年から2004年の間であることは間違いない。基本的に街中でしか使っていないのに、10年ももたずにこんなになるのか。

縫い合わせることもできるが、寄りによって裂けたのは底なので、ちょっと怖い。どうしようか考えあぐねている。

『雑誌の写真を出典なしでネットに』というまとめがある。これについて書く。

ざっと読んでいただきたいが、簡単に言うと
・福井氏が何の気なしに、週刊新潮に掲載されていた写真をtwitpicにアップ
・新潮社なかしまさんが「出典を入れて」と要請
・外野が「出典入れろ? こんなものはフリーで流通させるべき!さすが出版社、古すぎる!」と暴れ出す
・なぜか、博士号まで持ってる人や東大教授が出てきて外野の見方となっていく
という流れ。

私が問題と考える点は三つ。
(1)F氏および外野は、オリジナルに対する敬意が微塵もないこと
(2)明確な「公衆送信権の侵害」であること
(3)そもそもの「写真」がどういうものであったかが、蚊帳の外になっていること



(1)は、丸田祥三氏の風景剽窃裁判に関することで、何度も書いてきたことだ。文章にしろ写真にしろ、あらゆるものは、先駆者の成果を踏み台にしてできている。だからこそ、先駆者へのリスペクトは忘れてはならないと考えている。

(2)を「違う」と考える人は、それなりの数がいる。そして、それを「侵害である」という意見を「古い」「いまのネットの世界では、そんなことはない」というような理屈で塗り固めてしまう。恐ろしい勘違いだ。
「宣伝効果があるから、13万ビューもあれば売上にも貢献したはずだろうから、いいじゃないか」という、一見、正しそうな理屈がある。でも、全然関係ないよ。考え方が新しい/古いも関係がない。パブリック・ドメインにして放流するかどうかは、著作者だけが決めることができる。

(3)が本質的な問題かもしれない。

私にとっては気持ちが悪い「外野の意見」、すなわち「価値があれば、必ずリファーされます」(理化学研究所・藤井直敬氏の言葉、削除済み)、「新しいメディアと消え行くメディアの違いですね。」(東京大学教授・池上高志氏の言葉)という話にすり替わった時点で、元の写真は、相当に不幸だった。写真の価値、記事の価値はまったく文脈に登ってこなかった。

これは、丸田氏の風景剽窃裁判を、「同じ場所で撮ったらダメなのか」という文脈で捉えてしまうのと極めて同じ構造だと考える。週刊新潮も、丸田さんの裁判も、そんなことは言ってないし、本質ではない。ただし、丸田さんの裁判では、幸いなことに常に丸田さんの作品と小林氏の写真が参照されている。裁判には否定的な見方をする人でさえ「作品にしろ話の筋にしろ、オリジナルである丸田氏のほうが圧倒的に素晴らしい」という感想を持つほどに、参照されている。だから、本質を見誤る人は、週刊新潮よりも相当に少ないと思う(とはいえ私の印象では過半数は見誤っている)。


一連のやりとりで、素晴らしかったのは、新潮社なかしま氏の最初の一言だ。

お読み下さりありがとうございます。できましたら出典を明記してくださいましたらばなおありがたかったです。

これは、上記のような問題、メディア新旧論やネットで話題になるなら宣伝になるだろ論、そうしたことすべてひっくるめて、ここを落としどころとする判断だったのだと思う。この素晴らしい落としどころは、しかし、アップした本人にも「外野」にも、まったく伝わらなかった。大変に不幸なことだ。

ここで、アップした当人・福井氏がそれに応じ、新潮社に対してコメント(詫び)をし、新たに記事に対する感想を書き始めたら、そこに成立するのはプチ炎上ではなく美談である。嫌いな言葉でいえば、ウイン-ウインになったはずである。


ああ、ああ。この問題の根深いところは、(3)について書いているつもりが、すぐに別の話題にすり替わってしまうことだ。結局、オリジナルの写真および記事がなんなのかの議論はトゥギャッターのコメント欄にもない。トゥギャッターは恣意的なまとめだから、ここに転載されている人たちも、別の場所ではツイートしているのかもしれない(実例は知っている)。願わくば、このトゥギャッターがきっかけで、オリジナル(週刊新潮)がリファーされんことを。



「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」の続き。

「中二病こそ美しい」

昨日書いたのは、私の感覚と同じだ!と思ったことだ。ところが(?)、丸田さんに向けたツイートを見ると、「中二病こそ美しい」といったくだりに「そうだそうだ!」と共感する人がいた。おかざき真里さんも、切通理作さんも。それだけでイベントできるくらいに共感されている。

では中二病とはなにか。

私は、トークを聞いているときは、なんとなく全面肯定できない気持ちがあった。それは、ネットスラングとしての中二病のイメージで話を聞いていたからだと、上記のツイートを見て気づいた。スラングとしては「自分をわきまえずに自分自慢」「誰も見てないのに自意識過剰」というニュアンスがとても強い。他人の目を意識した行動なのだ。

対して、丸田さんが言葉にした「中二病」は、「何も恐れず、自分の信じていることをやり抜く子どもらしい頑固さ」である。そこに表現者たちが共感した。先のスラングと正反対で、この文脈では他人の目などおかまいなしの行動だ。

「中二病」なんて、べつに辞書が定義した言葉じゃなくて伊集院光が発したものがネット上でいろいろな解釈、主として嘲笑の文脈で使われてきた単語だ。だから、どちらの解釈が正しいとか誤りとか言うべきものではない。ここで重要なのは、表現者たちはみな後者で即座に理解し、共有する新たな地平を作り出したということである。近い将来、中二病をテーマにしたトークライブが開催されるに違いない。切通さんは「司会をやる!」と宣言している。



丸田さんの「中二病らしい」エピソードは、前回のトークイベントでも触れられた。戦時中に粗製されたEF13形電気機関車と、新宿の新たなランドマーク(当時)となった新宿三井ビルを組み合わせて撮影するために、10歳の少年が、担任の先生にその意義を説き、1ヶ月半、学校に行かなかったこと。
<参考>枡野浩一プレゼンツ 「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント」vol.1

実相寺昭雄監督とともに取材をしていて、あることでたしなめられたときに、思いの丈を口にしてしまったこと。

そういう一途さも、経験を経たあとで振り返れば「美しい」。それがあるから作品が作れた。それを認めて、作品作りはまた力を得ていく。



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